音楽枕草子

クラシック音楽や読書関係の感想記として投稿しているblogです。Xでは身辺雑記のポスト、blog投稿の追加情報のリポストなどしています。

モーツァルト:歌劇「後宮からの逃走」~ニコラウス・アーノンクール没後10年

ニコラウス・アーノンクール(ハルノンクール)氏の没後10年(3月5日が命日)ですので彼の録音の視聴記を投稿します。

モーツァルト歌劇「後宮からの逃走」K.385(録音:1985年)

1980年代~90年にアーノンクールはモーツァルトの初期から後期の主要オペラを録音しました。オーケストラも手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスからチューリヒ歌劇場、ロイヤル・コンセルトヘボウなどを振り分けています。この「後宮からの逃走」はチューリヒ歌劇場のオーケストラを振っています。

1970年代にモンテヴェルディの上演で共演した歌劇場ですのでその方向性も一致していたのでしょう。

まず序曲、トルコ軍楽隊を模した響きに驚きます。金属を叩いているかの様な打撃音!聴衆に「初演時の衝撃与えなくてはならない」というアーノンクールの演奏の特徴がいきなり炸裂です。かと思えば中間部のベルモンテが幕開きに歌うアリアに基づく旋律をとてもデリケートな表現付け、音符のひとつひとつに意味を持たせて弾かれます。そのアリアが第1幕で歌われる時に若い男女を急に襲ったアクシデントが真実味を持ちます。

彼らにすれば異教徒(異文化)に捕らわれている場所に赴き敵対する覚悟とその命すら危ぶまれる状況を改めて認識します。

人間の様々な感情(嘆き、悲しみ、怒り、喜び、焦り、怯えなど)が楽器でこれほどまでに表現できるのか!と思います。それにリンクした歌手の歌唱も素晴らしいです。一語一語が器楽共に場面ごとの感情の浮き沈みがリアルにきこえます。それと共に特徴的なのが管楽器の扱い。独立したようにきこえてくることです。トルコ軍楽隊の旋律が登場する時はピッコロであったり、ホルンやクラリネット(オーボエも)がアリアではオブリガートのように吹いています。

歌手も安定の布陣です。ベルモンテのシュライヤー、ペドリッロ(ペドリロ)のガムリッヒなどその役で定評のある歌手を配し、コンスタンツェのケニーは美しくきめ細やかで高音アリアも質感良い歌唱をきかせてくれます(ききどころの第2幕第2場の第10曲・第11曲と立て続けに高音アリアが続くところはオーケストラの個性的な伴奏もあり楽しませてくれます)

劇場的空間も意識した録音で、例えば第1幕第7場の三重唱はオスミンが右、ベルモンテとペドリッロが左で押し問答の掛け合いが立体的にきこえ、最後オスミンを押しのけて屋敷内に入って第1幕が閉じる雰囲気が良く出ています。

モーツァルトのオペラといえば後期の4つの作品を傑作とすることに異議を唱えませんが、それに先駆けて登場人物の感情表現、音楽の完成度で「後宮からの逃走」がひとつの頂点であることを認識させる録音ではないでしょうか。それゆえこの時期に録音されたアーノンクールのオペラ・タイトルのほとんどが廃盤なのは残念なことです。

亡くなった時は追悼盤として初CD化を含めた結構なタイトルが再発売されたので、没後10年を期にオペラを中心に再発売をして欲しいと思います(もちろん解説・対訳付きで)

ワーナーミュージック・ジャパン様、何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、このオペラをきいて今回改めて感じたことが憎しみを憎しみで返さないことです(反対側から見ると国許に旅立つ4人を見送るパシャ・セリムの心中はいかに?とも思いますが)これはこのオペラ制作を命じたオーストリア皇帝ヨーゼフⅡ世の啓蒙思想の政治へのリスペクト、配慮もあったといわれていますが、ヨーロッパ人から見た異教徒(一時はウィーンにまで侵略してきたトルコ・オスマン帝国)の太守(パシャ・セリム)を寛大で過去にあった因縁を超えて寛大な対応をする人物としているストーリーも台本作者の意図か、モーツァルトの意図なのでしょうか―あの時代を考えると興味深いです

でもモーツァルトの想いも一緒であったと思いたいです。隣人愛、博愛、敬愛、恩愛―「愛」が大切であると―彼の音楽をきいているとそう感じることが多いです―これは寓話的なオペラだよ。と言ってしまえば身もふたもないですが。

しかし最近の国内外の社会情勢を考えると必要なことではないでしょうか。

以前このブログに書いたシューベルトのオペラ「フィラブラス」でも書いたことを繰り返したくなりました。

rochade.hatenablog.com

今週は2016年3月5日に亡くなったアーノンクール没後10年を追悼として彼が1990年~1991年にヨーロッパ室内管弦楽団と録音したベートーヴェン交響曲全集について書こうと記事を準備していましたが、最近の社会情勢と「後宮からの逃走」をきいて思うことがありましたので差し替えにて投稿しました。

ベートーヴェンの記事は後日改めて投稿したいと思います。

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【映画鑑賞】「タンク(Der Tiger)」(2025年製作)

Amazon Prime Videoで配信されている映画『タンク』(原題:Der Tiger・2025年製作ドイツ)を観ました。しかしこの手の映画にはB級・低予算のママゴト戦争映画などもあり、邦題がストレートに「タンク」というのも「いかにも」という香りがしてきましたが、ドイツ製作の映画ということに期待をかけて鑑賞しました。

【クラシック音楽をきいてばかりいるわけではありません(笑)主義思想は反戦・護憲ですが、ミリタリー・マニアでもあります。興味の無い方は読み飛ばしてください】


www.youtube.com

https://www.amazon.co.jp/dp/B0G4XDLDPW/

監督及びキャストは全く知りません。ゴメンナサイ、ネタバレにならないように登場兵器中心のレビューを。

舞台は1943年の東部戦線。スターリングラード敗北後のドイツ軍は苦境に立たされています。始まりから撤退する友軍の援護の為に橋を守ってティーガー戦車(Tiger I)が登場します。橋の爆破時刻が迫る中、ソ連軍を足止めすべく1台のティーガー戦車が奮戦します。ギリギリまで射撃をして橋を渡り撤退を開始します・・・橋の爆破時刻、そこにソ連軍のイリューシン(攻撃機)も現れて橋と戦車に攻撃を仕掛けます・・・

