音楽枕草子

クラシック音楽や読書関係の感想記として投稿しているblogです。Xでは身辺雑記のポスト、blog投稿の追加情報のリポストなどしています。

最近のお買い物~中古レコード購入記録

中古レコード購入記録メモの投稿となります。地元の中古CD、レコードを専門的に取り扱う店やBOOK OFFなどでポツポツと入手したもので、希少盤の紹介ではなく、私のやりくりができる金額内で購入したレコードです。

〇ホルスト:組曲「惑星」  (グラモフォン 28MG 0183)

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

「今更」と思われる方も多いレコードです。カラヤンが1981年に再録音をしたホルストの「惑星」、ウィーン・フィルと1961年に録音したレコードはこの曲を広く知らしめたと云われますが、このレコードはデジタル時代登場の幕開けのように登場しました。

発売当時は同時販売となったCDと共に高音質で大音響から微細な音まできけるデジタル録音を象徴・代表する録音・楽曲としての存在だったそうおです(ちなみにカラヤンのデジタル初録音はワーグナーの「パルジファル」、ほぼ同時期にはモーツァルトの「魔笛」にも取り組んでおり、70歳を超えても精力的なカラヤンの活動力と当時のレコード会社の資金力に驚きます!)

もちろん自分もこのディスクはクラシック音楽きき始めの頃、最初の10枚以内くらいに購入したような。オーケストラ音響の威力と機能美に驚いたことを思い出します。後にウィーン・フィルとの録音もききましたが、こちらはそれほど印象に残っていませせん。どちらもCDラックにはありますが、手に取ることはなくなりました。

前にも書いたと思いますがカラヤンのジャケットデザイン・センスが素晴らしいのでLPレコード・サイズで見るとより魅力的です。帯付きで美品、もちろん安価でしたので購入。最近カラヤンの1980年代のレコードが少しずつ高騰しているようですので入手できるときに手に入れるようにしています。

〇J.S.バッハ:トッカータBWV.911/パルティータ第2番/イギリス組曲第2番

 (グラモフォン MG1249)

ピアノ:マルタ・アルゲリッチ

《アルゲリッチ、バッハを弾く》のタイトルのレコード。もちろんCDでも入手可能ですが、ジャケットの若いアルゲリッチの笑顔が素敵です(笑)もちろんCDサイズよりも大きいのでバランスの良いデザインという「見た目」重視で&アルゲリッチのバッハは未聴のため購入しました。

アルゲリッチのバッハはこの録音しか知りませんが、他の作品は手がけていないのでしょうか?マイスキーとのチェロ・ソナタ集はありますが、ピアノ(チェンバロ)協奏曲とか。それにしても彼女のバッハ、非常に興味があります。

〇チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番  

(東芝EMI EAC-60028)

ピアノ:アレクシス・ワイセンベルク

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン/パリ管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

再びカラヤンです。多くの方もご存知かと思いますが、「無冠の名曲名盤」という不名誉な呼ばれ方をされる録音です。

当時、帝王カラヤン、テクニック抜群のワイセンベルクがピアノ・コンチェルトを代表する名曲を録音したレコードだったので名曲名演の定番となる見込みで発売されたはずですが、評論家たちの扱いは冷淡で、名演選でも取り上げられることもなく現在に至っています。

先日ラフマニノフの第3楽章をきいて驚きました!ムード音楽的に流れてしまう演奏でもそれなりにきこえてしまう完成度の作品ですが・・・この演奏は毅然としてシンフォニック!こういったラフマニノフをききたかった!というものでした。偶然レコードを目にしたので購入しました。

〇モーツァルト:歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」K.50(46b) (全曲)

テイチクKUX-3020

バスティアン(テノール):クラーエス・H・アーンショー/バスティエンヌ(ソプラノ):エディット・マティス/コラ(バス):ワルター・ベリー

指揮・チェンバロ:レオポルド・ハーガー/ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

1768年、モーツァルト12歳で作曲した1幕のジングシュピール(歌芝居)です。昔から全曲をきいてみたいと思っていましたが(序曲など抜粋でしかきいたことがありませんでした)音盤が少なく、古楽器演奏が盛んになり、バロック音楽から古典派音楽も様々な作品がきけるようになってきていますが、モーツァルトの初期オペラはまだ未知なる領域といえます―アーノンクールもこの前後の「ラ・フィンタ・センプリーチェ」K.51(46a)、「ポントの王ミトリダーテ」K.87(74a)は録音していますが、このオペラはスルーしています・・・。

このレコードは、モーツァルトの主要な初期オペラを録音しているレオポルド・ハーガーによる1976年録音のものです。モーツァルト生誕250年(2006年)の「レコード芸術」にも代表盤として登場していますが、いまだに新録音の登場はありません。

しかし、歌手もエディット・マティス、ヴァルター・ベリーなど実力者なので期待できそうです。また対訳付きで盤面、ジャケットも経年劣化が極小、帯付きなのもGOOD。

〇清水 脩:合唱組曲「山に祈る」/智恵子抄より「或る夜のこころ」/智恵子抄巻末のうた六首  (東芝EMI TA-60038)

指揮:清水 脩/東京フィルハーモニー交響楽団/二期会合唱団/東京リーダーターフェル他

「山に祈る」は中学生の時に、恩師にして音楽教師(以前投稿した、私の人生において大きな影響を与えていただいた方)が、授業の一環として地元の山を登るという1泊2日の行事(その年は穂高常念岳)の直前にきかせてくれた合唱曲です

昔の記憶になりますが、「登山の直前にこんな曲きかせるとは!!」と思いました。内容は山岳登山で遭難した若者が死の直前まで綴った手記が基になっています。

作曲の経過は、続発する山岳遭難の啓発活動の一環として、遭難者の手記をまとめた「山に祈る」という冊子を作製したそうです(作成したのは長野県警というのも後から知りました)そして、あのダークダックスに音楽をつけるように依頼され、完成した作品がこの合唱組曲になったそうです。

