音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

完聴記~アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウBOX⑥

今週はアーノンクールロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による未発表放送録音集の完聴記シリーズVol.6(CD11)の投稿となります。

曲目・演奏家・録音データは以下の通りです。          

CD11

 ・シューマン:「マンフレッド」序曲 Op.115

 ・シューマン交響曲第1番 変ロ長調 Op.38「春」

  録音:2004年5月2日 アムステルダム・コンセルトヘボウ

 ・シューマン交響曲第3番 変ホ長調 Op.97「ライン」

  録音:2004年11月28日 アムステルダム・コンセルトヘボウ

 

オール・シューマンのディスク。交響曲はヨーロッパ室内管弦楽団と90年代半ばに全集のライヴ録音を残しています。

「マンフレッド」序曲は唯一の録音です。対向配置による弦楽器の掛け合いが活きており、中間部でカッコいいメロディーが出てきますが、くっきりと示してくれます。

この作品のように直接的に標題音楽ではないものの、暗示するようなタイトルが付いた音楽をきき手に理解させる表現力はさすがに上手いです。

次は同日の演奏会から交響曲第1番「春」。音のぶつかり合いや音のズレをそのスコアのまま音にしているようにきこえる演奏です。例えば第1楽章の第1楽章提示部のニュアンスは独特です。

巷間、シューマンオーケストレーションは下手という評価が定着しており、一般的な指揮者は全体の響きを重視し、バランスを整え小さく鳴らす、又は控えめに弾かせる(吹かせる)など、いかにその不具合を感じさせないように隠し、整理して演奏することがテクニックとされますが、アーノンクールさんはテンポの伸び縮みもフレージング自在に操ります。そしてパワーとたくましさがきこえてきます。

第2楽章も複雑に主要テーマが派生して楽章を構成していくことを教えてくれます。

第3楽章、アクセントと効かせるメリハリのある表現、テンポ変化の幅の大きさ、強弱の付け方にも個性を感じる演奏です。

第4楽章はやはり対向配置による演奏は重要な要素と感じます。第1主題の提示から弦楽器の掛け合いと、各テーマやモチーフが顔を出すのもきき取ることができます。

コーダの熱気はライヴという状況もあるのでしょう、気迫が感じられます。

交響曲第3番「ライン」

第1楽章のたくましさ―シューマンの「エロイカ」的シンフォニーと言われることもありますが、ここではそれにプラスαで陰影もきこえます。重奏される弦楽器と管楽器、それによる濁りというか影、曇り模様の空のような空気も感じることがあります。また、フト出てくる管楽器のソロには侘しさがあります。

6分くらいでホルンの吹奏と共にオーケストラのユニゾンで弾かれるところは「エロイカ」を意識させます。演奏もそれを意図していると思います。コーダでも同様なことを感じます。

第2楽章は民族舞曲風で、ライン河の畔で行われている集落の祭りの風景描写、のどかさを感じる音楽というイメージを持っていましたが、アーノンクールさんはもっと深掘りしていて、例えば後半部にある寂しさ―これは祭りのあとの静けさみたいなものまで感じさせます。はて?この描写はシューマンの夢想の中での出来事ではないだろうか。と思います。

第3楽章、このシンフォニーで一番中抜きしてもいいのでは?と思うくらい印象に残らない楽章。それ故、「春」と共に標題があるものの、イマイチ個人的には名作・傑作とは言えない作品です。構成力なら第4番となるでしょうし、シューマンらしさなら第2番となります。インテルメッツォとしてきけばいいのでしょうが・・・今回もその印象に大きな変化はありませんでした。

第4楽章ここで初めて出番となるトロンボーンが吹奏され、多声的なモチーフが重なり合い、まさに「壮麗」な響きがきこえてきます。金管のファンファーレや弦楽器は葬送音楽のような―ルネサンスや初期バロックの古い時代の音楽へのリスペクトにも思えます。

第5楽章やっぱり音の重複、突出、偏執的な反復、和音がダイレクトに耳に入ってきます。この音楽は祝典的といった言葉で解説されますが、私にはそのようにきこえてきません。第2楽章と同様にシューマンの頭の中で起きている幻影の祝典をきかされているような現実味の無い音楽にきこえます。これは楽章自体が大きな展開を構築していくことも無く、約6分ほどで終わってしまうので「夢幻の如くなり」の言葉が浮かんできます。

ブルックナーほどとはいいませんが、もう少しこねくり回した展開力が欲しいと思います―まあ、これがシューマンのオーケストラ楽曲の手法の限界でもあるのでしょう。しかし、これもまたシューマンの持ち味としておきましょう。

今回アーノンクールさんの演奏をきいてもこの交響曲への好みに変化はありませんでした。

あと、この完聴記も残すところ4枚となりました。今後もお付き合いいただければ幸いです。

演奏会~インバル/都響 マーラー交響曲第10番(クック版)

エリアフ・インバル氏と東京都交響楽団によるマーラー演奏。現在このコンビで感銘の深い音楽がきけないことはないでしょう。当然期待に違わないコンサート体験をさせていただきました!



【プログラム】

都響スペシャ

マーラー 交響曲第10番嬰へ長調(デリック・クック補筆版)

指揮:エリアフ・インバル 東京都交響楽団

2024年2月23日(金曜日) 開演 14:00 東京芸術劇場

 

2014年3月に第9番をきき、同年の7月に今回と同じ第10番「クック版」をきき、2017年7月には交響詩「葬礼」(交響曲第2番第1楽章のプロトタイプ)と「大地の歌」をききました。どれもが忘れられない経験となり、幸運にも人生において再び第10番をきけるとは思いもしませんでした。

出発時は長野県松本市も前日からの降雪で、無事に高速バスが運行するか心配していましたが、定時よりも若干早く新宿バスタに到着しました(演奏会チケットは発売日からあまり経過せずに購入していましたが、バスのチケットを取るのが直前となり、3連休初日であったため予定していた時間より遅い便のプレミアシートとかいう高い席ひとつしか空きがなかったので渋々の購入となり、心配と失敗が重なりましたが、それも演奏をきいて全てご破算になりました!)