場面が変わると(無事に死地を脱したということか?映画ではエンディングにいたる伏線が散りばめられています)新しい任務の命令書が届きます。敵陣深くに潜入して行方不明の将校を救出すること。しかし燃料・弾薬の限界、荒涼とした無人地帯、敵の脅威、そして戦車長を含めた5人のクルー自身の内面的な葛藤が彼らを追い詰めていきます(その過程でそれぞれのクルーたちの過去や生い立ちが描かれていきます)

撤退したはずの村落で親衛隊による住民の虐殺ー当たり前のようにその行為を見ているクルーたち(そこにも伏線と戦争の狂気があります)

「メタンフェタミン」というドイツ軍が使用していた精神向上剤を飲みながら無理やり覚醒しながら進軍していく描写が、狂気と絶望(違和感)を強調しています。

戦車内部の閉塞感とリアルな再現、戦車vs戦車の戦闘シーンは迫力がありますが、近年の戦車映画で話題になったブラッド・ピット主演の「フューリー」ほどの激しい戦闘描写ではなく心理描写や幻想的、ミステリー色が強く、途中から「これは本当に現実否か?」と疑問を抱かせます。

題名となっている主人公?「ティーガー戦車(Tiger I)」の再現度と描写についてー再現車両は旧ソ連製T-55をベースに改造したものらしいです。キューポラの形状(前期型寄り、車輪のディテールや細部は・・・映画なのでガマン)スモークディスチャージャー発射シーン(戦闘であんなに使用していたのかな?)戦車内部の狭さ、硝煙や油や汗の匂いが漂うような閉塞感、エンジン音や履帯の軋みなど、リアル志向なのは製作者のこだわりでしょう。

特に印象的だったのは、敵から逃れるために水中潜行シーン。実際には水中走行装置は装備されていません(試作段階で廃止だったような?)映画ではこれを活用!

57トンの重量がある戦車が川底に入る緊張感(車重で沈まないのかな?)これらは実装されていたら「あり得たかもしれない」限界ギリギリの演出として観るべきでしょう。

水中の深さは違えどその閉塞感は「Uボート(Das Boot)」を思い出します。

他に見所だったのは、所属部隊が503重戦車大隊の第3中隊第1小隊長車輌と砲塔に明記され、マーキングも含めて史実に基づき「ソレっぽく」なっています。ティーガー以外の登場車両「Ⅲ号戦車(火炎放射型)」「オペルブリッツ(兵員輸送トラック)」、「キューベルワーゲン(小型車両)」、ソ連側の戦車T-34やSU-100ーただしSU-100の登場は1945年になってからですが・・・これもティーガー(そしてクルー達)を狙う悪魔のような象徴としての存在としての演出として理解しましょう。

あと、この任務の不可解なところー燃費が悪く機動力のない重戦車を敵中に1両の派遣(将校を連れ帰ってくるのだから歩兵随伴のハーフトラックとかも必要でしょう)、燃料・弾薬の補充の問題は・・・などとツッコミどころがあります(それも映画のストーリに絡め捕られてた伏線、とラストでわかりました)

その結末は・・・彼らが目標としていた将校がいるとされる掩体塹の中に入っていく時に何となく結末は分りましたが、見る方によっては「あっけない」とか「肩透かし」と感じるかも知れません。

ティーガーが荒涼とした大地を進む映像は儚さ、寂寥感があり良かったです(この雰囲気が映画全体にあります)ドイツが製作した映画であるのでヒーローは登場しません。1台の戦車が並み居る敵をバッタバッタと撃破するアクションとは正反対です。反戦映画とはいえませんが、一般市民が招集され戦地に赴き戦禍(戦火)の因果応報、加害者としての意識=贖罪意識、自己反省のメッセージは伝わってきました。

↓過去製作した模型①(タミヤ1/48スケールモデル)

↓過去製作した模型②

(タミヤ1/35 スケール・モデル ミヒャエル・ヴィットマン乗車車輌)

最近のお買い物~中古LPレコード購入(2026年1月)

中古レコード購入の記録投稿となります。今回は往年の巨匠が残した状態の良いレコードが安価で入手できたのでご紹介をしておきます。

○フランク:交響曲 ロンドン MX9010

○シューマン:交響曲第1番「春」・ベートーヴェン:序曲「コリオラン」 ロンドン MX9011

指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

○ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」 ロンドン MX9020

○ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 ロンドン MX9021

指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

「ロンドン永遠の名盤シリーズ」として1,000円盤として発売されたものです。

彼らが残した代表的な録音として知られており、この後も何回かレコード、CDにて再発売もされています。

クナッパーツブッシュのブルックナーなどはラジオ放送のエアチェック・テープを持っていましたが行方知れず。

レコードの良いところのひとつに解説の充実があります。CDよりも解説に割ける面積も大きいせいか興味深いことも書かれています。また、レコード発売されたころのその演奏家の評価や収録された作品の評価や受容を含めた発見や学びがあります。

そしてその執筆陣が懐かしい方に出会えるのも楽しみです。読んだ瞬間からあの人か!と思う個性的な文章・文体が繰り出されます!?クナッパーツブッシュのブルックナーの解説を執筆されているのはもちろん彼を熱狂的に推していた宇野功芳氏です。

ジャケット・盤面のクリーニングをしようと盤面をみたところ、とてもきれいな状態でほとんど針も通していないと思われます。  

○ベートーヴェン:交響曲第8番/序曲「コリオラン」 日本フォノグラム

指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

これを一瞬見た時はフルトヴェングラーのレコーディング記録に詳しくない私でも「!?」となり、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲第8番ってあったかしら?と考えて思い出しました。