中学生の時にきいた演奏がこの自作自演レコードか分りませんので、きいてみたいと思います。他には若杉弘さんのディスクがあったと思います。

また、作曲者清水脩氏自身による作品解説が詳細です。またその山岳遭難者の足取りが地図でリアルに掲載され、登山専門用語の注釈も付いています。

この作品を、中学登山の思い出と共にこのブログに登場させたいと考えていました。レコード入手もできたので、いつか投稿をしたいと思います。

↑この投稿を気に入っていただけましたらクリックをお願いしたします。

<↑この投稿を気に入っていただけましたらクリックをお願いしたします。/p>

↑この投稿を気に入っていただけましたらクリックをお願いしたします。

↑この投稿を気に入っていただけましたらクリックをお願いしたします。

↑この投稿を気に入っていただけましたらクリックをお願いしたします。

演奏会~山田由希子さんオルガン・リサイタル~松本市音楽文化ホール

ホールのパイプオルガンが設立以来最初のオーバー・ホールに入るとのことで、その前のオルガン・リサイタルとなります。

プログラムは以下の通り。ドイツ・ロマン派の作曲家の作品という地方都市のリサイタルとしてはとても意欲的で山田さんの意欲と見識の感じられるものであります(今年エクストン・レーベルから発売されたCDとのタイアップといった側面も)

メンデルスゾーン:前奏曲とフーガ ハ短調 Op.37~第1番

初めてきく作品でしたが、前奏曲の重厚・荘厳な感じ、やっぱりバッハの「マタイ受難曲」を再演した作曲家の作品だ!と思いました。

フーガに入るとメロディーラインに親しみやすさと闊達な音楽進行となります。

延々と鳴り響くコーダは堂々たるきき応えバツグンのプログラム冒頭を飾るにふさわしい作品。

シューマン:ペダル・フリューゲルのための練習曲集~第1番・第2番・第3番・第4番

こちらも初体験曲。元来パイプオルガン作品ではないので(オルガンの低音を基礎にした進行やポリフォニックな感じはあれど)躍動的・飛躍的な面に特徴がありました。またシューマンの書いた歌曲を感じさせる情景的なところもあります。

ブラームス:11のコラール前奏曲 Op.122~第1番・第2番・第3番・第4番

シューマンと対比されるようにブラームス最晩年、亡くなる前年、作品番号としても最後の作曲となったもの。

クララ・シューマンの死、自身の死も感じていたのでしょう「死」「諦観」「達観」「祈り」「瞑目」しているような作品が並びます。そこに「ドイツ・レクイエム」にも通じる「慰め」―もちろんバッハへのオマージュや敬慕も伝わってきます。

同じく晩年のインテルメッツォ集ともにブラームスの秀作であると思います。

山田さんにはホールオルガンのオーバーホール後、是非全11曲を演奏していただきたい!!

ブラームス:前奏曲とフーガ イ短調 WoO.9

これまた初めて、このような作品があったことも初めて知りました。

23歳の習作扱いの作品。やはり17・18世紀の音楽の音楽をみっちり勉強していたのだなぁ、と思います。

バッハやベーム、ブクステフーデの音楽と同じ響きがしています。

フーガに入ると多彩な表現が加わり、徐々に青年ブラームスの心情がきかれます。後年にもきかれる秘めたる情熱や思慕が屈折したように出てくるあの感じ、似ています。

山田さんはその辺りの直接的でない「屈折したロマン派・青年ブラームス」を示唆してくれる演奏でした。

シューマンからブラームスまで通して弾かれました。これは拍手で中断せずに2人の作曲家の繋がり、影響と対比をきいて欲しいということでしょう。

休憩後最初の曲は

ラインベルガ―:オルガン・ソナタ 第2番 変イ長調 Op.65「幻想ソナタ」~第1楽章

名前をきいても馴染みのある作品をひとつも知りません。オペラ、宗教音楽から室内楽、器楽曲などを残し、オルガン・ソナタも20曲くらい残しているそうですが・・・。

ロマン派の作曲家らしく「幻想」の名をもつこの作品、第1楽章のみなので音楽的なことを云々いえないですが、奏者には弾きごたえあり、ききてはオルガンの音圧に圧倒される曲。

オルガン協奏曲という名のオルガン独奏曲を何曲か残しているフランスの作曲家ヴィエルヌがいますが、それらと同類の印象を受けました。

プログラム最後は

ロイプケ:オルガン・ソナタ ハ短調 「詩篇第94篇」

こちらも初めてきく作曲家。リストに学び可愛がられたそうですが24歳で病没したそうです。

サブ・タイトルの通り「詩篇第94篇」に基づき「怒り」「嘆き」「悲しみ」「苦しみ」の4部構成の作品。

冒頭は山田さんの補助的?に譜めくりを務めていた女性も足鍵盤を操作するという2人がかりでとっても暗いデモーニッシュな旋律を弾きます。こういった暗く闇に引き込まれる音楽、キライではない。むしろスキ!

バッハ以来のこのジャンルの歴史を覆してやろうというくらい、とにかく重厚でオルガンの威力を過大にきかせます。感情表現も赤裸々にきこえるのは作曲者が若かったからでしょうか?オルガン作品というよりはピアノ作品のような旋律線の描き方。

才気あふれる青年作曲家が師への尊敬の念からピアノ・ソナタやらラ・カンパネラなどイイとこ取りして書いた感じ。ただ一面で演奏効果を狙いすぎてカリカチュア、パロディになっているようにも。

それでもとにかく凄味のある大音響によるクライマックスで終止するのでプログラム掉尾を飾るにふさわしい。

この作品、ピアノ曲に編曲するとか、オーケストラ用に編曲したら面白いと思いました。

ただ一つ苦言を。

いくらオーバーホール前のオルガンをフーチャーしたいのか、この曲の「怒り」「嘆き」「悲しみ」「苦しみ」を分かるようにしたいのか、オルガンを照らしていたライトを演奏中に青色とか赤色に切り替えていたのはいかがなものでしょうか?

演奏家の要望?舞台演出?音楽を視覚的に表現したのは鑑賞への阻害でした(むしろ悪趣味)

余談になりますが、音楽教育もこういった傾向があります「この音楽は楽しいですよ」「この音楽は悲しいですよ」と音楽をきく前からの押しつけ。

モーツァルトの交響曲第40番をきいて快感を得ても良いですし、ベートーヴェンの第九の歓喜の歌をきいて人間の愚かさに嘆いても良いのデス。

アンコールはリストのコンソレーション第2番というのもGOOD!