 

高齢とは思えない歩みで指揮台にインバル氏が登壇、会場に緊張と高揚の入り混じったライヴでしか味わえない空気感に快い感覚を覚えました。

第1楽章冒頭はヴィオラ群の合奏による非常に難しそうな提示部、そのヴィオラ特任首席奏者の店村眞積さんが退任されるとのこと。本日はそのラスト・ステージ。ヴィオラ奏者たちにも様々な思いが込められての演奏でしょう。こちらも呼吸することすらためらいながら緊張してききました。そういった聴衆の方は多かったようで、空気も張りつめたものでした。

*店村さんはもっぱらNHK交響楽団の奏者というイメージで、N響アワーなどのTVで昔からお見かけしており、オーケストラのヴィオラ奏者としてはお顔馴染みの方です。

さて、そのヴィオラの提示部ですが、やや冷たさがあり、ピンと張りつめたもので、古今のシンフォニーの中でも結構珍しい編成による開始ではないでしょうか?そこに虚無の彼方から他の楽器が加わってきます。その思わず息をのむ絶妙なアンサンブル、そこに表現力が伴っていて、嘆き、憧れ、ため息のような息遣いがそのままきき手の耳に沁みこんできました。

第2楽章から第3楽章は動きのある音楽が続き、まるであの世とこの世の中間で彷徨っているかのようですが、管楽器の苦渋に満ちた笑い声や皮相的な表現、グロテスクなまでの踊りが巨大の音の塊のようになって会場に鳴り響いていました。

終楽章は交響曲第9番で「死」を描き、この第10番では「死後」の世界からの言霊のようで、音楽が肯定的に感じます。大太鼓の衝撃的な打撃から審判の日を思わせるチューバの吹奏、フルートによって導き出される天上からの使者の歌、そこから第2楽章から第3楽章できいたグロテスクな踊りを思わせる音楽が回帰して死の迎えが来たように断末魔の叫びのような音楽ーここでの各奏者の妙技!そこから静かさが訪れが生と死の境目を表しているようなー

その先できこえてくる音楽からは、東洋的な表現をするなら、彼岸に行ったマーラーがアルマに向かい、静かに微笑みかけながら見守っているような印象を受けます。それは浮遊感―地に足が着いていないような感覚からききことができます。

コーダにおいて弦楽器の弓がゆっくりと動き、離されていくと共に音が会場全体に解き放たれていく余韻―これは第9番の終楽章や「大地の歌」の「告別」にも通じる音楽の充実感がありました。それは第一級の指揮者とオーケストラにより成せる響きであります。そして曲が終わった後の会場に包まれた静謐な空気―熱気はありながらも―そこに湧いてくるような拍手。こういった環境で音楽をきける幸せを感じました(熱狂的なブラボー・マンも居なかったのでヨカッタ)

*オーケスラメンバー、特に弦楽器奏者(ヴィオラ奏者)の皆さんはこの時を少しだけでも永くしたいような、名残惜しさもあるようなボウイング。この余韻も素晴らしかったです。

エストロに捧げられた拍手のみならず、オーケストラ奏者への拍手、そして退団される店村さんのセレモニーにもなった舞台を含め、会場が一体となった東京芸術劇場でした。こういった経験は地方都市のホールではとてもできないことだったので、良い経験となりました。

インバル氏はこの作品を結構速いテンポで―個人的な聴取感覚ではありますが、10年前にきいたときより第1楽章が終わったかと思うとあっという間に終楽章に到達した気がして、より速くなっているのでは?と思いました。その分、演奏の技術も含めた濃縮度は今回の方が高くなっています!!それにこちらも10年前の実演体験以降、その時のライヴ録音等を含め他の演奏を何回かきいたことで、聴取に対する意識の変化も当然あると思いますが―

それもあってか、明晰で細部まで、またフレーズのひとつひとつまで光が当てられるため、どうしても補筆作品故の足りなさ・欠陥が露わになってしまう瞬間を感じました―これはやり方は違ってもチェビリダッケがブルックナーを始めとした作品を晩年になるに従い顕微鏡で観察するかのように、一音一音、フレーズ毎を徹底して表現の限りを尽くそうとしたが為に、その名演として名高いブルックナーでは作品がブツブツと分裂してきこえ(裂け目が晒され)、他の作曲家の場合、きき流していた作品の弱さ・欠点・内容の無さを逆にはっきりときかせてしまったりとしたように、インバル氏を始めとした往年の指揮者達との演奏実績を残し、一流の技量を持った都響であっても第2楽章以降の完成度・感銘度で音楽の究極の到達点に物足りなさを残していることも知ることになりました。

1936年生れなので今年で88歳、日本風にお祝いをするなら「米寿」。指揮姿はもちろん、10年前にきいたときよりも第3楽章~第4楽章における複雑なリズムも難なく振っており元気なご様子です。そして先にも書いたようにテンポ感覚が衰えていない!これから第3次のマーラー・チクルスを年1回ペースで進めていく長い道のりが始動するそうです。

ベームカラヤン、それにバーンスタインなどは年齢を重ねるごとにテンポが遅く、重くなっていきましたが(それにより新しく生まれた演奏もありましたが)、それとは逆の方向に向かっているインバル氏、もうひとりの長老指揮者ブロムシュテット翁(怪我からの復帰をお祈りしております)と共に今後の活動を期待しております。

 

【アーカイヴ】演奏会~都響スペシャル インバル指揮 マーラー:交響曲第10番(クック版)

今回は既にXで告知した通り、2月23日(金)のエリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団によるマーラー交響曲第10番(クック版)の公演(都響スペシャル~於:東京芸術劇場)の感想記を明日の夜に投稿する予定ですが、10年前に同コンビによる同曲の演奏会の感想記を別ブログに投稿していました。
Hatenaa Blogへ記事の引越しも兼ねてアーカイヴとして再投稿となりますが、お付き合いいただければ幸いです。

 

都響スペシャル~エリアフ・インバル指揮によるマーラー交響曲第10番(クック版)の演奏会をきくため地方より上京してきました。

於:2014年7月20日(日曜日) 14:00~ サントリーホール

マーラー交響曲第10番は一昔前までの「マーラー指揮者」といわれたバーンスタインテンシュテット、そしてアバドマゼールといった人たちはマーラーの総譜が完成している第1楽章のアダージョのみを演奏するのが一般的であったのに対して、現代の指揮者たちはイギリスの音楽研究家デリック・クック(1919~1976)が補筆完成させた、いわゆる「クック版」といわれる全5楽章のものを演奏するのがメジャーになりつつあるというか、きき手もキワモノをきくみたいな感覚を持つことなく接するようになりました。

それにはこのヴァージョンの普及に貢献したと思われるサイモン・ラトルを筆頭にリッカルド・シャイーそしてインバルなどによる演奏・ディスクの影響が大きいと思います(他にも違う版で演奏している指揮者まで含めるとこのシンフォニーをめぐる現況は百花繚乱といったところで、きき手が望めば色々な楽しみ方をできます)