これは非フルトヴェングラー盤であることを!元音源は1958年~1960年にアンドレ・クリュイタンスがベルリン・フィルと録音した交響曲全集の第8番をモノラル音質にダウンコンバートしてフォンタナから発売されたレコードがあったことを。

評論家宇野功芳氏の著作にも贋物として記載されています。

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解説の小林利之氏がもっともらしく《迫力抜群の終楽章にかくも精神の高揚をみせる「第8番」聴けるのは》云々と演奏と褒めていますが(音源の真偽は定かではないことも書かれてはいます)クリュイタンスの交響曲全集を評論家達が絶賛していることを寡黙にして知りません・・・。

○ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 東芝EMI WF-70011

ピアノ:エドウィン・フィッシャー

指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

こちらは真正フルトヴェングラー録音で昔から名盤として知られるもので、第2次世界大戦中の1942年のライヴ録音とされるものです。

再発売も繰り返されて現在はユニバーサル・ミュージック(グラモフォン)のCDを入手可能ですが、帯付きレコードでありましたので購入しました。

以上、最近入手のレコード紹介投稿でした。

お付き合いいただきありがとうございました。

Selct Classic(36)磯山雅先生命日・生誕80年~ブルーンス:カンタータ「わが心、定まりし」

本日2026年2月22日は音楽学者・音楽評論家、国立音楽大学の教授を務められていた磯山雅先生(あえて「先生」と呼ばせて頂きます)の命日にあたります。ご存命であれば今年80歳でしたので2018年の突然のご逝去に驚きと悲しみがありました(雪道で転倒され、そのお怪我が元でお亡くなりになったそうです)

磯山先生のご出身は東京都ですが、高校進学は私の地元・松本市の進学校に入学され高校時代を過ごされたとのことで親しみがありました。また先生の著書でモーツァルトの音楽の新しい視点、クレンペラーという指揮者を知ることができました(こちらについては機会があれば改めて書いてみたいと思います)

そしてなんといってもバロック音楽!!知らなかった作品、演奏、もちろんバッハの音楽理解においては感謝しかありません。中でも忘れられないのが「マタイ受難曲」演奏会前に行われた磯山先生のレクチャーです。

後に出版された「マタイ受難曲」の凝縮版ともいうべき内容で、学究的見地と演奏スタイル、テキストと音楽の関係性などその時のメモを今回取出して読み返しましたが―その時が初の実演マタイ体験だったので色々と思い出しました。

前振りが長くなりましたが、今週は磯山雅先生の命日とご存命なら生誕80年を期とした投稿としたいと思います。

ニコラウス・ブルーンス(Nicolaus Bruhns 1665年-1697年)はバロック期のオルガニスト、作曲家(ヴァイオリンも弾いたそうです)以前の投稿にも書きましたが、私は彼のオルガン曲をきいてこの分野の傑作は大バッハの作品のみで他はきかなくてもOKという認識を改めさせられました。

そのブルーンスがオルガン曲以外にも室内楽、声楽曲を残していることを知ったのは磯山先生の著作「バロック音楽名曲鑑賞辞典」(2007年刊・講談社学術文庫)でした。

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この著作はカッチーニからラモーまで約260ページに的確かつシンプルに、ほぼ年代順に100曲のバロック音楽がチョイスされています。バロック音楽をこれからきこうとする方、きき込んだ方にもオススメです。磯山先生の好み(意外な)ことも書かれているのも魅力です。

ブルーンスも34曲目に「プレリュードとフーガ」ホ短調(もう一曲の作品と区別して大ホ短調と呼ばれる)が登場します。文中でもう1曲として紹介されているのが12曲残されたというカンタータから「私は安らかに伏し、眠ります(Ich liege und schlaffe)」です。しかし、こちらの音源は入手が困難です。

Naxosのサイトで有料視聴可能→https://ml.naxos.jp/album/RIC291

今回はその代替えとして「わが心、定まりし(Paratum cor meum)」をご紹介します。

テノール二人とバス、ヴァイオリン、2つのヴィオラ・ダ・ガンバ、通奏低音の編成によるカンタータです。内容は神を賛美し栄光を讃えるもので、最初の「アレルヤ」と歌われるところから歌手と弦楽器との競演としてきこえます。でも男声と低音楽器が主体となるのでオルガン曲の壮麗さよりも幾分落ち着いています。

通奏低音の役割も重要で北ドイツの宗教音楽―シュッツや師匠ブクステフーデにも通じる雄弁で滔々としたメロディー・ラインに魅かれます。

当時の状況を考えるとバッハの自筆譜ですら多くが散逸しているにも関わらず僅か31歳(32歳とも)の若さで亡くなった作曲家の作品が残っていることが幸運?奇蹟ではないでしょうか(それでも多くは消失しているそうですが)

今週は磯山雅先生のご命日と生誕80年としてその功績に感謝しつつ、関わりの深かったバロック音楽から作品をご紹介しました。

【Disc】

日本を代表する、今や世界でも通用するようになった古楽演奏の第一人者である鈴木雅明さんがイエール大学の宗教音楽研究所のメンバーと録音したディスクを愛聴しています。

ディスクには当該作品の他、宗教声楽曲そして鈴木雅明さんのオルガンによる先の「プレリュードとフーガ」ホ短調など盛りだくさんの収録内容(86分!)でブルーンスの作品に触れることができます。

2016年~2017年録音で「Vol.1」となっておりですが、その後の新録音の登場が無い様子。ブルーンス作品全集企画だったのでしょうが・・・。

rochade.hatenablog.com

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演奏会~インバル指揮・都響 マーラー交響曲第8番【インバル90歳】都響スペシャル

今週は【インバル90歳記念】都響スペシャル(2026年2月16日月曜日)の演奏会感想記投稿となります。Xにもポストしましたが平日夜ということもあり長野県松本市から移動~演奏会~移動の強行軍でした。

