音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

Selct Classic(15)~ニールセン:カンタータ「フューン島の春」

カール・ニールセン(1865~1931)はデンマーク生まれで、フィンランドシベリウスノルウェーグリーグと並ぶ北欧御三家?といえる作曲家といえます。作風は20世紀まで生きていましたが、19世紀のロマン派の音楽を指向してるので耳に入ってきやすいです。私は彼の作品はそんなに多くきいているわけではありませんが、今回ご紹介する1921年に完成された独唱、コーラスと管弦楽によるカンタータ「フューン島の春」作品42はこの季節にふさわしい清々しい気持ちになる作品です。

ニールセンの出身地フューン島(ノーレ・リュンデルセという村で生まれたそうです)へのふるさと賛歌といえる作品で、1分から2分位の8曲がその地の風景を描写していきます(歌詞はデンマーク語で歌われます)

第1曲「雪がとける時の芝生の緑のように」は合唱とオーケストラののびやかで美しいく海を渡ってくる風を感じます。その後はソプラノ、テノールバリトンによる各ソロが続き「穏やか」「清らか」な音楽にきき惚れます。しかし、その中でモダンなリズムが箇所もあって、オルフの「カルミナ・ブラーナ」を感じさせるのが印象的です(オルフの方は1936年の作曲)
若者たちは賑やかに、老人たちはあと何回この季節を迎えられるかとかみしめるように、子供たちは無邪気にそれぞれの世代が春を迎えた様子が描かれます。

5曲めには盲目の楽師登場してクラリネットを吹きます。このバリトンによって歌われる音楽は、村の楽師をしていたニールセンの父親へのオマージュといわれています。

終曲では春の到来を高らかに活気を持って謳いあげますが、この部分は一度きいたらしばらくは耳の奥でリフレインしてしまいます。

行ったことは無いですが、フューン島の海や風、牧歌的な空気をたくさん感じられる、長い冬が続いた北欧だからこそ春の到来を喜んでいる様子が伝わってきます。
それが決して声高に自己主張するお国自慢をするような音楽ではないぶん、多くのきき手に愛されるとではないでしょうか?

《Disc》

ソプラノ:オーサ・ベーヴェンシュタム
テノール:シェル・マグヌス・サンドヴェ
バリトン:ペール・ホイエル
ガール・ソプラノ:リンネア・エクダール
ボーイ・ソプラノアンドレーアス・ソルス
スヴェーデン放送合唱団/ストックホルム少年合唱団
スヴェーデン放送交響楽団
指揮:エサ・ペッカ・サロネン

この盤しか所有していませんが、さすが「合唱王国」スヴェーデン。

サロネンの手腕もさることながら透明感ある演奏です。

不定期投稿:最近のお買い物から(LPレコード購入)

先週末、会社の社長と部長と宴席を共にしました。

久し振りの外での飲酒で(最近は自宅でも飲酒の習慣から離れていたことも影響して)ほろ酔いを過ぎ酩酊に近い状態くらいになり、バスで帰宅しようと連絡したら妻が迎えに来てくれることになり、大変有り難く好意を受け、息子の迎えの時間とも重なり待ち時間ができたのでバスターミナルの上階にあるリサイクルショップで時間調整のつもりが、安価でLPレコードが並んでおり、酔っていたせいかベートーヴェンの第9被り購入をしてしまいました。

カール・ベーム指揮ウィーン・交響楽団他 レコード番号:フォンタナ FG-204

モノラルなので恐らく50年代に録音されたものでしょう(レコードには録音年・録音場所の記載なし)面白いのは解説を書いているのが宇野功芳氏。堂々とカラヤンベートーヴェンは表面的で音楽に深みがないから下。ベームのほうは「ベートーヴェンと同じ心」があるから上。と評論なのか、感想文なのか分からない例の論法で語尾は「です」「ます」を使い、このレコードの具体的な音楽上の解釈についての説明は一切無い、読んで後悔するような「悔説」付きです。

 