そのラトルやシャイーが一貫してクック版しか取り上げないのに対し、インバルは当初1980年代の後半にフランクフルト放送交響楽団マーラー交響曲全集を手掛けた時は第1楽章アダージョのみでしたが、クック版に価値を見出したそうで全集補完のようにして1992年にレコーディングをしました。

今回も基本的にそのヴァージョンで演奏しているようでした。しかし、「クック版」といってもこれまた一筋縄ではいかず、クック自身が亡くなるまで改訂を繰り返していて、それに加え彼の死後も周りの人たちも手を加えているのでクック版にも異稿が存在するそうです。そして取り上げる指揮者も自分オリジナルで異稿から取捨選択して演奏するので専門家でないと「どこがどう違う」ということまで判りません。

私のような素人でクック版を他人の手掛けた「マガイ物」という見方をしてきて、熱心にきいてこなかった人間には版についてどうこうという力は持っていないので、演奏会で鳴っていた音楽についてのみの感想です。

第1楽章、始めヴィオラのみで呈示される序奏テーマでの緊張感ある音、これにより一気に曲への集中力が高まります。続くヴァイオリンの第1主題の美しさ!激しく心を揺さぶられ音楽に引き込まれていきます。

後半できかれる不協和音―これは終楽章でも響くすごい音―丸ごと音がブロックになって胸にどっしりとしたものを投げ込まれたような重厚感―それと一転して静かで浄化されたメロディーの出現がまるで絶望とか破滅といったものを表現しているみたいで、この最強音と弱音のコントラストの手法が他のマーラー作品では思い浮かばないので、新しくてとても惹きつけられました。

そしてこの交響曲はその間に動きのある3つの楽章―第2楽章スケルツォ―第3楽章プルガ・トリオ―第4楽章スケルツォアレグロ・ペザンテがありますが、どれも熱気があり、マーラー流のアイロニーやドロドロした所を的確で立体的にきこえてきました。ホルンをはじめとする金管群、フルート、オーボエなどの木管群、ティンパニを筆頭に活躍する打楽器群も輝かしいものでした。第4楽章~第5楽章で注目される大太鼓奏者は女性でしたが、もの凄い打撃音を繰り返し鳴らしてくれて、何か筋トレしているのでしょうか?

彼の録音として存在するフランクフルト放送交響楽団とのディスクと都響の演奏と比較すると(セッション録音とナマとの大きな違いはありますが)弦楽器のちょっとネバっこいところや管楽器のフレーズなどでもきかれる―ユダヤの宗教的なものなのか、彼自身が本来持っていたものかわからないのですが―マーラーらしい歌いまわしがきこえてきてインバルの許で緻密な演奏技法(このあたりは重箱の隅をつつくと感じる方もいるかも知れません)をマスターしていると思いました―いうまでありませんが、都響にとってレパートリーを考える時、マーラーは最重要なものでしょうから―パンフレットによると第10番(クック版)は既に1976年にシベリウスの大家といわれた渡辺暁雄さん―1987年に若杉弘さん―1997年にはインバルと取り上げてきたそうですのでその自負もあると思います。それは、終演後の舞台上の楽団員の方たちに様々な意味で難曲といえるこのシンフォニーをやりとげた達成感と心地よい疲労感が漂うものが印象的でした。

本公演も他のマーラー・シリーズと同様に録音されるのでしょうか?発売されるのが楽しみなディスクとなります。このようなレベルでこの作品が演奏されるようになると、今後マーラーの第1番~第9番交響曲と同列できかれ、語られていくことでしょう。

演奏会~北村朋幹 ピアノ・リサイタル~オール・リスト・プログラム

ピアノ・リサイタルに出掛けるのは何年振りだろう―それも個人的には遠いところにいる作曲家リスト―「巡礼の年」は知られてはいるものの、第1年と第2年の全曲をきけるチャンスは―それもこんな地方都市で―よい経験となりました。

北村朋幹 ピアノ・リサイタル

オール・リスト・プログラム

「巡礼の年」 第1年「スイス」&第2年「イタリア」 全曲リサイタル

2024年2月17日(土曜日) 開演 15:00 松本市音楽文化ホール

北村朋幹 ピアノ・リサイタル - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

北村朋幹 ピアノ・リサイタル 巡礼の年 - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

先月開催されたプレ・トークにおいて北村さんが好きな曲集と仰っていた、第1年「スイス」は、リストと当時恋愛関係にあったマリー・ダグー伯爵夫人との逃避行ともいえるスイスへの旅路における心象風景、彼の標題音楽への志向と通じる印象を受けます。

そして、当時女性文学家としても有名だったダグー夫人の影響から貪欲に文学知識を吸収した成果は、曲の題名だけでなく作品自体にも反映されていると感じます。

また、北村さんがプレ・トークの時にヘルマン・ヘッセの「郷愁(ペーター・カーメンチント)」を読むことを薦められていたので読んでおきましたが、確かにその作品中で描かれたスイスの自然描写が音楽と重なる瞬間がありました。特に第6曲「エグローグ(牧歌)」~第7曲「郷愁」~第8曲「ジュネーヴの鐘-夜想曲」(以下、曲名の標題は今回会場で配布されたプログラムに準じた名称で表記します)においてその風景と空気が伝わってきました。

休憩後の第2年「イタリア」はリストが再びパリに戻り、ライヴァルとなっていたタールベルク(1812~1871)と「鍵盤上の決闘」いわれた演奏試合を1837年に行い―この結果は「タールベルクは世界一の、リストは唯一のピアニスト」ということとなり、両者は和解したそうですが・・・を経て、自身を正に唯一のヴィルトゥオーゾ・ピアニストの自我・自覚をした頃にイタリアへ演奏会に出掛けた際に書かれた作品です(既にダグー伯爵夫人との交際は別離へと向かっていました)

そういった背景を知りながらきくと、「ピアニスト・リスト」自身を意識しながら書かれているように思います。

「スイス」よりも超絶技巧のみならず表現力も要求され、第1年「スイス」より変化・成長が当然あり「見(観)られる」こと「魅せられる」ことが先行している作品集ということがうかがわれます。

そのことを事前のプレトークまで開催した北村さんが、ふたつの曲集を一緒に弾く意味があること示してくれたのがこのリサイタルといえます。青年リストの成長の記録として―彼は後年までこの作品集に繰り返し改訂を加えたそうです(もとよりリストは改訂癖がある作曲家のひとりですが・・・)そこにはこの作品集に忘れることのできない思い出やアイデンティティへと遡ることでもあったのでは?とも示唆してくれました。