本当に90歳(卒寿)を迎えた指揮者だろうか!!高齢指揮者が加齢と共にテンポが遅くなり「悠然」などと言う表現をされますが、インバル氏やもう一人の長老指揮者!?の代表格ヘルベルト・ブロムシュテット翁もテンポ低下やフレーズの弛緩が感じられません。むしろテンポアップして躍動感がでているのでは?と感じる表現もあることに驚きです。

大人数の演奏家―オーケストラ、コーラス(児童合唱を含む)そこにソリストが8名!(ソプラノ3名、メゾ・ソプラノ2名、テノール、バリトン、バス)が必要とされ「一千人の交響曲」という名前で呼ばれ、その壮麗・華麗で祝典的な音楽でもあるので初演時から大成功したと伝えられるこの交響曲。

確かに大音量がメインとなり、まるで交響曲の終楽章を延々80分(今回の演奏会では約85分くらいだったでしょうか)続くような音楽です。

しかし、実演をきいて思ったのはその音の大洪水よりもピアノ、ピアニッシモの表現と音響バランスが非常に考えられた作品であると思いました。

第1部141小節から合唱が「Infirma nostri corporis(我らの弱き肉体に)」と歌いだすところ―曲冒頭から「Veni~」とffを中心に激しかった音楽が落ち着き展開部にあたる場面において合唱の静かな歌い方―これは決して身体壮健でなかったマーラーの心情告白のようにも感じる個所を意味深くきかせてくれます。

第2部は1276小節~マリア崇拝の博士(テノール:マグヌス・ヴィギリウスさん)が「Blicket auf(仰ぎ見よ)」と上昇音型に導かれて歌うところのデリケートにして感極まった表現が素晴らしかったです。これは上昇音型+仰ぎ見よ=「昇天」を表現している場面になるので第2部の題材となっているゲーテの「ファウスト」終末の重要なテーマでもあります。それまでは荒涼とした崖のある地上を行きつ戻りつつ浮遊・漂泊していた(音楽も同様に上下降を繰り返していた)ものが神秘の合唱を経てコーダ(昇天)を迎えるポイントになります。こういった大切な個所を外さず示してくれるインバル氏が評価される理由が分かります。

そして私が感極まったところは(沢山ありすぎますが)ふたつを―

①133小節から悔悟する女=グレートヒェン(ソプラノⅡ:エレノア・ライオンズさん)の歌に合わせて第1部の主要テーマが金管楽器によって吹奏されるところです。第1部「聖」と第2部「俗」が融合する一筋の光が差してくる瞬間!そこに栄光の聖母(ソプラノⅢ)が「Komm!(来なさい!)」と呼びかけた時の「俗」が「聖」が融合していく澄んだ空気感!当日は栄光の聖母(隠岐彩夏さん)は2階席からの歌唱。

②1450小節~交響曲、それも大編成作品にも関わらず突如アカペラのコラール風に弦楽器と木管楽器に支えらてコーラスが歌う(すべてのうつろいやすく儚いものは 比喩にしかすぎぬもの)の張りつめた最弱音が会場に響き消えていくところは演奏者たちのレベルの高さを改めて感じる瞬間でした。

冒頭にも書いた通り齢90歳の誕生日を迎えたインバル氏の指揮も確かなもので、全曲を立ったままで指揮!しており(この公演は3日間連続の2日目)その指揮姿は足を踏み鳴らす、掛け声が出るアクションは少なくなり若干静への変化はありますが、それでもあの動きはスゴイ!欲しい音、粘りが欲しいときは足を踏ん張り両腕をグッグッグッと地面を突き刺すようにして振っているところの力強さ!また第1部と第2部で2階席のバンダへの指示のため振り返る姿の堂に入った姿はホール全体を支配しているようでした。

実演初体験ということもあり大きな発見とスコアできいていただけでは聴取できなかった箇所の確認ができました―総勢500人弱くらいだったと思いますが(それでも大人数なのでコントラバス奏者の後ろの台に乗っている方は怖いくらいの高さと舞台ギリギリで弾いていました)打楽器を左右に振り分けて立体的な響きの演出。これはオーケストラ全体にいえることでサントリーホールの響きを活かして各楽器が際立つところが多く、マーラーがスコアに詰め込んだサウンド体験ができました(編成にはピアノ、マンドリンが入っていますがはっきりきこえてきました)

あと、コーダでは全弦楽器がユニゾンでゴリゴリと弾けば音量も出るのにピッツィカートやリズムを刻むだけ、チェロやコントラバスは管楽器奏者が疲れているところ(恐らく)一生懸命に吹いているのを横目に11小節の休みがあります。終止の17小節くらい前で弾き始めます。そして弦楽器は3小節の休止があっての最後のffの和音を弾いて全曲が終了―でも音だけできいていると全楽器で圧倒的で輝かしくオーケストラが鳴り渡っているようにきこえる不思議な体験でした。

ソリストが歌う時にヴァイオリンはプルトを減らして弾いて歌唱を際立たせ室内楽的にするところもありました。

大オーケストラと大合唱団の波状攻撃のシンフォニーのみではない―もちろん第1部や第2部のコーダでは大音響に圧倒されますが―サウンド・バランスが良く考えられたマーラー晩年の傑作であることを再認識するとともに第1部と第2部が全く方向性の異なる音楽を1曲に括り付けた強引な作品と思っていましたが、この演奏会に備え予習と実演をきいたことでマーラーがこの交響曲に込めた意味を若干なりとも理解できたように思います。

東京都交響楽団のマーラー演奏の伝統と歴史が培った非常にハイレベルな演奏会でした。ソリストも高水準(昨年のサイトウ・キネンの「復活」できいて以来の藤村実穂子さんも期待通りの安定感)、ピアノ、ピアニッシモの弱くて難しい個所がとても澄んだ響きで満点!児童合唱も落ち着いた歌唱で経験値が高い!

終演後は誕生日を祝して演者全員によるゴージャスなアレンジの「Happy Birthday」が演奏されました(サプライズ演出だったと思います)。その時のインバル氏の姿を観て第3次マーラー・チクルスも無事完結に希望を持ちました。次回は100歳Anniversaryのイベントがどのようになるか楽しみです!!