カラヤン指揮/ベルリン・フィル他 

 レコード番号:ドイツ・グラモフォン SLGM-1305~6

こちらはその「表面的で音楽に深みがない」といわれたカラヤン盤。

60年代に録音されたベートーヴェン交響曲全集から第8番と第9番がカップリングされたレコード(化粧箱入り)です。

レコード番号を調べたところ、国内初発売時のもののようです。

2枚組なので贅沢なカッティングとなっており、1枚目のA面に第1楽章、B面に第2・3楽章、2枚目のA面に第4楽章、B面に第8番のカッティングなので、第9のLPレコード「あるある」の第3楽章の途中で盤を裏返す必要がありません。

私のベートーヴェン交響曲全曲初体験はこの60年代のCDでした。今でも80年代の録音(映像も)と共にカラヤン交響曲全集では好きな演奏のひとつです。

発売当時はカラヤンベートーヴェン交響曲のレコードといえば高級アイテムで(それも第9番!)、4千円とか5千円とかしていたのでしょうか?それが今では330円(税込)で投げ売りのように他の中古レコードに混ざっているのを見て隔世の感があり、つい手に取ってしましました。

以上、酔っていて迎えが来るからバス代浮いた。とでも思ったのか、中古レコード購入の記録でした。

完聴記~アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウBOX⑦

今週はアーノンクールロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による未発表放送録音集の完聴記シリーズVol.7(CD12)の投稿となります。

曲目・演奏家・録音データは以下の通りです。          

CD12

ブラームス:悲劇的序曲 Op.81 録音:1996年5月12日

ブラームス交響曲第3番へ長調 Op.90  録音:1996年1月20日

ドヴォルザーク:聖書の歌 Op.99

クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン) 録音:2004年11月28日

 

ブラームスの「悲劇的序曲」から―重々しく厚ぼったく演奏され、いかにも「悲劇的」を強調・意識させるような演奏が多いですが、やっぱり新しいきき方の提示になっています。とてもクリアで各フレーズ、モチーフを明確にきかせ、悲しみの表現のみならず憧れ・追想ロマン主義的なダンディズムも感じる演奏です。

「悲劇」「悲しみ」に浸るというよりも、あくまで「悲劇的」というのは題材で、そこから派生、展開させていく手法をブラームスは楽しんでいると思わせる作品としてきこえます。

主要主題はカッコよく、印象的なメロディーもたくさん出てきますし、和音やメロディーの反復はシューマンからの影響でしょうか?

同年の1月に演奏された交響曲第3番。第1楽章の51小節からの木管の音階の上下降が印象的に表現されています。押しとどめようとしてもどうしようもないような表現。

珍しく!?極端な表現をしていないベルリン・フィルとの録音と同様で、この交響曲が持っているそこはかとなく漂う哀愁をきかせてくれます。

第2楽章、クラリネットによる第1主題の提示部―これがとても古風な響きで郷愁を誘います。それがこだまのように拡がっていく所が素晴らしく、スラーの指示も徹底しています。

128小節のトロンボーンの吹奏はワーグナー風の響きなのが印象に残ります。

第3楽章では61小節から繰り返されるフルートによるモチーフが、交響曲第4番の終楽章と通じているのでは?と思わせます。

第4楽章は後半に進むに従い弦楽器と管楽器のバランスが重要になってきますが、絶妙なバランスできこえます。特に250小節~dimとPの扱い、金管が加わるとより荘重で厳かな空気感と空間を創り出しています。

ディスク3曲目は、独唱がバリトンクリスティアン・ゲルハーヘルによるドヴォルザークの「聖書の歌」です。

往年の名歌手フィッシャー=ディースカウがレパートリーにしていたので作品の名前は知っていましたが、今回初めて接しました。

ドヴォルザークアメリカ在住期間中1894年の作品で、テキストはタイトル通りチェコ語の聖書に基づく10曲から成る作品集です(各曲の演奏時間は約2~3分)

出版時は独唱とピアノ伴奏の作品でしたが、後に1曲目から5曲目を1895年に作曲者自身が、ドヴォルザークの死後1914年にツェマーネクというチェコ出身の指揮者によりオーケストラ伴奏に編曲されており、当然ながらこの演奏はその編曲版によるものです。編曲自体はオーケストラの編成も含めシンプルなもので、テキストに添った情景を演出するものであります。