以前のリサイタルでもリストを弾かれていましたが、ロマン派最後の聴衆に向けたオルガン曲を書いた作曲家(ブルックナーのそれは教会音楽としての軌道にあるので別)

派手な曲目でなく、徹頭徹尾よく練られたプログラムと演奏を地方都市の音楽ホールできけるリサイタルを開催いただいたことは文化レベル向上につながっていくでしょう―もう少し客入りがあっても良かったと思います。

山田さんの舞台衣装、前半は青色の袖に刺繍の飾りのある動きのあるもの、後半は情熱の赤といったドレス。音楽以外にも目を引くコンサートでした。

rochade.hatenablog.com

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

フルトヴェングラー生誕140年~正規録音集大成 完聴記 第1章④SP録音期(Vol. 4)

今週はフルトヴェングラーの正規録音集大成(CD55枚組)の視聴記。1929年から1937年にかけて録音されたポリドール(ドイツ・グラモフォン)SP録音期が完結します。

オーケストラは全てベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。

【CD4】

〇ワーグナー:楽劇「神々のたそがれ」~ジークフリートの葬送行進曲(録音:1933年)

深々とした弦楽器、管楽器・金管楽器の朗々とした響きが戦前のベルリン・フィルの音色を伝えてくれます。SP録音でこれだけ豊かにきこえてくるのなら実演だったら!と虚しい想像のみ膨らみます。

終結部は演奏会用のものを用いています。

この曲は後年もウィーン・フィルやスタジオ録音、ライヴ録音と残しておりますが(全てきいてはおりません)オーケストラの充実した響きからそれらに引けをとらないと思います。

〇ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」序曲 Op.84(録音:1933年)

冒頭の悲劇的ストーリーに基づく迫力を伴う表現、木管楽器の寂しげな音、重厚で厚みのある響きはやっぱりフルトヴェングラー印の演奏。

主部に入るとより力強さとスピードが増してフィナーレの歓喜のような表現は壮年期の録音であることを窺わせます(テンポについてはSP録音制約を感じる)

後年の悲劇的・深刻な面を前面に出した録音とは異なるスタイル。

〇モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492~序曲(録音:1933年)

SP収録時間の制約のためか速いテンポで駆け抜けていく―フルトヴェングラーのモーツァルトといえば交響曲第40番にしろ、何かに追い立てられるような演奏解釈が多い。でも歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(戦後のザルツブルク・フェスティバルで上演した記録が映像も含めて残っています)では迫真的な演奏。この作曲家をどのように捉えていたのか不思議なくらい。

〇モーツァルト:歌劇「後宮からの誘拐」K.382~序曲(録音:1933年)

唯一の録音。これもやたらと速いことが特徴(SP収録時間5分以内の4分51秒!)現代のピリオド楽器、それに準じる演奏になれた耳には違和感はありません。

一般的にコンスタンツェのアリアからの引用部分は思い入れを込めるように弾かれますがここではあまり見向きされません。

このオペラは作曲当時のトルコ音楽趣味を取り入れたことからシンバルやトライアングルといった楽器を取り入れて賑やかにしていますが、この録音からは全くきこえてきません。スコア上の打楽器指定個所でもききとれませんでした。

別の出版譜?録音技術の制約で打楽器の音が正確に収録できないので除いた可能性もありあす。

〇ロッシーニ:歌劇「セヴィリアの理髪師」(録音:1935年)

1930年に録音された歌劇「どろぼうかささぎ」序曲と共に唯一の録音。

冒頭和音を力強く鳴らすところにインパクトがあります。主部では弾むリズムと推進力があります。しかしモーツァルトとは逆にゆったりと歌わせるところはテンポを減速しているのが印象的。

もちろんコーダではアンサンブルを気にせず高揚感を前面に進んでいきます!ロッシーニの序曲でこれだけ多彩な変化をきかせてくれるとは!これをきくと1930年代はフルトヴェングラーの指揮者人生において―そしてもちろんベルリン・フィルとの信頼・関係も重要であったはず―ひとつの円熟・頂点を迎えていたように思います。それにしてもあの戦争!!あれが無ければ彼の生涯は全く異なったものになり、長命したでしょう。やはり戦争とは愚かしい、無駄なものであります。

〇ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲(録音:1935年)

1926年最初の録音から10年を経過しての再録音。録音技術の進化もあるでしょうが、深々と広々とした響きの表現になっています。この後も幾つか録音を残していますがこの序曲、フルトヴェングラー向きではないでしょうか?弦楽器、木管楽器、金管楽器それぞれにきかせどころのフレーズや陰影があり、クレッシェンドにも事欠かず―年代ごとでのきき比べも面白のでは。

1926年録音のスマートな魅力に対し、この録音は戦前のベルリン・フィルが持っていた豊かで、やや軽快で明るいサウンド。特に弦楽器にその特徴があるように思います。

〇ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」第3幕への前奏曲(1935年)

先の序曲SP盤の片面収録楽曲―序曲がSP1枚の両面と2枚目の表面に収録されたので、その2枚目の裏面に収められた穴埋め用として録音されたもの。もちろん単独の録音としては唯一です。

よく知られた「狩人の合唱」がメインテーマとなるので、ベルリン・フィルのホルン・アンサンブルをきくための録音といったものでしょう。上演で耳にするのとは異なりリピートがあるのは演奏会用ヴァージョン?

〇モーツァルト:セレナード第13番 ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(録音:1936年・1937年)

1990年代初めにドイツ・グラモフォンがCD3枚組の復刻をした時、ワルター盤(コロンビア交響楽団)の次にきいた演奏です。

第1楽章から重心が下にあるアンサンブルなのでセレナードにある愉悦感はなく録音状態もあって「ドライ」という印象を受ける方が多いのでしょうが、熱っぽさ(第1楽章と第4楽章)と憂愁―特に第2楽章のロマンツェ!60小節からの後ろ髪を引かれるような寂しさの表現に惹かれます。交響曲第40番ではあんなにセカセカしたを演奏しているフルトヴェングラーとは思えません。またフォルテ・ピアノのアクセント、クレッシェンドが意図したように表情付けをしていることろも個性的。

「こんなのモーツァルトではない!」と過去の評論家何某=「○野○芳」氏は繰り返し仰っていましたが・・・。

収録時間の関係や演奏慣習であちこちのリピートが省略は残念。

〇J.シュトラウスⅡ世:喜歌劇「こうもり」序曲(録音:1937年)

唯一の録音。曲の内容をフルトヴェングラーの表現力が上回っている録音のひとつではないでしょうか?