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完聴記~モーツァルト交響曲全集(その17)~クリストファー・ホグウッド

ホグウッド(コンティヌオ)とシュレーダー(コンサート・マスター)の共同リードでアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏するモーツァルトの交響曲全集の完聴記、今週はいよいよ後期三大交響曲に突入します。

今回はその第17回。第39番と第40番の第1稿―皆さんもご存じの通り、クラリネットが編成に入っていないヴァージョンをきいていきたいと思います。

CD15

○交響曲 第39番 変ホ長調 K.543

第1楽章。ファンファーレのようなリズムをもった奥深いアダージョの序奏。崇高な響きに満ちて、それは変ホ長調(晩年のオペラ「魔笛」や弦楽五重奏曲K.614)という調性とフランスのオーケストラのために書いた第31番「パリ」やセレナードの改作である第35番「ハフナー」といった特殊な場合でしか加わらなかったクラリネットを編成に含むことによる相乗効果といえる響きです。

序奏から主要部に入っていくときのうっとりするような推移。展開していく音楽は表面的な優雅さだけでなく、モーツァルトの創作の充実が新しいステージに入っていることを実感させるもので、大袈裟ですがロマン派のシンフォニーにも通じていく様にも感じる瞬間があります。

第2楽章は美しい歌の世界としか表現のしようのないほどの透明感!ドラマテックな所と嘆き節が見事に融合させています。モーツァルト生涯最後の年に書かれたピアノ・コンチェルト第27番やクラリネット・コンチェルトなどでもきかれる、深まる秋の風情、儚さを感じます。

第3楽章、K.602やK.605のドイツ舞曲にも似たレントラー風のメヌエットです。またここではクラリネットのデュエットがソロイスティックに活躍してききどころのひとつです。恐らくここはクラリネット奏者で友人のシュタードラーのためのカデンツァ的なサービスとして書いたと思います。

第4楽章、ハーモニーの美しさ、重厚さを持ちながらも軽快さもある豊かなハーモニー。細かい音の粒が固まり、キラキラと光を帯びて輝いているみたいです。コーダにかけて繰り返されるメロディーは勝利の凱歌を挙げているようにきこえ、次の第40番が感傷的な響きなので、後期三大交響曲をひとつのセットとして考えた場合、この第39番は起承転結でいうと「起」=「序曲」ともいえるシンフォニーと思います。

★★★★★

○交響曲 第40番 ト短調 K.550【第1稿】

先にも書きましたが第39番が勝者・成功者の音楽なら、こちらは敗者の音楽といった作品で「起」から「承」への転換といえるものでしょう。

このシンフォニーは昔から悲劇的・デモーニッシュな面ばかり強調されることが多く、ききてもそういったことを意識することを強要する感じもありますが・・・そして、この第1稿はクラリネットの包み込むようなまろやかな音色を含まないのでより一層そういった寒々とした感覚が第1楽章からダイレクトに伝わってきます。

第2楽章、このアンダンテで注目すべきは短調ではなくて「変ホ長調」ということです。そう、第39番と一緒なのです。それでも第1楽章よりも感傷的なのが特徴で、モーツァルトの音楽というのは晩年になるにしたがい「長調だから明るく楽しい」「短調だから暗く悲しい」というメジャー・コード、マイナー・コードに関係なく心を揺り動かされる瞬間が多々あります。

第25・26小節、それ以降も出てくる下降する音型はまるで花びらがヒラヒラと散っていく様子が浮かんできて寂しさと同時に侘しい気持ちになります。

第1稿をききなれた私にはクラリネット・パートをオーボエが担当するので、どちらかというと抒情的で嘆きの感情がより表出しているように思い、モーツァルトが最初の稿でクラリネットを編成に加えていないことの意味が分かったような気がします。

第3楽章メヌエット。不規則でピリピリしたリズムは打ちのめされてフラフラになっているようにきこえます。

終楽章は激しい感情があらわになってききてに迫ります。これは敵に追い立てられながらも、気力を奮い立たせて立ち上がり、前へと進む人間の姿のようです。

フーガ部は緊張感に満ち、ききての胸を締め付けるこの音楽において、次の第41番「ジュピター」の出現を預言しているみたいで、そこに希望の光が一筋見えているように思います。

★★★★★

【演奏メモ】

第39番は珍しくクラリネットを編成に含むシンフォニーをここでは幅広い音域をもったバセット・クラリネットを用いている様で、オーケストラからしっかり浮かび上がってきこえます。また、フルートももちろん木製のタイプなのでクラリネットと掛け合う所が違和感なくハマっています。モーツァルトが意図したであろう響きの参考の一端になります。第3楽章メヌエットのトリオ部はクラリネット奏者の即興的な装飾を付けるなど演奏家により解釈が異なるのできき所のひとつですが、この演奏はスコアに基づくベーシック・スタイル。

第40番、この曲にまとわりつくドロドロした情念や悲劇性をきれいさっぱり洗い流したフレッシュでさわやかなもので、当時ワルター、ベームが主流のなかで登場した時は驚きがあったと想像されます。

両曲ともに共通しているのはホグウッドが弾いているコンティヌオ(チェンバロ)はほとんどきこえてきません。後期三大交響曲では編成が大きくなってきこえなくなっているのか?それとも複雑で表現力も要求される音楽なので指揮に専念?