全体にテキストがチェコ語ということもあり、特殊な響きであります。しかし、音楽自体はメロディー・メーカーらしく複雑なところは無く、賛歌風であったり、バラード風であったり、静けさと美しさのある曲が多いので耳馴染みのよい曲が並んでいて、クリスマス頃の夜にきくのに最適な音楽のひとつではないでしょうか?このディスクで魅力を知ることができました。

テキストに基づく音楽表現がされていくので、きいていても変化があり飽きさせません(そのテキストがブックレットに付属していないのは残念ですが・・・)

オーケストラの響きは意図してなのか、ワーグナー風の金管吹奏がきこえたり(第1曲)、マーラー風であったり(第3曲)興味深いです。アーノンクールさんは全体的に音楽の持っているデリケートな面と宗教的な祈り、喜び(賛歌)をしっとりと描き出していて、ドヴォルザークはきっと祖国の風景や親しかった人々との出会いと別れに思いを馳せながら作曲したのだろうと思いました。

今週は第7回まできた完聴記シリーズでした。

お付き合いいただきありがとうございました。

不定期投稿:最近のお買い物から(LPレコード購入)

今週は先日投稿した書店の中古レコードセールの購入(捕獲)記録の第2弾となります。新入荷があるかと思い覗いたらまた購入してしまいました・・・。 

 

ワーグナー管弦楽曲集Vol.3 レーベル:東芝 番号:EMI WF-60030

 指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラーウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ベルリン・フィルフィルハーモニー管弦楽団

「永遠の巨匠~フルトヴェングラーの芸術」のシリーズとして発売されたものの1枚。高音質のCD等でも入手可能な録音ですが、楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートのライヘンの旅・「パルジファル」~第1幕への前奏曲聖金曜日の不思議・「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死といったカップリングもいいですが、「神々の黄昏」以外は第2次世界大戦前のベルリン・フィルとの録音なのでレコードできく音質にも興味があり、先日購入したフルトヴェングラーの55枚CDセット収録演奏との比較用としてゲットしました。税込390円。

 

ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」 

 レーベル:HELIODOR 番号:MH-5009

 指揮:フェレンツ・フィリッチャイ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

私の偏愛指揮者フリッチャイの有名な録音のひとつ。豊かな歌に溢れた演奏です。

こちらもCDとの音質比較用として購入しました。税込390円。

 

以上今回はLPレコード購入の投稿でした。

お付き合いいただき、ありがとうございました

マウリツィオ・ポリーニさん追悼①

マウリツィオ・ポリーニさんが3月23日に亡くなりました。1942年の生れですから82歳、近年は体調を崩されて演奏会のキャンセルも多かったそうです。

彼はなんといっても現在最高のピアニストのひとりでした。ここでわざわざ経歴を書くまでもないですが、1960年18歳の時に出場したショパン国際ピアノコンクルールで優勝して注目を浴びますが、他の優勝者のように華々しい楽壇へのデビューを避け、何年間か勉強・研鑽期間を経て1968年に国際的な活動を始めました。

圧倒的なテクニックと洗練された音色で主にドイツ・グラモフォンに録音されたディスクは、現在まで名盤と呼ばれるものばかりです。

しかし、それ故に彼は「完璧主義者」を求められ、その重圧からナーバスにもなっていたのではないでしょうか?活動やレパートリーの選定から演奏活動・録音にも影響していたようにも思います。

私が音楽をきき始めた頃、ポリーニアルゲリッチアシュケナージバレンボイムと共に世界最高のピアニストという評価が確立している1990年代だったので、NHK-FMなどの海外公演や来日公演をエア・チェックしてきいていました。しかし、ポリーニを意識してきくようになったのはここ10年くらいです。

今まできちんときいてこなかったショパンを勉強しようと思いポリーニアルゲリッチの演奏をきいてショパンへの理解が深まり、同時にポリーニショパンも強く惹かれました。

彼のレパートリーは興味深く、バッハからブーレーズなどの現代音楽まで録音を残しておりますが、慎重に選び演奏・録音したと思います。

そのようなポリーニが残した録音から私のきいた限りの中で個人的オススメ・ディスクについて記載して偲びたいと思います。

 