北村さんは第1年「イタリア」をメリハリがあり、彫の深い弾きぶりできかせてくれました。

第1曲「婚礼」のAndante quietoでは宗教的コラールのような崇高さ。

第3曲「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ」の明るく活発なリズムはリストの時代よりももっと昔、ルネサンス期の音楽のようにきこえてきます。これは北村さんが古楽器演奏への造詣がふかいこととも影響しているのではないでしょうか?他にもスカルラッティソナタのような粒立ちの良いクリアな響き感じる楽曲もありました。

第7曲「ダンテを読んで・ソナタ風幻想曲」は曲集の中で最も長大で、構成もガッチリしており、マラソンの最後で傾斜のきつい坂道を走るような―弾き手にとっては最難関ともいえる曲です。

冒頭の地獄落ちの表現と言われる低音への下降音型から25小節からのゾワゾワした不安感、Presto agitato assai になってからの恐怖や悪魔か魔王の出現を感じるような和音、Allegro moderatoでは「狂」といった空気が漂いました。

そして、そこかしこにベートーヴェンの音楽からインスパイアされたと思わしき楽想がきかれます。

例えば、Presto agitato assaiにおける「♫ ♫」の和音からは「エロイカ・シンフォニー」のフィナーレの冒頭を連想しました。

そして、曲の終わりAllegro vivaceになってからの打鍵の迫力、ここで「超絶技巧のリスト」面目躍如ともいえる弾きぶりでヴォルテージが上りました。そしてAndateとなり、FFFからのトレモロによるコーダ。

ホール備え付けのピアノで弾かれていましたが、ホール全体に艶やかな余韻が響きました!

リストの音楽はもっぱら超絶技巧が音楽の前面に出てきて、同じピアノ作品を多く書いたシューマンショパンよりも「音楽の質」としては落ちると思っていましたが、北村さんの演奏をきいて内相的で静かな美しさも持った音楽であったことを発見できました。また、楽譜を見ただけでは複雑すぎてどうやって弾くのだろう?と思っていた運指も理解できました。

音楽をきいてこういった発見や気づきの体験ができるたことは、素晴らしい演奏家との出会いがあってこそであります。

北村朋樹さんには是非、再び松本でリスト周辺作曲家との関連作も含めた、第3年と第2年の補遺「ヴェネツィアナポリ」のプログラムを弾いていただきたいです。できれば第1年「スイス」のプロトタイプでレアな作品集「旅人のアルバム」もお願いをしたいです。

Selct Classic(13)~J.S.バッハ:半音階幻想曲BWV.903

この半音階幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903は1,100近くある作品のうち自筆譜が存在せず、正確な作曲年代も判明していません。

一応、1717年頃のワイマール時代もしくはケーテン時代(1717年~1723年)に作曲され、1730年頃に改訂が加えられたということになっています。

この曲にはいかにもバッハらしいガッチリとした構築力で真面目な姿をした音楽と、後のヴィルトゥオーゾ的な音楽の先駆けみたいなものと共に、力強い意志も感じるところに魅力があると思います。

作品は「幻想曲」と「フーガ」のふたつの部分から成ります。

「幻想曲」の部分は既に後世の曲を知ってしまっているからかもしれませんが、疾風怒濤期といわれる時代のバッハ・ジュニア(特にフリーデマンとカール・フィリップ)やハイドン、もっと新しい時代ではベートーヴェンのピアノ・ソナタなどにも影響を与えているように思います。

「フーガ」はバッハの代名詞、キッチリと構築された音が織り成す高い次元の音楽が形成されていきます。曲後半になるとききてに一段と集中力を要求する空気になります。

そして、この曲からは、雪が少ない地方に住んでいる方は実感しにくいと思いますが、冬の風の強い日に遮蔽物の無い平地を、ゴーゴーと音をたてながら巻き上げた雪がこちらに向かってくる風景が重なり、この寒さがいちばん厳しい時期にフト思い出す曲です。

【Disc】

弾き応え&きき応えある曲なので昔から多くの名手が手掛けており、ランドフスカの初期古楽器演奏家、フィッシャー、ケンプ、それからブレンデルやシフなど、古楽器系ではヴァルヒャにはじまりレオンハルトピノック、シュタイアーなどの録音があります。

意外にもグールドの録音は耳にも目にした事がありません。

私が最初にきいたのはカール・リヒターです。オリジナル楽器愛好家からはとかく評判の悪いヴァルヒャと同様にモダン・チェンバロによるものですが、かき鳴らされるが如く弾かれる音に体と脳が刺激される緊迫感がイイです。

もうひとつおすすめが、注目すべき若手の優秀なピアニストが沢山最近出てきていますが、そのおひとり亀井聖矢さん。

是非YouTubeの動画を観てください。

ピリオド奏法も学習(意識)されている事を感じる、ピアノによる現代的な表現方法の演奏をきくと中途半端にチェンバロで弾いた演奏よりも発見があります。

他にも皆様のおススメ演奏があればコメント等をお願いいたします。

 

不定期投稿:最近のお買い物から

大手ディスク・チェーン店のHMVさんが中古ディスク販売・買取を手掛けているので、昔買い損ねたディスクや、名盤と言われながらもきいたことの無いディスク、知らない作曲家や演奏家のディスクを廉価で購入することができるのは大変ありがたい事で、利用をさせていただいています。

その中古で購入した届きものディスクの投稿にお付き合い下さい。

モーツァルト:宗教音楽全集(13CD)

指揮:ニコラウス・アーノンクールウィーン・コンツェントゥス・ムジクス

    

80年代に録音したレクイエムやミサ曲ハ短調(大ミサ曲)にはじまり、90年代にポツポツと発売されていた宗教音楽のコンプリートBOX。初出時に購入していたものの、財布と発売ペースが追い付かなくなり途中で断念(90年代は結構な新譜と再発売が毎月ありましたね)そして、単体のディスクは大ミサ曲やレクイエムを除き、現在では廃盤になっています。

正規に買うと5,000円~7,000円位ですが、3,000円を切る価格で入手できました!でもCD13枚!全てきき終わるのはいつになるのか・・・改めて「完聴記」シリーズでアップできればと思います。

     

     

箱を開けてビックリ!このジャケットデザインからは、モーツァルト~宗教音楽~アーノンクールの関連も無いデザインにWarnerのセンスを疑います。。。TELDECからの初出盤は宗教画を使用したものだった記憶があるので・・・。