フォルテなど音楽が盛り上がっていくところでは力が入りすぎてフルトヴェングラーが足でリズムを刻む「足音入り」!?そのリズム強調が出すぎて硬質なシュトラウスの仕上がり―糊の効き過ぎたワイシャツを着て慣れない華やかな場所に出掛けたような―。

今までフルトヴェングラーの熱心なききてではなかった私ではありますが、1926年最初の録音から第二次世界大戦開戦の直前1938年までポリドールSP録音をきいてきましたが、フルトヴェングラーが精神的・気力も十分だったのがこの時期であったのでは?と感じました。

1930年代の録音からは音質を超えて大戦後の演奏からはあまりきかれなくなってしまった「輝き」があります。

当時の記録では聴衆がフルトヴェングラーに「熱狂した」といわれています。なぜそこまで彼の演奏を渇望したのか?それがこの録音をきいて若干なりとも理解できたように思います。

rochade.hatenablog.com

rochade.hatenablog.com

rochade.hatenablog.com

rochade.hatenablog.com

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 正規レコード用録音集大成 ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、フィルハーモニア管弦楽団、他(55CD) | HMV&BOOKS online - 9029523240

youtu.be

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

【映画鑑賞】「ベートーヴェン捏造」(監督:関和亮さん、主演:山田裕貴さん)

過日、かげはら史帆さんの著作「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」(河出文庫 2020年刊)の感想を投稿した際に映画を見るといったままタイミングを逸していました。

rochade.hatenablog.com

私が小中学校で初期音楽教育を受けた頃はクラシック音楽界においてベートーヴェンこそが「楽聖」「天才」として一番「エライ」作曲家として教えられました。耳がきこえなくても不断の努力で「運命」「田園」「第九」などの交響曲を書いた―ストイックで色恋・色欲・名誉欲などとは無縁の「孤高の天才」として・・・その偶像は秘書(自称)アントン・シンドラーの手によって脚色・創作されたものだったー

これが件の「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」で克明に描かれた内容でした。その著作を原作にして映画化もされました(監督関和亮/脚本:バカリズム/制作:2025年)


www.youtube.com

Amazon.co.jp: ベートーヴェン捏造を観る | Prime Video

音楽史を揺るがしたシンドラーによるベートーヴェンの会話帳改竄事件をベースとして史実と捏造を描いています。

ベートーヴェンは難聴のため「会話帳」(筆談用ノート)を使っていました。約400冊が死後に残されていたとされますが、現存するのは約139冊!それはシンドラーは不都合な会話帳破棄、改ざん、そして自身の伝記に都合のよい記述を加筆をしました(つまりウソを書き込んだ)それが1977年(ベートーヴェン没後150年)に国際ベートーヴェン学会で改ざん発覚の事実が報告されたことによりシンドラーは詐術師としての烙印が押されました。

映画でもエピソードとしても語られますが、一番有名な交響曲第5番「運命」第一楽章冒頭の「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」=シンドラーが「運命はこのように扉を叩くのだ」と言われた―コーヒーを豆60粒で淹れる几帳面なエピソード(蛇足ですが、当時このエピソードを知った中学生の私は実際にやってみましたよ)からピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」はシェイクスピアからの影響云々。

しかし実際のベートーヴェンは、癇癪持ちで金銭にがめつく、時に野卑な言動を取る「小汚いおじさん」(シンドラー曰く)

しかしシンドラーはこれをベートーヴェン没後に「聖なる天才」に仕立て上げ、自身の存在感を誇張し、互いにベートーヴェン伝を発表するライバル(ベートーヴェンと親交のあったとされるホルツら)を貶めた。

映画ではこのギャップが巧みに演出されています。シンドラー(山田裕貴さん)の過剰な崇拝と鈍感(滑稽にも思えるくらい)と粗野でガサツなベートーヴェン(古田新太さん)全く噛み合わない!また会話帳の加筆シーンや伝記をめぐる情報戦は虚実が交錯する緊張感があります、特にシンドラーが会話帳の存在に気づき盗み出し、暖炉で破却する場面は信仰心が殺人や詐欺を当たり前に起こす「狂信者」が背後に宿る山田さんの演技が印象的でした。

またベートーヴェンに可愛がられたリース(井ノ原快彦さん)をシンドラーが訪ねベートーヴェンとの想い出を語るリースに対し、シンドラーには薄っぺらい情報しかないその格差を実感するところ、これがより自分の方がベートーヴェンと仲良かったんだよアピールをする必要性を加速させることになります。その会話のスピードが面白い、これは演出、脚本が活きていると思いました。

原作と映画の相違は現代の音楽室の会話劇シーン(教師が生徒と語らう形式)により音楽史=難しいというイメージを軽やかな演出としています。蛇足ですが―私も中学時代の恩師は音楽教師でもあったので音楽室で様々な書籍やスコアを見せていただいたり、音楽をきかせていただいたことを思い出しました。

ヴェーゲラー(遠藤憲一さん)やホルツ(神尾楓珠さん)、リースといった厄介者・ライバルが次々と死去するなかで後半にかけてのキーマンとして登場するセイヤー(染谷将太さん)も真実追求者としてシンドラーを追い詰めていく若干のシリアスなところが映画をクライマックスに向けて盛り上げていきます、でも全体的にはコミカルな早いストーリー展開に哀愁が共生しています。それをシンドラーをアイロニーに満ちた目で見る我々。

音楽史に限らず歴史にはつきものの「過大」な情報拡散行為はIT・SNSが日常生活で切っても切り離せない現代社会に通じると思いました。もちろんクラシック音楽の知識がなくても「ベートーヴェン知っている」「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」だけ知ってる程度の知識で十分に楽しめる作品であります。

ちなみに特殊撮影技術の進歩はすごいもので大掛かりな当時のセットや室内装飾は背景に後から映し込んで編集しているそうです。これなら大掛かりな海外撮影やスペクタクル映画も低予算で作成できてしまいます。ただし昔のハリウッド映画のような迫力や空気感は望めないでしょうが。

↑この記事が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

 

イヴ・ナット没後70年①~シューマン演奏の魅力

フランスのピアニスト、イヴ・ナット(Yves Nat 1890年12月29日-1956年8月31日)の没後70年のアニバーサリー・イヤーにあたります。

f:id:rochade:20260829112723j:image

フランスのピアニストですが彼が残した録音はベートーヴェンのソナタ全集とシューマンがメインとなります。

今回はシューマンのレパートリーを中心にご紹介をしたいと思います。

フランスのピアニストといえばアルフレッド・コルトーとサンソン・フランソワとなるでしょう、両者のショパンは名高いです。しかしナットは先に書いた通りベートーヴェンとシューマンの録音がメインで―ショパンの作品も録音を残していますが彼らに比べればごく僅かです。

そして不思議なことにドビュッシー、ラヴェルの録音はありません。演奏会では弾いていたのでしょうか?