〇リスト:ピアノ・ソナタ他 (録音:1989年)

初めて買ったポリーニのディスク。高校生の頃に中古ディスクショップにて数百円で購入したものです。

ピアノ・ソナタと名付けられているものの異色の作品という解説の通り、全く理解できずにきいていました。カップリングされている後期の作品(灰色の雲・凶星!・悲しみのゴンドラⅠ・リヒャルト・ワーグナーヴェネツィア)も漆黒の音楽をきかされているみたいで、訳がわからずきいていました(その頃は所有するディスクも少なかったので必然的に1枚をきくサイクルも多くなりました)

しかし、繰り返しきいたことで曲の構造を知り、ポリーニのテクニックのみにならない曲の隅々まで神経の通う明晰な音色で弾かれることで、古典的所要に基づく後世への先駆けとなった作品としてきけるようになりました。また、後期の作品集も後のベルクやシェーンベルクなどの新ウィーン楽派誕生の萌芽を感じます。それがソナタとのカップリングも見識というか、理に適っていますーもっとも彼がハンガリー狂詩曲だ、愛の夢やらカンパネッラを弾くとも思いませんがー後期作品は録音も少ないので貴重でもあります。

 

シェーンベルク:ピアノ作品集(録音:1975年)

わぁ!無調!十二音技法の音楽・・・と敬遠しないでください。浮遊感やパッと火が付き消えていく花火のような盛り上がりと寂しさ、そこはかとなく漂う無常観があり、こういった音楽は冴えた音色で濁りなく弾かれるポリーニでこそききたいです。

これらの作品の構造、和音がどうだ、音列の反行形・逆行形が何かを理解していなくてもそこに流れてくる音楽に真摯に(ながらききでも大丈夫です)耳を傾けていれば自分の耳が鋭くなった気がすること受け合いのディスクです。収録トータル・タイム50分というのも丁度いいです。

まとまったシェーンベルクのピアノ作品の録音は故・坂本龍一教授ご推薦のグレン・グールド盤くらいしか知りませんので、こちらも長くきかれて欲しいです。

 

バルトーク:ピアノ協奏曲第1番・第2番(録音:1977年)

指揮:クラウディオ・アバドシカゴ交響楽団

バルトークのピアノ協奏曲は筋骨隆々で逞しく、特定のスポーツで勝利するためだけに鍛え上げられた体格を持った人間が、並み居る対戦相手をバッタバッタとなぎ倒していくような感じを受けます。それを前面に押し出してきているのがこのディスク。速い楽章での陶酔的なリズムと熱狂。音楽をきいているよろこびか、身体的な快楽としてのよろこびか分からないような感覚になります。

打楽器的に扱われるピアノの音色のピリピリ感、全曲に渡り様々なモチーフ・動機・リズムが登場しますが、その表現の切り替えもレスポンスよく颯爽としています。

アバドの指揮するシカゴ交響楽団も同様です。そのオーケストラの表現力をいちばん感じるのは、第2番第2楽章―第1番も通じて唯一弦楽器によるエレジーのようなメロディーが奏される時、腰が据わった重厚さと静けさの繊細な表現に発揮されているのではないでしょうか。

 

今週は先日亡くなったイタリアのピアニスト、マウリツィオ・ポリーニさんを偲びオススメのディスクからリスト、シェーンベルクバルトークのご紹介投稿でした。

まだご紹介したいディスクがありますが、改めて投稿したいと思います。

不定期投稿:最近のお買い物から~中古LPレコード購入

中古レコード購入(捕獲)記録の投稿となります。

書店において期間限定の中古レコードセールが開催されており、見ているうちにやっぱり購入してしまいました。

もちろん私の財布事情で購入できる範囲内の価格のレコードばかりです。

 

〇R.シュトラウス:楽劇「サロメ」(全曲) 

 レーベル:EMI(イギリス盤)/番号:SLS5139

 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤンウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