ゼレンカ:作品集~ニコラウス・アーノンクール没後10年

今週は「日本アーノンクール伝道普及連盟会長代理代行補佐」(自称)の録音紹介投稿の回とさせていただきます。今年2026年は没後10年を迎えるメモリアル・イヤーにもあたります。

今回はゼレンカ(Jan Dismas Zelenka 1679年- 1745年)の作品集を。

ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの活動も次第に多くの聴衆に認知されつつあった時期の録音です。ゼレンカも今ではバロック期のボヘミア(チェコ)出身の作曲家として知られるようになりましたが、録音当時(1977~1979年)まだ一般の音楽愛好家にとり「ゼレンカ?誰?」という認識であったと思います。

この録音もゼレンカ作品の最初期録音ではないでしょうか。この影響でホリガーがトリオ・ソナタを録音、チェコの演奏家たちが宗教音楽を取りあげだすキッカケになり「ボヘミアのバッハ」というゼレンカ本人にとっては有難くない、失礼な呼称が付くようになったと思います。

確かにその作品をきけば「華麗なるバロック」とは異なり、ボヘミアに生まれその生涯のほとんどをドイツ圏で活動した(イタリアにもほんの少し行った事あり)ことが窺われるまさにバッハと繋がりのある響きをきくことがあります。

このディスクには器楽曲が3曲収められています。

「7声のピポコンドリア」は先の特徴が良く表れています。2本オーボエとファゴット(第1オーボエ奏者も初期メンバーのユルク・シェフトライン、ファゴット奏者は初期メンバーのミラン・トルコヴィッチ)とバッソ・コンティヌオ(通奏低音)をメインに低音楽器を中心とした渋く落ち着いた音楽運びです。その朴訥とした感じが古楽器のくすんだ響きとマッチしており、それをアーノンクール自身もチェロを弾きながらリードしていきます。

「トリオ・ソナタ第2番」はト短調ということもあり2本のオーボエの哀愁を帯びたメロディー(宗教音楽のような)を奏でます。ドイツ・バロックの源流をたどるような単なる伴奏ではない通奏低音声部とオーボエの対話による音楽構築がきかれます。もちろん通奏低音部のチェロはアーノンクールが担当。

第2楽章や第4楽章では吹くのがきっと難しい古楽器のオーボエとファゴットを駆使してコンチェルタントなアンサンブルがきかれます。これも志を同じくするメンバーだからこそでしょうか、温もりみたいなものを感じます。

「7声の序曲」は「ピポコンドリア」と編成は同じですがグッと響きに厚みがあり、演奏も各声部が明瞭で立体感にきこえてきます。作品はバッハの管弦楽組曲のように序曲-アリア-メヌエットⅠ&Ⅱ-シチリアーノ-フォリアの曲から成ります。双方面識はあったそうですのでお互いに意識するところはあったでしょう。世代的にもバッハとゼレンカは同時期、活動するエリアも被っており、当時の作曲家の常であったより良い待遇の就職先を求めていたことも共通しています。いわば精神的な仲間意識を持っていたのでは?ということまで考えさせられる演奏です。

「アリア」ではしっとりとした弦楽合奏が決してメランコリックになりすぎない加減がいいです。「メヌエット」のリズムも宮廷舞曲と農民舞曲が混在したような表現が面白い、トリオがとても情感があってきれい(短いのがもったいない)

「シチリアーノ」は一般に思うテンポよりも速く、リズミカルで舞曲のリズム感覚をもった演奏です。

最後の「フォリア」は推進力ある表現です。これはアーノンクールとその仲間たちの意欲と情熱の表れがきこえてきます。

今でこそバロック音楽は当時の楽器と奏法で演奏するのが当り前になり、その時代の様々な作曲家の作品も耳にできるようになりましたが、この録音がされた50年前は未知なる分野で奏法に試行錯誤し、楽器を探して必要に応じ自作をしていたそうです―音にすることすら難しかった時代、アーノンクールとその同志たちが―それ以外にもブリュッヘンやレオンハルトなどの音楽家も同様にチャレンジしていなければこの分野の音楽を現在のようにきけていなかった可能性があります。

それを思い彼らに感謝しながら残した録音をきいていきたいと思います。

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【身辺雑記】今月のお買い物~中古CDなど(2026年1月)

昔欲しかったけれど高く手が届かなかったもの、購入しそびれたディスク、思わぬディスクに遭遇できるのがHMVさんの中古のオンラインショップです。新譜に興味が向かない、追いかけられない自分には過去見知った憧れや懐かしさを覚えるディスクが安価で入手可能なのは魅力です。

○J.S.バッハ:ミサ曲(1733) TELDEC 2564 69057-1

 指揮:ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・コンツェントウス・ムジクス他

バッハ晩年の最高傑作のひとつ=音楽史上においても傑出した作品である「ミサ曲 ロ短調(BWV.232)」は複数の作曲年代の異なる作品(カンタータも含む)の集合体として構成したものと楽曲解説等で書かれています。

その第一部「キリエ」「グロリア」は1733年に完成され、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグストⅡ世に献呈をしました。これは当時の勤め先ライプツィヒの市当局と雇用条件等でモメており、あわよくば選帝侯のバックアップを期待していたとも伝えられます。しかしその効果が無かったことは彼の生涯が教えてくれます(「ザクセン宮廷作曲家」への任命は献呈から3年後の1736年)

このミサ曲(1733)はロ短調ミサ曲のプロトタイプといえるもで「キリエ」と「グロリア」が収録されています。資料的興味を含めてきいてみたいと思います。

○ロッシーニ:歌劇「セビリャの理髪師」(全曲) ドイツ・グラモフォン F70G 50352/3

 フィガロ(バリトン):ヘルマン・プライ/ロジーナ(ソプラノ):テレサ・ベルガンサ/アルマヴィーア伯爵(テノール):ルイジ・アルヴァ他

指揮:クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団/アンブロジアン・オペラ・コーラス

言わずもがなのアバドの代表的な録音のひとつですが未聴。BSorCSで放送されたほぼ同一キャスト(オーケストラと合唱がミラノ・スカラ座で1972年製作)の録画映像視聴のみ。

最近になって自分の音楽鑑賞の波長が合う録音が多くあり、コツコツ購入しています。

国内盤=対訳付きが安価で入手できるのは有難いです(最近発売のオペラ国内盤でも対訳すら付いていないことも新譜購入しない理由です)また当時グラモフォンのオペラ解説がとても充実していて並みの解説書よりも示唆に富んだものでした。特に私にとってオペラの水先案内人ともいえる黒田恭一さんが書かれた解説は出色でした。これももちろん黒田さんが書かれています。

○マーラー:交響曲第5番・第6番・第7番/亡き子をしのぶ歌/リュッケルトの詩による5つの歌曲  ドイツ・グラモフォン 00289 477 5181(5枚組)

 指揮:レナード・バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック テノール:トマス・ハンプソン

これもまた言わずもがなのバーンスタインのマーラー交響曲全集の再録音からとなります。全集一括購入する財力はありません。この廉価シリーズが3つに分配されているのでこちらで揃えていきたいと思います。

○マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」/交響曲第9番/交響曲第10番~アダージョ/大地の歌(5組)  ドツグラモフォン 00289 477 5187(5枚組)

 テノール:ジェイムズ・キング バリトン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 指揮:レナード・バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、コンセルトヘボウ管弦楽団

上記分割3セットの一組、そこに何故か1966年にデッカに録音した「大地の歌」もセットになっています。レーベル跨ぎ&録音年代の離れているのにもかかわらず?