 

ベートーヴェン弦楽四重奏曲全集(7CD)

 アルバン・ベルク弦楽四重奏団

     

発売時から名盤として名高い第1回目の録音全集(旧録音)。私のベートーヴェン弦楽四重奏曲体験はスメタナとブタペストで、アルバン・ベルクの演奏は新旧の録音を何曲かきいたことがあるのみでした。こちらも600円!程だったので、きき比べ用として購入。

 

シューベルト:劇音楽「ロザムンデ」(全曲)

 指揮:カール・ミュンヒンガーウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 他

       

もっぱら序曲・間奏曲・バレエ音楽の一部しかきいたことが無く、録音・演奏も含めアバド&ヨーロッパ室内管弦楽団盤を探していますが、入手が困難なので第二候補です(作品の性質上、抜粋盤はありますが、全曲録音のディスクは点数も少なく、現役盤も少ないのです)

バロック音楽の専門家というミュンヒンガーですが、ウィーン・フィルと共演したこの演奏は評判も良かったと思うので興味があります。

 

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番・第2番

 ピアノ:クラウディオ・アラウ

 指揮:カルロ・マリア・ジュリーニフィルハーモニア管弦楽団

       

吉田秀和さんの著書でも紹介されており、アラウは好きな往年のピアニストなのでいつかきいてみたいと思っていました。

同時期に録音されたブラームス交響曲全曲も含めたシリーズだったようです。余白に「悲劇的序曲」と「ハイドンの主題による変奏曲」がカップリングされています。

ケースに割れもあるせいでしょうか、2枚組300円を切った価格で入手しました。

 

ブラームス:ピアノ小品集

 ピアノ:グレン・グールド 

      

1960年、グールド28歳の時と、最晩年の1982年に録音されたバラード、ラプソディ、間奏曲集。

曲目と収録時間の関係からか、CD時代になっても1枚に収められず、繰り返しカップリング変えで再発売されてきました。そのためこちらのCDを買えばあの曲がきけず、あちらのCDを買えばこの曲がきけず(それも2曲くらい)の少しイライラが募るグールドのディスクでしたので、廉価なので重複承知で購入(1982年録音の作品10のバラード2曲のために!)

1960年に間奏曲を全曲録音しておいてくれれば、問題なかったんですよグールドさん!でもこのブラームス、作品はもちろんとても好きな演奏です。

 

ワーグナー・ライヴinザルツブルク

 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤンウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ソプラノ:ジェシー・ノーマン

       

昔観たカラヤンの映像作品「カラヤンinザルツブルグ」の冒頭で田園風景の中をスポーツカー(ポルシェ)を運転するカラヤンの映像の背景に「タンホイザー」序曲(巡礼の合唱のテーマ)が流れていて「カッコいい!」となってしまい、以降その刷り込みの印象がから「タンホイザー」序曲=ドライブ音楽というイメージになってしまいました。

このワーグナー・コンサートはその「映像収録に連動してライヴ録音された」とディスクとジャケットに明記されています。晩年のカラヤンは映像収録と連動した録音収録もしており、ベートーヴェン交響曲全曲をはじめ、恐らくブルックナードヴォルザーク交響曲などもその類だったのでは?と思いますが、映像ディスク&録音ディスクのダブル(上げ底)でお稼ぎになっていたようです。

この演奏会は「タンホイザー」序曲~ジークフリート牧歌~「トリスタンとイゾルデ」第1幕前奏曲ジェシー・ノーマンを迎えた「愛と死」というカラヤン流の短いプログラムですが、こういったプログラムでよく組み入れられる、やたら戦闘的な「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲や「ローエングリーン」第3幕への前奏曲が演目に入っていないのが卓見です。

以上、中古ディスクをまとめて購入したものが届いたのでアップしました。

小澤征爾さん追悼

2月6日(火)指揮者の小澤征爾さんが亡くなりました。

私の彼への印象は別途2回に分けて当ブログに投稿した通りです。

セイジ・オザワ松本フェスティバルへの独り言① - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

セイジ・オザワ松本フェスティバルへの独り言② - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

また近年は指揮台に登ることも皆無だったので、個人的な音楽家の分類でいえば既に過去の人という扱いになっており、亡くなったというニュースを知った時もそれほど感慨もありませんでした。

しかし、今朝(2月11日付け)の朝日新聞朝刊は小澤征爾さんの死去の追悼にかなり力を入れていたのでそのことを中心に投稿をしてみようと思います。

紙面の第2面の約1ページ近くを使い村上春樹さんの追悼寄稿「小澤征爾さんを失って」が掲載されていることです。

多数の情報を掲載しなければならない大手新聞において、ひとりの音楽家の死去だけで一流作家の追悼寄稿(それも長文の)を掲載するのは驚きです。

著作権の関係もあるかもしれないので写真は記事の一部です。

おふたりの親交は「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮文庫)を読み知ってはいましたが、今回の寄稿もそこに書かれていた交流エピソードの延長を読んでいるような感覚になりました。

多忙な村上春樹さんではありましたが、分野は違ってもその盟友の死から約1日で、これほど心の込められた追悼文を書き上げてしまうことにふたりのつながりの深さを感じました。

もうひとつの追悼記事は指揮者・秋山和慶さんが同じ斉藤秀雄門下生として師事していた時の想い出を中心に語ったものも掲載されています。

地元版(信州)はセイジ・オザワ松本フェスティバルの開催地でもあるので、長野県内の記事でも大きなスペースを取って「上げ」記事を載せています。

その記事を読んで地元民としてはこのフェスティバル、名称はもちろんその内容や運営を含めた存続についても考えていかなければならない時期に来ているのでは?と思いました。できれば彼の存命中に何らかの後継者も含めた対応をしておいた方が良かったと思います。人間の退き際の見極めって大切ですよね。

ということで小澤征爾さんの追悼について書きましたが、私の興味はあくまで村上春樹さんを通じての小澤征爾さんでしかないのでこんな感じの投稿になります。あとは、東京FMで放送されている「村上RADIO」で追悼番組の企画でもしていただきたいと思っているのが今の希望です。

村上RADIO - TOKYO FM 80.0MHz - 村上春樹 (tfm.co.jp)

私もいつもクラシック音楽ばかりきいているわけではなく、村上春樹さんのお声をききたくてこの番組もお気に入りです。

小澤征爾さんの追悼が村上春樹さんの話題になってしまいました。

お付き合いいただきありがとうございました。

追記:フェイスブックウィーン・フィル小澤征爾さん追悼の投稿がありましたが、間違いがあります・・・私のスマートフォンの翻訳機能の問題か?それとも結局、海外から見れば「世界のオザワ」といってもこの程度の認識なのでしょうか?