上記以外に録音が残っているものはブラームス、シューベルト、リスト、珍しいのはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の「ロシアの踊り」、お国ものではフランクがあるくらいです。

今回きいたディスクは廉価レーベル(Membran)から発売されているボックスセットです。このレーベルは往年の演奏家のセットを多数発売しており大変に重宝しております(クラシックだけでなくJAZZ演奏家Verもあり嬉しい)

自分の購入したナットのセットは現在廃盤になっていますが、装丁変更の再発売版は収録曲は同内容で入手可能です。

旧装丁↓

The French Piano Legend - Recordings 1929-1956/イヴ・ナット (tower.jp)

新装丁↓

イーヴ・ナット~ザ・フレンチ・ピアノ・レジェンド/イヴ・ナット (tower.jp)

そのナットの弾いたシューマンですが、典型的なフランス流の芳醇な音色や色気を出したり、時に感情過多気味と感じるようなものでなく、精緻で計算されたような強弱と豊かな旋律表現、構造をくっきりときかせつつも、内面的な詩情を深堀りしています。指が短かったといわれる通り技巧を要求される箇所での指捌きにオヤッと思うところはありますが、古い録音であっても感じることのできる明晰さとリズムの弾力、ダイナミックな音に惹かれます(主に1950年代のモノラル成熟期の録音ということやCD復刻にあたりリマスタリングもしているのでしょう、ききやすい音であると思います)

「子供の情景」―1930年と1952年のふたつの録音がありますが、後者では純真無垢な子どもの視点を理想化したような慈しむようにして各曲を仕上げています。

多くの方が楽しみにしている?「トロイメライ」では過度な感傷を出さず静寂と共に流れていく感じです。     

「クライスレリアーナ」(録音:1951年)は難しい曲と思います。陰と陽が代わる代わる出てくるのでついていくのが大変。気分屋さんとお付き合いしているみたい。他の作品にもありますが、この対比・転換がシューマンの音楽の魅力ともいえるのかも知れませんが―激しい興奮・高揚と親密で内向的な緩徐部が見事に対照化され、狂気と詩情をきかせてくれます。

第6曲「きわめて遅く」の中にふと出てくるクリスマス音楽の一節、聖夜に響く静かな祈りの旋律を染み渡るようにきかせてくれるところはとても印象的。

表現全開とならない抑制された中にある熱っぽさみたいなものも印象に残りました。

名盤といわれるホロヴィッツとのきき比べが面白いと思います。
「幻想曲」(録音:1952年)をきけばナットを「賢人ピアニスト」と敬したい気持ちになるでしょう。個人的にシューマンのピアノ作品、リートと共に親しみを持って接しますが、リヒテルと並ぶ愛聴盤。

第1楽章冒頭の幻想的高揚から様々な変化と展開、第2楽章の堂々とした凱旋行進曲のリズミカルな弾きぶり、付点リズムがシューマンらしさを倍増している。第3楽章の繊細、思慕のような表現から終止部の線で結ばれてシューマンの内面の転換を収斂していくようなところはまるで人間の内なる陰影まで描いているような・・・今回はやけに評論がぶったような文章になりますが、ナットをきいているとこういった表現をしたくなります。まるで良い文学小説を読んでいるような気持になります。音楽を文学的にきくな。との声も聞こえてきそうですが。。。
他にも「交響的練習曲」「ウィーンの謝肉祭」「幻想小曲集」(1937年録音の3曲抜粋も収録されている)「8つのノヴェレッテ」「フモレスケ」「蝶々」「アラベスク」「3つのロマンス」「トッカータ」と主要なピアノ作品をきくことができます。曲ごとの弾き分け(陰影)やウィットにとんだ方のお話をきくような楽しさもあります。

そしてピアノ協奏曲イ短調(録音:1933年)の録音もありますが、こちらはナットのピアノは別として指揮ウジェーヌ・ビゴと管弦楽がやや非力。
今週は今月末(31日)没後70年を迎えるイヴ・ナットのシューマンの録音についてご紹介をいたしました。もうひとつの録音遺産、ベートーヴェンのピアノ・ソナタについても現在再聴しております。改めてアニバーサリー・イヤーに合わせて投稿記事を書く予定です。その節はお付き合いいただけますようお願いいたします。

f:id:rochade:20260829112750j:image

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

完聴記~ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲⑦(パシフィカ・カルテット)~生誕120年

ショスタコーヴィチの生誕120年記念の弦楽四重奏曲全曲完聴記の第7回目。

晩年の作風を持った1970年に作曲された第13番、1973年に完成された第14番を。演奏は例のごとくパシフィカ・カルテットです。

 

弦楽四重奏曲第13番 変ロ短調 Op.138(作曲・初演:1970年)

ショスタコーヴィチの数々の弦楽四重奏曲を初演したベートーヴェン四重奏団のヴィオラ奏者ワジム・ワシリーエヴィチ・ボリソフスキーが病気のため退団するのにあたり捧げられた単一楽章の作品。ヴィオラがやはりフィーチャーされ様々な表情をきかせてくれます。全体的にはやはり暗い。アーチ形式をとりゆっくり→少し速く→ゆっくり、という構成です。

(Adagio)ヴィオラがまずしんみりした旋律を奏でます。澄んだきれいな音色でどこか哀歌みたいで泣いているような高音も印象的です。中間部(Doppio movimento)はテンポが2倍になり、神経質なリズムが執拗に繰り返されます。楽器の胴を弓で叩く奏法もあり乾いたダンスのようでもあります。不協和音もきこえて不気味で希望の光すら見えない漆黒の世界。 最後(Tempo primo)は再びゆっくりしたテンポに戻り、弱音器を付けたヴィオラがモノローグのように惹かれます。高音域はまるで息が途絶えて消えていくような感じです。終盤でヴァイオリンが加わって二重奏のようになり仲間が昔を懐かしみ思い出を語っているのでしょうか?急にそれを断ち切る強音を鳴らして現実を容赦なく突きつけるインパクトのある終わり方です。

 

弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 Op.142(作曲:1972年~1973年・初演:1973年)

こちらは同じベートーヴェン四重奏団のチェロ奏者セルゲイ・ペトローヴィチ・シリンスキーに捧げられた三楽章の作品。もちろんチェロが主役。調性も影響してか晩年の作品からすると明朗な作風ですがやはり暗さを忘れていない?作品です。それは着手中の1972年に第13番をささげたボリソフスキーが亡くなったことも作曲にあたり影響を与えたともいわれています。

第1楽章(Allegretto) ヴィオラが音型を繰り返すところに、チェロが跳ねるようなテーマをを提示します。元気に見えていて憂いがあるという印象です。しだいに熱気と激しい動きをきかせていきますが、いびつな感じがあります。リズムも独特なところがあります。