「大地の歌」は重複所有になってしまいます。でも5枚組で新譜の1/3価格で入手できるのは有難い(商品状態は別として)

○【スコア】マーラー:交響曲第7番「夜の歌」  音楽之友社 OGT-1473

定価税別2,900円でしたがとても安価に入手、昨今の出版物の価格上昇(全て値上げばかりですが)で安易に購入できないので新品同様の美品が入手できたのはラッキーです。

交響曲第7番は近年まで難解&不人気曲でしたが―第9番、第5番、第4番の次くらいにきいていたので個人的ランキング(暫定)なら第9番―大地の歌(これをシンフォニーに区分することに異議のある方もいると思いますが)―第7番―第6番・・・以下略、の順位にしたいです。

○【スコア】マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」 音楽之友社 OGT1490

マーラー続き。2月16日のエリアフ・インバル指揮東京都交響楽団の公演に備えて学習用として購入。新品定価3,300円(税込)を半額以下で入手。

曲がかさばりすぎる?ため積極的にきくことが少なかったので手持ちのテンシュテット、若杉弘、ブーレーズと実演までに試聴して理解を深めたいと思います(それに今回購入したバーンスタインの再録音と共に)

*エリアフ・インバル氏には長命いただき東京都交響楽団と新規始動マーラー・チクルスの完結を祈念しております。

○音楽の冗談  Sony 32DH463

 Vo:斎藤晴彦 新日本フィルハーモニー交響楽団他

これは完全個人的趣味・興味から購入。クラシック音楽に歌詞を付け早口で歌って人気を博した俳優・声優の斎藤晴彦さん(1940-2014)のディスク。CDがあることは知っていましたが、商品検索をしていたら偶然に発見、200円以下でしたのでまとめ買いOFFのお供に購入。

モーツァルト没後200年の1991年、NHK-FMで関連番組の連続放送をきいてハマりました―アーカイヴに残っていないのでしょうか?

このディスクには、もちろんモーツァルトの「音楽の冗談」からベートーヴェン、ハイドン、メンデルスゾーン、マーラーなど皆さん耳馴染みの曲がアレンジされて収録されています。これは難しいこと考えずにきくエンタメ・気晴らしディスク!

以上最近の届きものディスクなどの紹介投稿でした。

読書「街とその不確かな壁」著:村上春樹(新潮文庫)

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2023年刊行(新潮社)2025年5月文庫化(新潮文庫)を今更ですが読了しました。

2002年「海辺のカフカ」以来、文庫化されてから読むので相当な周回遅れをとっています。ハルキスト(フリーク)の皆様から「ケシカラン」となるかもしれません。そんなコアな方々に及ばずながら感想を投稿したいと思います。

あとがきによるとこの作品は1980年に「文学界」に発表された「街と、その不確かな壁」という題名の中編小説がベースとなっているそうです。完成度に納得がいかず書籍はされなかったそうですので「幻」の作品といえます。

その作品にあった「壁に閉ざされた街」「図書館の少女」「影を失った主人公」というモチーフに70歳を超えた作者が40年を経て熟成させ開封した物語といえます―そこにはさらに「夢読み」「イエローサブマリンのパーカーを着た少年」「子易さん」などの素材も加わり・・・

印象的なのは題名にもある「不確かな壁」です。作中も主人公が全容を掴めない―これは「目に見える壁」「心の中にある壁」「意識の壁」―現代社会にも通じている様々な壁のように思います。

「目に見える壁」=最初にこの作品のプロトタイプが書かれた1980年に存在していた「ベルリンの壁」(東西ドイツと国を分割すると共に西側世界と東側世界を隔てる象徴)

「心の中にある壁」=社会が多様化する中で発生する人間関係に見えない、はっきりしない場合もある「壁」、これは新型コロナウィルス蔓延からアフターコロナの影響もあるでしょう。

「意識の壁」=自分の心の中に自分しか入れない場所をつくりそこに「壁」をつくる―スマートフォンなど情報端末やSNS、そしてAIの発展などの世界。

また村上春樹氏の小説定番?ふたつの世界の交錯―壁の内と外、死者と生者、そこで交わされる言葉の奥深さかに40年の封印を解いた作品の意味を感じます。

そして言葉の選択と比喩の見事さ!そして登場人物の衣食のセンス感覚!村上春樹流です―

たくさんありますが、これから読まれる方もいらっしゃるかもしれないのでひとつだけ。

「春の野原の若い兎と同じように、それはゆっくりとした意識の手では捉えがたいのです」(下巻第3部398ページ)こんな素敵な文章を書けるなんて!!