輸入盤ですが2枚組で490円(税込み)!箱や解説書は発売年代なりの傷・汚れがありましたが、意外にも盤面はきれいな状態です。

有名な録音できいてみたいとは思っていたのですが、国内盤CDは廃盤、輸入盤CDしか入手の方法がありませんがこの価格ならと思い購入。

 

〇ウィーンの休日  レーベル:キング・レコード/番号:GT9036

 指揮:ハンス・クナッパーツブッシュウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

J.シュトラウス父子などの小品集のレコード。マニアの間では評論家・宇野功芳さんの「いのちを賭けた遊び」のキャッチフレーズと共にクナッパーツブッシュ・ファンの普及に貢献!?したレコード。

CDでも何回も発売されていますが、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」しかきいたことはないので―中学生の頃NHK-FMで初めてきいたとき、その「人を食ったような」演奏に驚き、この指揮者の音楽センスは大丈夫だろうか?と思ったことが懐かしいです。レコードの音できくとどのような印象か興味があります。税込390円。

 

ブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」 

 レーベル:OVEREAS RECORD/番号:ULS-3386-V

 指揮:ルドルフ・ケンぺ/ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団

ケンぺのブルックナーは昔から玄人のあいだでは名演・秀演といわれていましたが、なかなか手に入らず(今では輸入盤CDできけますが)きいてみたかった演奏です。

こちらも安価だったのでお試し用で購入。できれば第5番も入手したいのですが。

あと、ロイヤル・フィルを指揮したR.シュトラウスの「アルプス交響曲」を廉価で購入できればと探しています。

このレコード解説も前のレコードと同様に宇野功芳さんが書いています(ケンぺのブルックナークナッパーツブッシュなどと比べると一段落ちる云々、という書き出しで・・・)昔は結構人気者!?で売文して稼いでいたのですね。税込490円。

今年はブルックナー・イヤー(生誕200年)ですので、改めて視聴記の投稿も考えています。できれば実演もききに行きたい。昨年キャンセルになったブロムシュテットさんとNHK交響楽団定期公演のブルックナー。今年あるかな?

以上、最近はすっかりハマっている、安価な中古レコード捕獲記録情報の投稿でした。

恩師の逝去~今週は聖金曜日~復活祭~ポリーニ死去

キリスト教徒にとって今週末は聖金曜日~復活祭の重要な記念日になります。

日本では年度末、春の訪れを実感する季節であると共に別れと出会いのある時期です。

先週、中学校の恩師のご逝去がありました―2年生からの担任で音楽の先生であり、私をクラシック音楽の世界に導いて下さり、政治をはじめ社会をどのように見るかなどを教えていただいた人生において大きな影響を与えてくれた方であります。

恩師が亡くなるという事は自分も年を重ね、いつかくるその時に近づいている事を思いました。

その晩にはマウリッツィオ・ポリーニ死去のニュースにも驚きました。

翌日にあった恩師の葬儀の弔問への行き帰り、帰宅してからきいた音楽は恩師からモーツァルトヴェルディベルリオーズ以外のレクイエムとして教えていただいたブラームスドイツ・レクイエムです。

この作品は以前から自分の親しい方が亡くなった時にきくことが多く、恩師、ポリーニを偲びながらききました。

ラテン語による典礼に沿わず、ドイツ語の歌詞によるもので典礼文でなく「マタイ伝」などの聖書の言葉に基づく全7つの部分から成り、神の力から審判の恐怖、慰めや悲しみ、儚さ、無常さが歌われていきます。

全体から感じるのは「生の世界」と「死の世界」がはっきりと分けられていて、生きる者が彼岸にいる死者へ呼びかけているようです。それはモーツァルトヴェルディのようなあの世に引き込まれるような音楽ではなく、とても肯定的な音楽にきこえます。

歌詞には「しあわせである」(幸いである)などの前向きな言葉が並んでいるのもこの作品の方向性がよく表現されていると思います。それを一番感じるのが第7曲の最後「しあわせである」をリフレインして平穏のうちにききての心を穏やかに包み込みながら静かに終止していくところです。死者への弔いだけでなく、今を生きている自分も含めた人間への「慈愛」・「自愛」を作品に込めているようにも感じます。

