音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

小澤征爾さん追悼

2月6日(火)指揮者の小澤征爾さんが亡くなりました。

私の彼への印象は別途2回に分けて当ブログに投稿した通りです。

セイジ・オザワ松本フェスティバルへの独り言① - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

セイジ・オザワ松本フェスティバルへの独り言② - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

また近年は指揮台に登ることも皆無だったので、個人的な音楽家の分類でいえば既に過去の人という扱いになっており、亡くなったというニュースを知った時もそれほど感慨もありませんでした。

しかし、今朝(2月11日付け)の朝日新聞朝刊は小澤征爾さんの死去の追悼にかなり力を入れていたのでそのことを中心に投稿をしてみようと思います。

紙面の第2面の約1ページ近くを使い村上春樹さんの追悼寄稿「小澤征爾さんを失って」が掲載されていることです。

多数の情報を掲載しなければならない大手新聞において、ひとりの音楽家の死去だけで一流作家の追悼寄稿(それも長文の)を掲載するのは驚きです。

著作権の関係もあるかもしれないので写真は記事の一部です。

おふたりの親交は「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮文庫)を読み知ってはいましたが、今回の寄稿もそこに書かれていた交流エピソードの延長を読んでいるような感覚になりました。

多忙な村上春樹さんではありましたが、分野は違ってもその盟友の死から約1日で、これほど心の込められた追悼文を書き上げてしまうことにふたりのつながりの深さを感じました。

もうひとつの追悼記事は指揮者・秋山和慶さんが同じ斉藤秀雄門下生として師事していた時の想い出を中心に語ったものも掲載されています。

地元版(信州)はセイジ・オザワ松本フェスティバルの開催地でもあるので、長野県内の記事でも大きなスペースを取って「上げ」記事を載せています。

その記事を読んで地元民としてはこのフェスティバル、名称はもちろんその内容や運営を含めた存続についても考えていかなければならない時期に来ているのでは?と思いました。できれば彼の存命中に何らかの後継者も含めた対応をしておいた方が良かったと思います。人間の退き際の見極めって大切ですよね。

ということで小澤征爾さんの追悼について書きましたが、私の興味はあくまで村上春樹さんを通じての小澤征爾さんでしかないのでこんな感じの投稿になります。あとは、東京FMで放送されている「村上RADIO」で追悼番組の企画でもしていただきたいと思っているのが今の希望です。

村上RADIO - TOKYO FM 80.0MHz - 村上春樹 (tfm.co.jp)

私もいつもクラシック音楽ばかりきいているわけではなく、村上春樹さんのお声をききたくてこの番組もお気に入りです。

小澤征爾さんの追悼が村上春樹さんの話題になってしまいました。

お付き合いいただきありがとうございました。

追記:フェイスブックウィーン・フィル小澤征爾さん追悼の投稿がありましたが、間違いがあります・・・私のスマートフォンの翻訳機能の問題か?それとも結局、海外から見れば「世界のオザワ」といってもこの程度の認識なのでしょうか?