氏の著作にはクラシック音楽に関する言及がありますが、今回もあります。思わぬところで思わぬ作曲家名が登場、また作曲家や曲のチョイスがストーリー展開には影響しないのですが、「あっ!」と思うコースにボールを投げられたバッターのように―予測はできるけどここできますか!という感じ。これまた村上春樹流です。

また、この作品は1985年に発表された「世界の終わりと ハードボイルド・ワンダーランド」との関係性も作者が述べています。村上春樹さんの1980年代から1990年代の著作はすっぽり抜け落ちたように読んだことがないのでチャレンジ中です。

そして過去の著作からのオマージュ、音楽に例えると作曲家が過去に作った曲のモチーフを再び作品中に使用するように織り込まれているようなところも印象的です。

『1Q84』(2009年)の「二つの月」は「もう一つの街」として、青豆が「母なる場所」を求めて壁を越えたように、主人公も「失った少女」を求めて壁を越えて帰還する。本作では・・・。

『海辺のカフカ』の「入り口の石」は「壁に囲まれた街に入るための儀式」では。ナカタさんが石を動かしたように、主人公も「ある行為」により街に入る。その「ナカタさん」は「子易さん」とキャラクターが被るようにも思います。

「死者」と「生者」との交わりは『東京奇譚集』が―

これを読んで村上春樹さんは過去の著作を「ひとつのストーリー」として最初からここに至るように設計していたように思えるくらいの完璧な繋がりがあります。

村上春樹さんも70歳を超えているためでしょうか、読むこちらも年齢を重ねているせいでしょうか『海辺のカフカ』にあった前に進む、冒険する若者ではなく、得るものより失っていくことの方が多いストーリー、そこには大げさに言えば「老い」や「死」の影も感じることもあり、より奥深い文学作品に感銘を受けました。

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完聴記~ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲①(パシフィカ・カルテット)~生誕120年

昨年ショスタコーヴィチ没後120年に交響曲全15曲の完聴記(ルドフル・バルシャイ指揮ケルンWDR放送交響楽団の録音)を投稿しましたが、生誕120年となる2026年は弦楽四重奏曲全15曲の完聴記のチャレンジ企画投稿をしていきます。

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲は同じく15曲書かれた交響曲と共に重要なジャンルであり、20世紀のこの分野における優れた成果であると思います。交響曲と共に弦楽四重奏曲という古典的な形式で創作活動を行ったショスタコーヴィチ、そこに彼の何らかのこだわりがあったのでしょう。

きいていくディスクはパシフィカ・カルテット(Pacifica Quartet)の演奏となります。1994年に結成されたアメリカ合衆国のカルテットでコンクール受賞歴や音楽賞の受賞なども数多い実力派です。

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このディスクは全8枚から成りますが、単純に番号順に収録されているわけでなく、そこに同国のショスタコーヴィチと関連のある作曲家のカルテットが巧みに併録されるという構成(ミャスコフスキー、プロコフィエフ、ヴァインベルグ、シュニトケが各1曲)

今回その試聴においては演奏家が意図した構成からは乖離してしまいますが、第1番から毎月1~2曲ごと投稿していき補稿として他の作曲家の4曲などを絡めて投稿したいと思います。

それではスタートしましょう。

弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49(作曲:1938年5月~7月/初演:1938年10月)

19歳で交響曲第1番を作曲したショスタコーヴィチ、弦楽四重奏曲を書いたのは32歳の時、既に交響曲第5番で成功を収めた翌年になります。

第1楽章、ショスタコーヴィチ?と思うくらい古典的な手法、面白いのはヴィオラとチェロに変わった(異質)なリズムがあり、そこに片鱗を感じることができます。

第2楽章、民謡、民俗性を感じるメロディーが印象的なテーマとなり変奏されていきます。そこに突如として不安を煽るようなフレーズの登場がショスタコーヴィチらしさを感じます。

第3楽章、窮迫感のあるリズムに彼らしさがあり、新鮮な響きは30代の若さを感じる音楽です。

第4楽章、明快、軽快で古典派音楽へ通じるものを感じますが、リズムや和音進行は後の音楽を思わせます―特にコーダ。前の3つの楽章が全て静かにおわっていたのでここにきて逞しいコーダにスッキリとします。

交響曲には標題などで政治的なものを与えていましたが、弦楽四重奏曲は純音楽的指向なのが印象に残ります。

弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68(作曲:1944年/初演:1944年11月)

第1楽章(序曲)錯綜するメロディーの進行に作曲家臭を感じます―この助けを求めてもがくようなところ。

第1番がハイドンやモーツァルトの精神を持ったやや手慣らし的な演奏時間も14分程の作品でありましたが、こちらはベートーヴェンやバルトークとの繋がりを感じる重厚さ渋みが加わり、演奏時間も約35分となっています。

第2楽章(レチタティーヴォとロマンス)ヴァイオリンが技巧的な表現力を要求されるメロディーをまさにレチタティーヴォのように奏でます―この暗さ、闇夜のエレジーといった趣。ロマンスに移ると交響曲第6番でもきかれた情感があります。そこにあるのはやはりロシアの冷たい空気と大地が通奏低音のように伝わってきます。

世情も反映してか(1944年はソ連がドイツ軍に大攻勢をかけていた時期)穏やかだった曲想が突如激しい闘争的なものになります。それが収まると楽章冒頭の暗さと宗教音楽のような響きがマッチした音楽になります。コーダの静かに楽章が終止にむかっていくところも素敵。

第3楽章(ワルツ)弱音器を付けた4つの弦楽器がリズムだけはワルツというちょっと不気味な音楽を奏でます。円舞はすれどもその実体は無い、虚ろなそしてグロテスクな瞬間もあります。ワルツとは名ばかり。

第4楽章(主題と変奏)冒頭主題はファースト・ヴァイオリンを除く3つの楽器によるバッハをオマージュしたような主題が提示されます。それにヴァイオリンが応え、テンポが加速してくるとヴィオラがロシア民謡に基づくと思われる旋律を弾きます(弦楽四重奏曲第1番の第2楽章を思い出します)

変奏は全部で22から成り、楽器同士の対話、無窮動などと目まぐるしい変奏(変化)についていくため耳と頭が忙しい。このすばしっこい音楽はショスタコーヴィチの専売特許!途中チェロ・コンチェルトのように主役となるところも弾き甲斐がありそうです。

最後の冒頭主題を全楽器で強奏するところは、引き伸ばされて弾かれるので悲痛な感じを受けます。

今回はショスタコーヴィチ生誕120年として弦楽四重奏曲全曲完聴の第1回として第1番と第2番をききました。