ブラームスの作品といえばもっぱら交響曲を中心とした管弦楽曲が演奏されますが、このドイツ・レクイエムも傑作ではありますが、演奏時間約75分の内、第3曲のバリトン、第5曲のソプラノと各1曲のためだけに2人の歌手を用意しなければならないという費用対効果の面からもあってでしょうか?実演にめぐり逢えるのは稀です。ディスクはそれなりに揃ってはいますが。

この作品が同時代から後世へ影響も与えていると思われる部分もあります。第3曲や第6曲ではブルックナーの宗教音楽と同種の響きを感じます。作品中いちばん音楽が圧倒的になる第6曲はヴェルディへ、第5曲のソプラノ・ソロはオペラ的な要素、R.シュトラウスサウンドが遠くで鳴っているような気がします。そしてもちろん作品全体からはベートーヴェンのミサ・ソレムニスのような古典的な格調の高い響き、第1曲からグレゴリオ聖歌やシュッツなど古いドイツ音楽の響きがベースになっていると思います。

今まできいてきたディスクですが、やはり恩師に作品を教えてもらい最初に購入したカラヤン指揮ベルリン・フィル盤に愛着があります。

ソプラノはグンドゥラ・ヤノヴィッツバリトンがエーベハルト・ヴェヒター、合唱はもちろんカラヤンの宗教作品と言えばのウィーン楽友協会合唱団。録音は1964年、面白いことに録音場所がウィーン・フィルの総本山、ムジークフェラインザール。響きの豊かさと慈しみに包まれる演奏です。

後年にも再録音を残しているそうですが未聴です。

そしてもう一枚カラヤン盤を―こちらは1947年の古いモノラル盤。オーケストラはウィーン・フィル

ソプラノはエリーザベト。シュワルツコップバリトンハンス・ホッター、合唱はやっぱりウィーン楽友協会合唱団。

カラヤンの戦犯容疑が解けるか解けないかの頃の録音でしょうか。年代の関係もあり弱音部の歪などもきかれますが、伝統的なドイツ系オーケストラの特徴ともいえる低音部の重厚さを保ちながらも音楽の流れが自然です。フルトヴェングラーワルタートスカニーニが存命中の時代とは思えない、新しいスタイルの演奏です。

最後はずっと後になってきく様になった異色盤をご紹介しておきます―セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団&合唱団、ミュンヘン・バッハ合唱団員。

ソプラノはアーリーン・オジェーバリトンはフランツ・ゲリーセン(録音:1981年ライヴ)

彼の演奏の代名詞「遅いテンポ」―声楽作品でもあるせいか、そこまで極端ではありませんが仰け反りそうなテンポで、一枚一枚皮を剥すかのように作品の構造やフレーズを晒していく演奏です。そのため第3曲や第4曲におけるフーガ的展開はききものになります。

今週は恩師の逝去、ポリーニ死去、聖金曜日~復活祭と生と死について考える機会となったことを投稿させていただきました。ポリーニ追悼については改めて投稿したいと思います。

小澤征爾さん追悼②~おすすめディスク紹介

そろそろ小澤征爾さんが亡くなり四十九日命日になるでしょうか―

改めて彼の功績は、東洋人に西洋音楽など理解できないといわれていた時代、海外で活躍の場を確立したことです。あのウィーン国立歌劇場の監督に日本人指揮者が就任すると考えたでしょうか―ベームカラヤンが就いていたあの地位に―それには小澤征爾が持っていた非西洋人というコンプレックスをその才能により跳ね返した事にあります。その後、日本人演奏家が海外で活動する先鞭ともなりました。それについては彼の演奏内容・質とは別に長く評価されることであると思います。

しかしそれだけの評価を得て一般聴衆の受けは非常によかったのですが、なぜか日本国内の評論家受けはあまりよろしくなかった印象があります。

例えば休刊となった音楽之友社レコード芸術における特集「世界の名指揮者ベスト・ランキング(2009年12月)」―この雑誌の大好きな「ベスト〇〇」物の特集ですが―評論家50人が選んだランキング(物故者も含めた)で52位(同率あり)で選外、読者ランキングでは23位です。その両方を合わせた総合ランキングで34位。