第2楽章:Adagio  第1ヴァイオリンが長い瞑想的なモノローグを奏でます。静かな祈りのようにもきこえます。その旋律をチェロが引き継いで、両者の対話へと進んでいきます。途中、情熱的なピッツィカートによるカノンの場面がありますが、陽気なイタリア音楽の挿入が面白い。ニ短調の音楽に突如の変化なのでそのギャップにショスタコーヴィチ流のアイロニーがあります。

アタッカで次の楽章へ―

第3楽章:Allegretto Adagio 前楽章からのピッツカートのリズムに乗って各楽器が流れるように変化を加えながら曲を進めていきます。そしてこの楽章は他楽章、自作引用が目立ちます。歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(後の「カテリーナ・イズマイロワ」)からタイトルロールの旋律「セリョージャ(セルゲイの愛称)、私の大切な人」が登場します。これは献呈したセルゲイ(愛称セリョージャ)への愛?を持った引用でしょうか。しかし引用をあえて過去の問題作というのは自虐的要素もあるのでしょうか?それともこのメロディーに暗示めいたものがあるのでしょうか?楽器同士が短い音でキャッチボールを楽しむようなやり取りから徐々に落ち着きをもった雰囲気となり、第1楽章冒頭のモチーフが回想されて安らぎとも諦念ともとれる終止を迎えます。

 

第13番はヴィオラの暗いモノローグ、不気味な中間部がききどころ。第14番はチェロ(奏者)への愛と自作引用に親しみとアイロニーを感じます。そしてショスタコーヴィチらしいのは、極端な深刻へ傾斜せずニヤリとしているのでは?と感じられるところ。秋の空気が訪れつつある(まだ長野県だけかな?)静かな夜にゆっくり楽しみたい弦楽四重奏曲ではないでしょうか。

rochade.hatenablog.com

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

Selct Classic(42)~ホーエンフリートベルク行進曲~フリードリヒ大王没後240年に寄せて

2026年8月17日はプロイセン王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王。第3代プロイセン国王)の没後240年です。

f:id:rochade:20260814203108j:image

1712年1月24日ベルリンに生まれ、1740年に即位した彼は、軍事・行政・文化の両面でプロイセンを欧州列強に押し上げた啓蒙専制君主です。

クラシック音楽を知る方にはフルートを愛好して自ら演奏するとともに作曲(100曲を超えるフルート協奏曲・ソナタを残しているそうです)また、その宮廷に招聘されたクヴァンツ、グラウン、ベンダ、C...バッハらの作曲家、そして1747年に大バッハがポツダムを訪れた際に「音楽の捧げもの」作曲のきっかけとなったテーマを与えたエピソードで知られていますね。

f:id:rochade:20260814204313j:image

そのフリードリヒは父王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(軍人王)の厳格な跡継ぎとしての教育を受け…それはもう大変な、現代であったら事件になりそうなエピソード満載!これを書いていたら話題が逸れてしまうので彼の生涯をとっても以下簡略に―

若い頃は芸術や哲学に傾倒しましたが、即位直後から周辺国に対して行動を起こします。当時プロイセンはまだ隣国フランスやオーストリアに比べれば新興国家というものでしたが、オーストリア継承戦争(シュレージエン戦争)で豊かなシュレージエンを奪取。1745年のホーエンフリートベルクの戦いでオーストリア・ザクセン連合軍を破り、決定的な勝利を収めました。

しかし七年戦争(1756~63年)ではフランス・オーストリア・ロシアなど大国を相手に孤立、ロスバッハやロイテンで大勝する一方、クーネルスドルフで壊滅的敗北を喫するなど存亡の危機に直面、ベルリンも陥落目前となり、フリードリヒ2世自身も死を覚悟します。しかし、敵連合軍の意思統一の不徹底、そこにロシア女帝の急死という奇跡ともいえる情勢変化により講和に至り、シュレージエンを確保することに成功。

1772年の第一次ポーランド分割では西プロイセンを獲得し、領土を大きく拡大。

国内では官僚制整備、農業・工業振興、宗教寛容を進め、「国家第一の下僕」と自ら称して近代国家の礎を築きました。

その晩年はポツダムのサンスーシ宮殿で政務をしつつ、愛犬が唯一の友という静かな余生を送ったそうです(幼少期から心休まる暇もなく、死を覚悟するほどの日々を送っていたらそうなるでしょう、と思います)

そして体調を崩していたフリードリヒ2世は1786年8月17日に崩御しました。

【余談ですが、第2次世界大戦においてドイツが最後まで徹底抗戦をしたひとつにこのフリードリヒ2世の七年戦争における奇跡的な勝利?への期待をしたこともあるといわれます。ヒトラーはフリードリヒ2世を崇拝しており、執務室にその肖像画を飾っていたそうです】

作曲もしたフリードリヒ2世、その中で吹奏楽をされる方ならご存知の「ホーエンフリートベルク行進曲」(Der Hohenfriedberger)をご紹介したいと思います。

1745年の戦勝を記念して作られたとされ、大王自身の作曲と伝わります。勇壮な行進曲。躍動感あふれる旋律はプロイセン軍の誇りを象徴し、後にこちらもドイツ行進曲の定番「ケーニヒグレッツ行進曲」のトリオ部にも引用されています。現在もドイツ軍のパレードなどで演奏されることもあります。

【Disk】

カラヤンがベルリン・フィルの管楽器奏者メンバーと超有名行進曲「双頭の鷲の旗の下に」などドイツ~オーストリアの行進曲二十数曲を録音したディスクから。

f:id:rochade:20260814202927j:image

制作意図不明の珍品ディスク。しかしながらこの組み合わせから想像される通り、世間一般に流通しているような吹奏楽団や各種団体のビジネスライク指向の演奏とは異なり、ハイレベルで真面目、低音リズムもしっかりと刻んだ真摯な行進曲演奏になっていると思います。

↑この投稿が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この投稿が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この投稿が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この投稿が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

↑この投稿が気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。

フルトヴェングラー生誕140年~正規録音集大成 完聴記 第1章③SP録音期(Vol.3)

今週は先月に続きフルトヴェングラーの1930年代のポリードール録音の視聴記です。

前回同様、管弦楽はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。

f:id:rochade:20260807185724j:image

f:id:rochade:20260807185728j:image

【CD3】

〇メンデスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」Op.26+リハーサル付き(録音:1930年)