 


完聴記~アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウBOX⑤

今週はアーノンクールロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による未発表放送録音集の完聴記シリーズVol.5(CD9・10)の投稿となります。

曲目・演奏家・録音データは以下の通りです。                                  

CD9

 ・シューベルト交響曲第8(9)番 ハ長調 D.944「グレイト」

  録音:1992年11月11日 アムステルダム・コンセルトヘボウ

CD10

 ・シューベルト交響曲第7(8)番 ロ短調 D.759「未完成」

  録音:1997年11月1日 アムステルダム・コンセルトヘボウ

 ・ブラームス交響曲第1番 ハ短調 Op.68

  録音:1996年3月24日 アムステルダム・コンセルトヘボウ

同時期に同じコンビでTELDECにシューベルト交響曲全集を録音しており、この「グレイト」のみはライヴレコーディングとなっていたので、同一録音or別日演奏会でしょうか?私の耳では判別はできません。音響や残響が異なるので実演と録音のマジックというか、音楽をきくうえで録音物には注意しなければいけないところです。

さて、第1楽章の木管オーボエ)の吹くメロディーは胸が締めつけられるような寂しさと哀愁、孤独が伝わってきます。そしてフレージングの流れも人間の呼吸を感じます。そこに全体を覆う影、たくましさもありますが、やっぱりそこには暗さがあります―これは第7番「未完成」交響曲にも通じるイメージを抱きます。

第2楽章、ここでも木管のメロディー・ラインが強調という程ではないですが、印象的に取り扱われており、当時としては注目すべき規模と音楽性を持った作品であったことを教えてくれます。

大胆ともいえる弦・木管楽器の扱い―これは全曲を通じていえる事でありますが、ベートーヴェン交響曲第9番と時期を同じくして、それも30歳そこそこの作曲家が(当時は無名の)書いてしまった事に驚きです。

第3楽章、起承転結でいう「転」であるので一番軽く短めという扱いであるが、この演奏では約14分!(第1楽章と同等・第2楽章より長い演奏時間!)スケルツォ楽章も存在感を増してくるのはベートーヴェンを経てシューベルトが引き継いだことになります。それがブルックナーマーラーへとつながっていくことになります。

第4楽章フィナーレ。この楽章は前楽章からの空気がそのまま流れ込んできたような―この演奏では第3楽章からほとんど切れ目なしに突入してきます。繰り返しと反復、舞曲風のリズムが核となり発展、それが波状攻撃のように襲ってきます。フーガ的な展開もきかせ、音楽が「てんこ盛り」状態になり、キャパオーバーみたいな熱狂が増幅されていきます。

ワーグナーベートーヴェン交響曲第7番を「舞踏の神格化」と比喩したならば、この「グレイト」は「狂への舞踏」といえます。これはマーラー交響曲第7番の終楽章にも感じる「熱狂」と「死」、目の前に迫った悲劇・災難を見て見ぬふりなのか、知っているからこそなのか、踊りながら発狂しているような演奏です。

特にコーダに向かっての盛り上げ方はそれを実感します。

そして最終の和音は消えるような終わり方=デュミヌエンドしているのも特徴的な表現です。

CD10

シューベルトの「未完成」交響曲から―第1楽章の深刻さ、そして憧れ・想いが断ち切られ、苦悩して闇まで堕ちていく様が生々しく描かれます。アーノンクールさん手にかかると通俗交響曲としてきかれてきたことへの反発が感じられる演奏になっていると思います。

第2楽章では金管楽器がコラールのように吹奏されるとき、他の演奏ではきこえない和音をそっと浮かび上がらせます。再現されるときも同様で、これが地上への未練のようにきこえるのは私だけでしょうか。

66小節・96小節の展開部の変化も安らぎが訪れたかと思わせての緊張感・恐怖や悲しみが一度に訪れるような表現も印象的です。

他にも練習番号「E」ではベートーヴェンの「エロイカ」シンフォニーの第2楽章(これもいうまでもなく「葬送行進曲」と名付けられている音楽です)を連想する瞬間があります。

このようにきいてくるとアーノンクールさんは第1楽章が「死」、第2楽章が「天上の世界(死後の世界)」を描き、ふたつの楽章で完結した交響曲として解釈しているのでしょう。

また、彼はウィーン交響楽団とヨーロッパ室内管弦楽団とも複数の録音を残しているので改めてきいてみようと思います。

つぎはブラームス交響曲第1番。ベルリン・フィルとの全集ライヴもディスク化されていますが、天下一のオーケストラのため必要とするリハーサル時間が取れなかったのでしょうか?アーノンクルール節が徹底されておらず、アーノンクールさんとしては珍しく!?どことなく「借りてきた猫状態」の印象を受けました。

でも数多あるブラームス交響曲全集では異色のモノのひとつといえます。できれば2000年代にベルリン・フィルとリベンジマッチか、このアムステルダム・コンセルトヘボウとの再録音を残してほしかった!

一般に第1楽章の開始はティンパニがガンガンと叩かれ、弦が唸るような響きで弾くような、ベートーヴェン交響曲の呪縛?怨霊?から逃れる―この作品のエピソードで必ずいわれるベートーヴェン交響曲を意識しながらやっと書き上げた第1番交響曲―それを表現したような演奏が多いですが、この演奏ではその逆。

全く力コブが入っていないスマートな開始です。そのような開始に「何じゃこりゃ??」となる方もいらっしゃるでしょうが、別の面からきけばむしろシューベルトシューマンとの近親性を感じるでしょう。

厚ぼったくてうっとおしく感じる響きから解放され、各楽章をクリアに響かせ、腰の重いリズムにせず、スコアに書かれているモチーフやアクセントを的確に演奏するとこのようにきこえるのか!と驚きました。

いわば今までの演奏の伝統があまりにもベートーヴェンを意識していた説に因りすぎていたと思わせます。

スコアを見ながらきくとここにアクセントがあったのか!とか、この楽器だけピアノになっている、だからだんだん弱くなっているようにきこえるのか!などの発見もありました。

アーノンクールさんの創る演奏は人工的・ギクシャクしているという意見もありますが、それは一面だけで、このブラームスにおいても人間が生きて動き、呼吸する感じとテンポ・リズム共に合致しているようにきこえます。