同じく現役の指揮者から選んだ「現代の名指揮者ランキング」では評論家選出では選外。読者選出では4位!の総合ランキングは14位です。(70年代の特集では上位にいるのですが・・・)

このランキングを見ていて面白いのは評論家投票が多いのに読者投票は少ない、またその逆の指揮者もいて面白いです。前者の代表がニコラウス・アーノンクール(現在の名指揮者2位)やエサ=ペッカ・サロネン(同第13位)、後者は大野和士(同14位)そして同じく14位に小澤征爾がいます。ちなみに得票は評論家票1、読者票27です(その唯一の評論家評は故・諸石幸生さんです)

また、関係の深さ、お付き合いの長さからいって、その影響力も絶大だったはずの評論家・吉田秀和さんが残された文章でも彼について書かれたものは少ないような。名前が登場することはありますが・・・。

その扱い?を踏襲してか、吉田秀和さんの死後に増補再出版された「世界の指揮者」にも入ってはいません(クラウディオ・アバドの章で次世代の指揮者のひとりとしてカラヤンが名前をあげている云々、という関連のみ)

それでも彼が大衆の人気があったのは、ちょうど彼がアメリカやヨーロッパで活動をしていた時期が日本の自動車や電機産業の工業製品が海外輸出され、認められていった時期とも重なっています。共に「メイドインジャパン」品質の工業製品と同じ使命や期待を背負わされたのでは?と思いました。

その為に高尚な向きを目指す評論家の皆様には癪に障ったのでしょう。あと「〇響事件」も影響して表立って褒めることもできなかったのでは?とも考えてしまいます(空気を読んだ忖度・慮りなどが働いていたのでしょうか?)

彼の演奏は一聴すると熱気と活力があり、その場・その時はワクワクしてききますが、ではその後に何が残るかというと・・・アナリーゼが不足、細部まで目は届くのですが、逆に部分部分のみで魅せる結果、作曲家はどのように考えて(その歴史的背景まで捉えて)書かれたのかという構成力や説得力がありません。しかし、クラッシック音楽はそういったものでは無い!。と同時期に指揮活動している(していた)のはサイモン・ラトルそしてニコラウス・アーノンクールフランス・ブリュッヘンであると思います。

セイジ・オザワ・フェスティバル(旧サイトウ・キネン・フェスティバル)開催の地元在住なので、実演をきくこともできましたが、いつでもきける(わざわざきくほどでも無い)そして2000年代になると「振る振る」と云ってはチケット完売後に病気を理由にキャンセルばかりになったのでスルーしていました。しかし、小澤征爾の演奏を全くきかないわけではありません。

そんな数少ない聴取経験からおすすめディスクを2枚ご紹介しておきます。

バルトーク管弦楽のための協奏曲(ボストン交響楽団

この作品自体、腕こきの楽団と録音が良ければ基本的に成立してしまうのでバツグンに楽しくきける演奏です。弾むリズムと鮮明な音響!ただ最晩年のバルトークの苦痛や苦悩、作品に込められたアイロニーはきこえてきません。

ストラヴィンスキー:オペラ=オラトリオ「エディプス王」

これは第1回サイトウ・キネン・フィスティバルの出し物の目玉として上演された演目のセッション録音です。

直球勝負のオペラ演目での勝負を避け(資金的な問題もあったのでしょうが)変化球できた作品。当時は第1回のオペラの目玉がこんなマイナー作品??・・・と思っていましたが。

このディスクで気になるのが録音会場。開催に合わせてその年の7月に落成なったメイン会場の長野県松本文化会館(現キッセイ文化ホール)ではなく、そこから車で約1時間の岡谷市にある岡谷カノラホールを使用している事です。音響的な面からか?交通手段・費用面からでしょうか?