この作品にある無常感・寂寥感・孤独感をこれほど伝えてくれる表現はなかなかきけない。

テンポが加速していくアッチェレダントはまさにフルトヴェングラーそのものだ。

全体にテンポが速いのはがSP時代の時間感覚も意識しているのだろうか。後年の再録音(1949 年ウィーン・フィル)とのきき比べも楽しみ。

7分過ぎの繊細で、寂しげな表現はとても印象的、木管楽器のデリケートな音色もこの録音状態でもよく捉えていると思います。

後半のアッチェレダントから終始部の和音に至る所は激しい悶えからまるで鼓動が停止する瞬間のようです。

約3分のリハーサルは終始部のほぼ通しテイクの様子で、フルトヴェングラーが少し指示する声がきこえます。

これはグラモフォンから復刻されたCD3枚組には収録されていなかったので初めて存在を知りました。

〇ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」〜ハンガリー行進曲(録音:1930年)

これは珍しいレパートリー、しかし1950年の全曲ライヴがあるのは意外(未聴ですが)

やや抑え気味の表現では?重厚に構えたマーチではあります。収録時間制限があるでしょう、リピートは省略しています。

〇ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 変イ長調 Op.46-3(録音:1930年)

唯一録音が残っているドヴォルザーク?(新世界交響曲は真っ赤な偽物なので)

当然ですがスラヴ的な雰囲気、空気感はあまり感じられません。リズムも間も独特な解釈。これも何とかSP収録時間に収めようとする意図を感じる演奏。

後半でテンポが加速していくところは気合が入ったのか、指揮台で足を踏み鳴らす「足音入り」の録音(他の楽曲でもきこえてきますが)

これもグラモフォンの初期CD復刻では収録されていませんでしたので初めてききました。なぜ収録されていなかったのでしょうか?当時は発見されていなかった?非フルトヴェングラー盤という扱いだった?その辺の事情が分かりません。ご存知の方はご教示ください。

〇 J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番 ニ長調 BWV.1047(録音:1930年)

音が鳴った瞬間、ピリオド楽器演奏をきき慣れた耳には仰け反りそうになりますが、不思議とリズムに弾みがあります。同時代のメンゲルベルクやクナッパーツブッシュと比べると洗練されていると思います。

第1楽章は肉厚でアレグロ・マエストーソといった展開でテンポの緩急は恣意的な感じはしつつもバランスを極端に崩さないセンスがあります。第2楽章の2つの和音は省略。

第3楽章も含めて全曲バロックよりも、ロマンティックでエレガントな擬似古楽サウンドとしてききました。

〇ロッシーニ:歌劇「どろぼうかささぎ」序曲(録音:1930年)

対比のように語られるトスカニーニとは当然異なる表現、こちらの繊細さとダイナミックな表現を兼ね備えた演奏に魅力を感じる方もいるのでは。

冒頭から堂々たる幕開けでオーケストラの響きも思った以上にフットワークが良く魅力的です。そして何より、ロッシーニ・クレッシェンドとフルトヴェングラーのアッチェレランドのマッチング(親和)を改めて実感しました。後年はほぼレパートリーから消えてしまったロッシーニ。「ウィリアム・テル」序曲があれば・・・。

〇ブラームス:ハンガリー舞曲 第 1 番・第 10 番(1930年)

第1番:冒頭から急迫感・白熱感でききてを引きつけます。そしてキレの良さと瑞々しさ。壮年期のフルトヴェングラーの特徴が表れているのではないでしょうか。

第10番:出だしから深々とした響きが印象的で躍動感と緩急の対比が面白い。

〇ウェーバー(ベルリオーズ編曲):「舞踏への勧誘」(録音:1932年)

この通俗的なピースがこれほど陰影と意志を持った作品だったのか!?と発見する演奏。

踊る男女の高揚感をベルリン・フィルの合奏力が盛り上げます。

ワルツで鳴るホルンはやや突出して単調&チープにきこえてしまう。これは録音バランスの問題だとは思いますが。

ここでも収録録音時間の理由で省略(カット)があるのはしょうがないけど感銘度からするともったいない。

SP 時代の技術的制約(片面の収録時間制限によるリピート省略やカット)が随所に見られる一方で、

テンポの自在な揺らぎ、アチェレランドが見事に決まる瞬間や重厚で肉厚な響きでも古い録音ながら温かみを感じます。後年のフルトヴェングラーの個性の萌芽がきけるとともに働き盛りの指揮者の個性が刻印されています。

特に「フィンガルの洞窟」の無常感・寂寥感、「どろぼうかささぎ」でのロッシーニ・クレッシェンドとのマッチング、ハンガリー舞曲第10番の極端な遅速対比が印象に残りました。メンデルスゾーンのリハーサルも貴重です。

rochade.hatenablog.com

↑この記事をきにいっていただけましたらクリックをお願いいたします

↑この記事をきにいっていただけましたらクリックをお願いいたします

↑この記事をきにいっていただけましたらクリックをお願いいたします

↑この記事をきにいっていただけましたらクリックをお願いいたします

↑この記事をきにいっていただけましたらクリックをお願いいたします

【読書】「バイエルの謎―日本文化になったピアノ教則本」安田寛:著

バイエル=ブルグミュラー、チェルニー、ハノンなど並びピアノを習った方なら誰しも知っている教本であるとともに、あの時の悪夢?ゾッとする辛い思い出が蘇ってくるかもしれません。
しかし近年のピアノ教育の教材としてバイエルは使用されないらしいですね。
それらを含めた
「バイエルは日本で盛んに受容されたのか?」
「バイエルは使用されなくなったのか?」
「バイエルは実在した作曲家なのか?」
を中心に書かれた
安田寛:著「バイエルの謎―日本文化になったピアノ教則本」(音楽之友社、2012年)誰もが知るピアノ教則本の「謎」に真正面から挑んだノンフィクションです。

明治維新の西洋化で輸入されたバイエルが近年のピアノ教育では使われなくなった理由として極端に狭い音域の指の反復練習でしかなく、子どもにとって単調でつまらないという批判が1980年代後半(バッシング 26ページ)から始まり現在の子どものモチベーションを保ち、音楽そのものを楽しむことを優先する傾向が強まった結果、バイエルは敬遠されるようになったと説明されます。
そのバイエルという人物の実在すら疑われー架空の人物として空想伝記まで書かれたとうエピソード(「偽の伝記」31ページ)には笑えます。
生国ドイツの音楽辞典にも極僅かな記述しか残らない状況から著者自らの足とインターネットを使いアメリカからドイツを巡り資料ひとつひとつを探して調査していく過程はミステリー小説の展開を思わせます。それに著者の使命感というか執念も伝わってきます。
そして遂に確認した洗礼記録、死亡証明書などの確認から明らかになったのはフェルディナント・バイエル Ferdinand Beyer1803-1863)がマインツ近郊のクヴェアフルトに生まれた実在の音楽家であり、祖父・母から受け継いだオルガンの伝統を背景に初心者向けの体系的な教則本を作り上げたことです。
原典は単なる指練習ではなく、当時の流行曲や民謡を取り入れた楽しさと基礎を両立させていた曲でもありました。
住んでいた場所も特定(その墓地まで)婚姻や家族構成までも記載されおり第12章(179ページ)からはバイエルの生涯を辿っていく小伝といえます。
集めた資料や現場写真も収めれれているのも実在感があります。
バイエル=ピアノ教則本の商標のイメージを曲を書いた実在の人物としてその顔すら知られなった作曲の肖像画も見ることができます。
バイエルを全否定するのではなく、原典に近い形で再検討していけば導入用の教材としての可能性はあることを示してくれますー未だに難易度の目安として「バイエルの◯◯番程度」の指標として使われている事実もあります。
明治時代から始まった西洋音楽と日本の音楽文化受容の歴史(ピアノ教育の歴史も含めて)からバイエル導入の過程を含めて大変に興味深い著作でした。
 