終楽章においても、汗かきミュージックのような熱気と勢いだけで片づけるような演奏でなく、全体の構成を見渡しながら終止部に向かっていくのもいいです。

とかくベートーヴェンの影響云々といわれるこの交響曲ですが、むしろブラームスの憧情とシューマンの詩情がミックスされたシンフォニーだと気付かせてくれる演奏です。

以上、今週は完聴記シリーズの投稿でした。

お付き合いいただきありがとうございました。

シューベルト:歌劇「フィエラブラス」~クラウディオ・アバド没後10年①

シューベルトのオペラときいてピンとくる方はクラッシク音楽きく方でも少ないのではないでしょうか。

かく云う私もそのひとりです。

もっぱらシューベルトの劇音楽は台本・音楽も含めて駄作という烙印が押され、このジャンルに限らず、未完や断片が多いこともありオペラ劇場の定番演目になっていません。この後に書きますが、作品自体が「オペラ」に期待するものとは違うので、上演にはハードルが高いかもしれません。

先週末の休みを利用して「フィエラブラス」の全曲をききました。

演奏者は以下の通りです。

カール王(バス):ロベルト・ホル

エンマ(ソプラノ):カリタ・マッティラ

ローラント(テノール):トーマス・ハンプソン

エギンハルト(テノール):ロバート・ギャンビル

君主ボーラント(バス):ラースロー・ポリガール

フィエラブラス(テノール):ヨゼフ・プロチュカ

フロリンダ(ソプラノ):チェリル・スチューダー

マラゴント(メゾ・ソプラノ):ブリギッテ・バリーズ

ブルタモンテ(バス):ハルトムート・ヴェルカー

オギエ(テノール):ペーター・ホフマン 他

合唱:アルノルト・シェーンベルク合唱団/管弦楽:ヨーロッパ室内管弦楽団

指揮:クラウディオ・アバド

録音:1988年5月 アン・デア・ウィーン劇場(ライヴ)

*語りの部分はカットされており、ストーリーを追うにはリブレットに記載された会話部分も読みながらきく必要があります(それも結構な文量!)

このディスク、私がまだクラシックをきき始めた中学生の頃に発売されてシューベルトにオペラがあったのか!という驚きと、アバドのような著名指揮者(当時はちょうどカラヤンの後任としてベルリン・フィルの常任指揮者に指名されたばかりでした)がメジャー・レーベルと録音をするのだからどんな作品(傑作?)なのだろうという興味があったもの、発売時の金額は約6,000円位しており、とても簡単に購入できるものではありませんでした。

その後、廃盤となったきり再発売もなかったのでずっと気になっていたアバドのディスクでした。

昨年の秋に偶然Amazonさんのサイトを閲覧していたら、輸入盤の中古が非常な安価で販売されていたので思わず「ポチッ」としてしまいました。

さて、その「フィエラブラス」は1823年に完成されました。同時期の作品には歌曲集「美しき水車小屋の娘」がありますが、その評価は正反対なものとなってしまっています。上演の予告はされたものの結局シューベルトの生前には上演されず、抜粋盤での上演はあったものの全曲の初演は1897年になってからで、一般にも知られるようになったのは、この1988年にウィーンで収録された上演からといえます。

ストーリーは対立するカール王の治めるフランクと、君主ボーラントが収めるムーアの2つの国家による宗教対立がベースとなり、相対する人物、男性の友情、恋愛が絡むものでありますが、その展開は感情の起伏が少なく、強烈なオペラ界において登場人物のキャラクターの性格付け、深みも無く、対訳は輸入盤であったので私的解釈訳でききましたが、言葉の重みや重要なセリフ、伏線回収のようなアピールもありません。

ハラハラドキドキのストーリー展開、素敵なアリアや人を酔わせるようなメロディーに彩られている―などのオペラを期待する人からすると期待を裏切られます。それが、作曲当時ウィーンでロッシーニ旋風に熱狂していた聴衆には受けないと考えられ上演されなかったのでしょう。

オペラにはヒーロー(英雄)がいて、ヒロインがいて、笑いを誘う狂言回しのような役もいる。そういった人物たちが織り成すストーリー展開に心動かされ、涙することもあります。しかし、このオペラはことごとくその逆をいくような「無い無いづくし」のオペラです。

まず、多くのききてが期待するアリアが極端に少ないです。タイトルロールに与えられたアリアは僅か1曲のみ!(だいたいにおいてこの「フィエラブラス」自身が存在感のない不思議な人物です)

それに対して二重唱・三重唱、合唱などアンサンブルが多いのが特徴です。その意味では当時としては異色のオペラ、シューベルトよりもずっと後の現代オペラのようです。

作品としてはモーツァルトの「皇帝ティートの慈悲」のやベートーヴェンの「フィデリオ」の残像を感じながらききました。

演奏は歌手全て一流が顔を揃えており、アリアもですが重唱の時の競演にはきき惚れます。アバドの指揮も意欲的で音楽表現も豊かでライヴの勢いそのままの流れが収められています。

オーケストラ起用がヨーロッパ室内管弦楽団だったのも成功だったと思います。

若手を中心としアバド自身も結成に関与し、シューベルト交響曲全集・ハイドン交響曲集といった注目する録音もしており、このような特殊なオペラ上演への理解を示し積極的な協力があったと思います(これが、ベルリン・フィルウィーン・フィルではそうはいかなかったでしょう)

序曲は暗い痙攣のようなトレモロから始まり、そう!未完成交響曲のような闇堕ちしそうな旋律。オペラの開幕というよりもソナタ形式による演奏会用序曲のようなきき応えがあります。

楽曲においてはクラリネットの活躍が目立ちます。ある時はオブリガートのように、ある時はユーモラスな伴奏者のように歌手により添います。他の楽曲おいてもオーボエやトランペットも特徴ある使用が感情や場面描写に役立っています。

どの音楽もシューベルトらしいメロディー豊富なものなので、それに耳をすませていればストーリーが理解できなくてもそれなりに楽しめますが、劇としてのききどころは第2幕くらいからでしょう。

第16曲では舞台裏のトランペット吹奏で軍隊の到着を表現していますが、これなんかはベートーヴェンの「フィデリオ」の大臣到着を告げる場面と重なります。

また、フロリンダ(君主ボーラントの娘、フィエラブラスの妹)が閉じ込められている塔の窓から騎士ローラント率いるフランク軍とムーア軍との戦闘実況中継みたいなメロドラマと名付けられた第17曲bでもベートーヴェンと通じる緊張感を持った音楽で戦闘描写を行うのですが、戦いの場面であっても決して大きい音や、絶唱ではない表現をしているのは、声楽を良く解っているシューベルトらしさを感じます。

