音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

セイジ・オザワ松本フェスティバルへの独り言①

今年はもう間もなく閉幕しますが―既に30年くらい開催されているのでしょうか?

サイトウ・キネン・フェスティバルといっていましたが、いつのまにかセイジ・オザワ松本フェスティバルに名称変更しているのですね)

その開催地市民でありますが、行ったこともありませんし、行く気もありません。但し、今後登場する指揮者によっては別です(あの入場料を払うならプラスα交通費で、国内の常設オーケストラ公演の方がもっといい体験ができます!)

そのお膝元から批判的な意見を言うのも気が引けますが、こっそりここに書いておきます(書くことを整理していたら長文になってしまいそうですので、2回に分けて投稿させていただきます)

メイン会場の道を挟んだ場所にあって、30年以上お世話になっているクラシックディスク専門店(以前ブログに投稿した、最近閉店されたあのお店です)―このお店には地元の音楽関係者の利用も多く、フェスティバルの表裏を知る方々からの情報が入ってくるとのことで、ご店主の話など基にそれらのきいた事をまとめてみました。

このご店主とちょうどこのフェスティバルの初開催時、中学生だった時の担任であり、音楽担当教諭、私にとってクラシック音楽への導きをいただいた恩師にとって小澤征爾は眼中にない指揮者であり、このようなミーハー的な音楽祭ももちろん興味なく、その影響も大きく受けている面もある事をご理解下さい。

このフェスティバル開催時、ボストン交響楽団音楽監督の地位にいたもののイマイチパッとせず、ウィーン、ベルリン等にも登場してもこれといった決定打もない彼がやりたいように(要はわがまま勝手にコンサートや苦手なオペラを)出来る場を求めていた事と、地方都市の鹿鳴館思想が重なって始められたようなものです。

なぜ松本みたいな県庁所在地でもない一地方都市が開催地に選ばれるようになったかの理由はそこにあり、要は県庁所在地の長野市に負けたくない松本市の人たち(たぶん当時の松本市長なんかもそういった仲間だと思います)がお金いっぱい出してくれる企業を集め、専用ホールも作って見栄を張って、「どうか<世界の小澤征爾>さん松本にお越し下さい」と平身低頭で招き開催にこぎつけ、市長はその「業績」を残したいだけの発想から生まれたと考えます。その為、小澤征爾とその取り巻き=在団の言いたい・やりたい放題の運営になってしまいました(結局、松本市はその後も言われるがままに音楽ホールを新設し、今では市内に音楽ホールが3つもあり・・・といっても、通常は多目的ホールとしての使用、指定管理者運営に移行している建物もあります)

もう亡くなっている市長なのであまり言いたくはないですが、ある音楽会でちょうど私の前に座っていたことがあり、コンサート最後の曲の終わり近くに差し掛かると、後ろを振り向いたり、周囲を見回したり、急にそわそわして(当時中学生くらいだったのでこの人が市長とは知らず)大切なところで音楽に集中できず「このおじさんイラつくな&音楽解っているの?」と思っていました。そして曲が終わると花束を持った職員が後ろからやってきて、そのおじさんに渡されました。するとすたすたとステージに上がると、市長の花束贈呈式みたいなアナウンスがされ、指揮者に花束を手渡すと一緒に拍手を受けていました―子供ながらに「こういう人なんだ」と感じるものがあり、選挙権を行使できる年齢となった後も彼には投票しませんでした。

それにもうひとつ、政治家絡みで―社会人になってから帰宅の電車で県会議員(その時は知事だったかな。こちらも亡くなった方です)とも相席になったことがあり、恐らくいま聞いてきたサイトウ・キネンのコンサートの話を奥様とパンフレットを見ながら話しているところにも居合わせました(サラリーマンは会場近くに居ても、働いていて今帰りなんだぞ。と思っていましたが)

このように文化レベルの知れている場所でありながら、地方都市が文化振興、経済効果の名のもとに公的資金を投入していることも一納税者としても気になります。文化・芸術にそういった補助が必要なことは理解できます。でも、こういった運営をしている音楽祭の怖いのは私的なものになっていってしまうことです。

その筆頭として運営している、サイトウ・キネン財団。フェスティバルごと多額の利益を上げているそうです「公益」ならぬ「私益」財団法人―だったら入場料下げて下さいという声もあるそうです。私も同感です―それも、ボランティアの名の下に多数のスタッフを集め、コキ使って人件費も浮かせているのですから―同じくカラヤンが創設した「ザルツブルク音楽祭」もかなりそういった面が強くて、芸術よりもビジネス色が濃いものになっていきました。

小澤征爾が師匠のその手法を学んでいないはずはありません。小澤さんと在団はうまく政治(ついでに「征爾」の名前も)利用して利鞘を稼いでいるはずです。そういった稼ぐ方法の指南役には音楽業界を牛耳っているといわれる巨大マネジメント企業の存在もあるかも知れません。

県・市からの公的資金(税金!)を投入していながら、在団であることも影響してか、詳細な収支報告は公開されていないそうです。それを地元有力新聞社も触れない。それもこの音楽祭のスポンサーになっていて提灯記事を掲載している。まあ、元からこの新聞からはジャーナリスティック精神が感じられる記事は見たことないですが…そういった面に切り込む方がいないのが残念デス。

次回は、サイトウ・キネン・オーケストラ小澤征爾の晩節の身の処し方、他に村上春樹さんとのインタビューを書籍化した「小澤征爾さんと、音楽について話をする」についても触れてみたいと思います。

散々に書いてきましたが、小澤征爾指揮でいいなと思った録音↓

バルトーク:管弦楽のための協奏曲、バレエ《中国の不思議な役人 ...

バルトークの「管弦楽のための協奏曲」はアメリカのオーケストラ機能と、彼のリズム感覚の良さがマッチングしていて、こういった作品の表現は最高。