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします 

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。 

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。 

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。 

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。 

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします。 

完聴記~ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲⑥(パシフィカ・カルテット)~生誕120年

ショスタコーヴィチの生誕120年記念の弦楽四重奏曲全曲完聴記の第6回目。

1966年に作曲された第11番と1968年に作曲された第12番。演奏はパシフィカ・カルテット。

弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 Op.122(作曲・初演:1966年)
友人でショスタコーヴィチのカルテットを演奏しているベートーヴェン四重奏団の第2ヴァイオリン奏者、シリンスキー追悼に捧げられた作品。全7楽章が切れ目なく流れる短めの組曲みたいなもの。全体に漂うのは喪失感とユーモアをスパイスが効いています。
第1楽章:イントロダクション(Andantino)
静かに控えめな開始。ヴァイオリンが主題をポツリと歌い出しますが暗い、悲歌。ロシアの荒涼とした大地。寒々として生きていく苦しみ、ため息をついているような。短くて簡潔ですが、この動機が後の楽章であちこちで顔を出します。人生始まったばかりの暗示?ロシアの民族音楽からの引用もあるのかしら。
第2楽章:スケルツォ(Allegretto)
スケルツォ=陽気なはずなのにここは暗い影が濃い。フーガのような展開になるのですが、途中で不自然な引き延ばしのモチーフで茶化しているのか嘲笑しているのか。人生なんてこんなものさ、ヘヘヘ。という作曲者の自嘲がきこえてきそうです。
第3楽章:レチタティーヴォ(Adagio)
第1ヴァイオリンの激しい叫びに驚きます。その反復が怒りや悲しみ。慟哭にもきこえます。チェロの低弦の響きがデモーニッシュな雰囲気をつくり出口のないまま次の楽章へと続く。
第4楽章:エチュード(Allegro)
全楽章の激しさに無窮動が加わってききてはその音楽に練習曲風の速いパッセージを感じることができますが、追悼として書かれたカルテットでこの音楽は・・・さすがショスタコーヴィチ。
第5楽章:ユモレスク(Allegro)
ここでは第2ヴァイオリンが主導します。カッコウを模したような同じ2音をずっと繰り返す機械的な動きがユーモラス。第2ヴァイオリン奏者の悲哀が伝わってきます―カルテットではもっぱら第1ヴァイオリンばかりに目(耳)がいき第2ヴァイオリンがなかなか目立ち難い。そのためカルテットにおける第2ヴァイオリン奏者の出入りは激しい・・・優秀な(お人よしで第1ヴァイオリンばっかり目立ってもそれを支えることのできるお人好し?奏者を得ることがカルテット活動の重要項目ではないでしょうか。

話題がそれましたが、せっかく第2ヴァイオリン奏者が主役の楽章ですが、あっという間に終わってしまいます(ここでは1分04秒)その皮肉ぶりがショスタコーヴィチ流。
第6楽章:エレジー(Adagio)
ここはまさに哀悼。ヴァイオリンとチェロを中心に葬送行進曲っぽいリズムが重々しいです。これはユダヤ的な粘っこいメロディーとの関連もあるのでしょうか。前楽章までの少し多方向になった音楽がここにきて集約されたように思います。先人ベートーヴェンの弦楽四重奏曲へのアンサー・ソング?にも感じます。奇しくもベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」と同じ調整というのもその意識があったことでしょう。
第7楽章:フィナーレ(Moderato)
これまでの音楽を振り返りながら穏やかに締めくくられます。第2楽章と第4楽章のモチーフがパンチのように繰り返されます。その雰囲気が消え入るように終止するところは厳冬の空の下、雪上のに残った足跡のように感じます。


弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 Op.133(作曲・初演:1968年)

こちらはベートーヴェン四重奏団の第1ヴァイオリン奏者ツィガノフに捧げられた作品。前曲が組曲のような7楽章形式だったのに対し、こちらは2楽章構成。
第1楽章:Moderato
思想的、思い悩んでいるかと思ったらウキウキした明るい兆しがきこえたり、様々な要素の音楽が交差します。その完成度は高く、純度の高い響きからシンフォニックな響きまでききとることができます。楽章終わりの和音が続くところは死者の彷徨いにもきこえるのではないでしょうか。
第2楽章:Allegretto – Adagio – Allegretto
全楽章より3倍の長さがあり、ここからが本題といった感じです。悲痛な叫びはまるでナイフで何かを切り裂くような鋭く生々しい表現(多少スケルツォ的向きもあります)最初は繰り返しの音型が勢いよく、それも執拗な纏わりつくような―狂すら感じる瞬間があり、ここでショスタコーヴィチの心中が振り切れてしまったのでは?と思います。
第2部ではチェロの長いモノローグをローローと弾かれます。エレジー調でほかの楽器がそれを慰めるように寄り添うのが印象的。晩年の様式にも通じるように感じました。その両者の対話は第1ヴァイオリンのピッツィカートにより第3部に導かれます。ここの響きはとても前衛的で第1部の雰囲気が戻ってた感じになります。

第4部はその第1部が回帰・再現となり、次第に頭上にあった悲劇的、恐れや不安が溶解していくような―そこに突如熱気を帯びた変容した音楽が登場します。これまでの哀しみ、不安もウソだったヨ!と言われたみたいな明るさがあります。これがショスタコーヴィチ流の暗から明への表現となるのでしょうか。やはりショスタコーヴィチの音楽は奥深い。

また、この作品、弦楽合奏で演奏したら面白そう、と思いました。

 

rochade.hatenablog.com

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします

↑この記事を気に入っていただけましたらクリックをお願いいたします