第3幕、戦いがあり、愛も絡み、フィエラブラスのあまりの善人ぶり!?による誤解も解け、対立するふたつの国は宗派を超えてお互いに理解・和解して平和と君主の慈悲、喜びのうちに幕が下ります。

対立や恋愛の愛憎により主要登場人物が誰も死なない(殺されない)というのも安心できます。

そんな簡単な話ではないですが、現在の世界においても国家はこのようにありたいと思います。

不定期投稿:最近のお買い物から

不定期投稿のお買い物の投稿シリーズ!?にお付き合い下さい。

近くのリサイクルショップのLPレコードコーナーを覗いたら、以下のアイテムを入手したので投稿します。

*以前投稿したのと同じお店です。

 ブログ・アーカイブ

不定期投稿:最近のお買い物から - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

 

1.ムソルグスキー組曲展覧会の絵」/交響詩「はげ山の一夜」

 指揮:カレル・アンチェルチェコ・フィルハーモニー管弦楽団

以前投稿しましたが、チェコ出身の指揮者カレル・アンチェル

ブログ・アーカイブ

カレル・アンチェル没後50年 - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

もっぱら彼のレパートリーといえスメタナドヴォルザークヤナーチェクの「お国もの」が中心となりますが、ムソルグスキーの録音は知らなかったので資料用として入手しました。

 

2.ベートーヴェン交響曲第9番「合唱」

 ソプラノ:エリーザベト・シュワルツコップ/アルト:マルガ・ヘフゲン

 テノール:エルンスト・ヘフリガー/バス:オットー・エーデルマン

 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤンフィルハーモニア管弦楽団

カラヤン最初のベートーヴェン交響曲全集録音から。

ちょうど第1楽章を耳にすることがあり、こんなに引き締まっていながら、豊かなフレージングもきける演奏だったのか!と驚いたところでしたので購入。

歌手の顔ぶれから見てわかりますが、ウィーン(録音場所:ムジークフェラインザール)にロンドンからオーケストラを招聘して録音したものです。

第1番~第8番はロンドンにて録音しているので、第9番の為の贅沢な録音セッションです。歌手をロンドンに呼ぶという方法もあったと思いますが、プロデューサーのウォルター・レッグorカラヤンの録音会場も含めたこだわり、歌手のスケジュールの関係もあったのでしょうか?

また、この録音にはモノラルとステレオが残されていますが、このレコードはステレオです。

レコード番号はAW5524なのでオリジナルのEMI盤ではないと思います(ジャケット・デザインから想像するに、カラヤン名演集とかの頒布用廉価盤シリーズの1枚と思います)

もうひとつマニアック情報ですが、カラヤンはこの録音の約1か月前、6月25日と26日にウィーン交響楽団と第9番を演奏しています(独唱者はエーデルマンのみ重複、録音は残っていないようです)

 

3.ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」

 イ・ムジチ合奏団 ヴァイオリン:フェリックス・アーヨ

今更「四季」、それもイ・ムジチ合奏団の演奏!?とお思いになる方が多いと思います(昨年秋にも来日して全国公演したと思います。私の住む地方都市にも公演ポスターが貼ってありました)

昔々のベストセラー・レコードで、ヴィヴァルディの「四季」=イ・ムジチの代名詞といわれたそうですが、このアーヨのヴァイオリン盤はきいたことはありませんでした。

1990年代に実演&CDでききましたが、まさにイタリアの太陽と空気、悩みや苦しみのない明るく軽快な演奏でした。

こちらも資料&骨董品扱いで購入。そして、何より購入しようと思ったのはスコアが付いていたことです!

これで税込110円ですから、お得。

 

3.J.シュトラウスⅡ世:美しき青きドナウ他

 指揮:フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団

ライナーのシュトラウス演奏4曲(美しき青きドナウ・皇帝円舞曲・南国のばら・芸術家の生涯)とメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、ムソルグスキー交響詩「はげ山の一夜」(アンチェルのレコードと曲が被ってしまった!)

彼のシュトラウスのディスクは現役盤では手に入り難いので一部の曲でもきけるならと思い購入。但し、ジャケットは汚れが目立つので音質に不安が・・・見た目の盤面は比較的きれいですが・・・。

 

4.ベートーヴェン交響曲第6番「田園」

 指揮:パウル・クレツキ/フランス国立放送局管弦楽団

レコード頒布システムで知られている、コンサート・ホール・ソサエティのレコードです。

クレツキ(レコードの表記はポール・クレツキーになっています)のベートーヴェン??珍しい!と思い手に取りました。

クレツキの認識は、EMIにマーラー交響曲大地の歌」や「巨人」、シューマン交響曲全曲、各種協奏曲の伴奏指揮者くらいの記憶で、どちらかといえば「レコード会社の隙間埋め御用達指揮者」と思っていました(CDも廉価盤だったので)録音もきいたこともありません。

ジャケットも年季が入っており、盤質に不安もありましたが、この価格ならと思い購入(こちらも税込110円也)

*自宅に帰り盤面を確認しましたが、やっぱり傷等が目立ちます。ついでにクレツキについて調べました。

ベートーヴェン交響曲チェコ・フィルと1960年代に全集を録音しているそうです。また、生涯についても興味深いものがありました。

1900年にポーランドに生まれ、ベルリン・フィルにも20代にして客演するなど活躍も期待されていたそうですが、ユダヤ系であったこと、この年代に生きた全ての人間に影響を及ぼしたナチス・ドイツの台頭によりイタリアに逃れますが、ここでもファシスト党の迫害を受け、ソビエト連邦へ―しかしここでも赤の大粛清といわれる暗黒の時期にあたり、スイスに辿り着き市民権を取得し音楽活動をしたそうです。しかし、この間にドイツに残っていた両親や姉妹など親族はナチスにより殺害されています。クレツキ自身も精神の病になってしまったそうです。ヒトラームッソリーニスターリンの3人の独裁者に影響された人生―先のアンチェルとも共通しています。彼もナチスユダヤ人迫害により人生を狂わされたひとりです。現在の社会とも考えあわせると、戦争・人種差別がいかに人類にとって害悪でしかないと実感しました。

ふたりの共通点がもうひとつありました。没年が1973年だったことです。クレツキは3月5日にリハーサル中に急死されたそうです。

私が調べた限りは以上ですが、他に情報などをお持ちの方はコメントなどでご教示いただければ幸いです。

今回の買い物合計 LPレコード5枚 税込550円也。