確かに岡谷カノラホールの方が音響・客席を含めた設計からすると人口5万人くらいの地方都市にはもったいない(失礼!?)施設です。私はここでリヒテルやツィンメルマンのリサイタル、パリ管弦楽団(指揮:ビシュコフ)、イスラエル管弦楽団(指揮:メータ)やイ・ムジチ合奏団(もちろん「四季」)をきいた思い出があり(それに小室哲也のモーツァルトを題材にした「アマデウス」なるミュージカルまで観劇した記憶も)

ホール全体に音響が豊かでまろやかに広がるのが素人の耳にも判ります。その頃は若年割引を利用して良い方の席できけたせいもあるかもしれませんが・・・それに比べ松本のホールはやや平面気味。。。

演奏のほうは、タイトルロールは上演時と異なるペーター・シュライヤーが務めています。もっぱらドイツ音楽の専門家のイメージでストラヴィンスキーとは珍しい!ここでも真面目な歌唱をきかせてくれます。そしてジェシー・ノーマン。重力級の歌声と存在感で圧倒。この平面的で動きの無い、しかし音楽は複雑な作品をきれいに整えてしまう小澤征爾の指揮。

購入したキッカケはモノラル録音のフリッチャイ盤のきき比べ用として中古で安価だったという理由だけでしたが思わぬ拾い物です。

今回は2月に亡くなった小澤征爾さんの追悼第2回目の投稿でした。

下は松本市の毎月配られる広報からー

レコード芸術2023年総集編(ONTOMO MOOK)読了記録

昨年、2023年7月号をもって「休刊」した「レコード芸術」、公には「休刊」としていますが、紙媒体としては事実上の「廃刊」でしょう。その落穂ひろい?的にムック本として総集編が2月末(2024年3月1日)に発行されました。

レコード芸術休刊〜最終号購入 - 音楽枕草子

店頭で内容を確認してから購入するか決めようと思っていましたが、Amazonのポイント付与に釣られて購入ボタンを押してしまいました。

表紙デザインからして伝統継承といえるもので、中身も同様かな?と不安と共に先日読み終わりました。まず、きっと編集部がやりたかったのはこれではなかったのか?と思った表紙にも記載されている「ONTOMO MOOK レコードアカデミー賞」の記事です。

レコード芸術、日本のクラシック音楽界においても、特にその昔は影響力を持った「レコードアカデミー賞

1年間に発売された特選盤(ふたりの評論家が月評で推薦としたレコード、ディスク)から交響曲をはじめとした各ジャンルのノミネート盤の中から喧々諤々、評論家が話し合って年間ベストを選出するというシステムで、長くその音盤の販売数・評価にも影響した「権威」!?ある賞でした。

いわば「音楽之友社レコード芸術」の存在意義の重要な役割となっていたのではないでしょうか?だからこそ、今回の総集編発行にあたりその灯を消すには忍びなく、せめてもということで、休刊される2023年7月号までの特選盤から選出したのではないでしょうか?ただし、大賞とかを決めるのでなく、各担当ジャンルの執筆者が第1位から第3位までを選定という形を採っていますが。

もうそれ以外の記事は編集部も力を入れなかったのか、レギュラー執筆陣によるエッセイのような寄稿の羅列になっています。その中でもさすが片山杜秀さんの「クラッシック音楽の構造転換」は読み物として楽しめます。また、矢澤孝樹さんの巻頭言と「休刊後に思ったいくつかのこと」は特に後者に共感するところもあり、レコード芸術と音楽界に対する問題提起と提言に考えさせられました。矢澤さんは現在、音楽評論を生業にしていないそうですが、以前は水戸芸術館に勤務し、当時の館長であった吉田秀和さんの薫陶を受けた方でもあります。

そしてその吉田秀和さん。レコード芸術に長く寄稿され、彼が推薦するレコード・演奏家は良く売れたともいわれて、私はその文章を読むためだけに購読していた時期もあります。購読を止めたキッカケも吉田秀和さんが亡くなった時です。そういった読者はけっこう居たハズですが扱いが余りにも少ない、皆無です。その代り登場しているのが宇野功芳!氏です。

最終章(第4章)全てを『レコ芸』アーカイヴとして彼の月評から抜粋されたものが掲載されています。やはりレコード芸術を支えていたのは宇野功芳氏を信者のように崇めていた方々だったのでしょうか?

今後もあくまでこういったスタイル(書籍化)にて発行を継続しようとしているのでしょうか?音楽をディスク(レコード・CD)できかない時代に「レコード芸術」の活路を見出していくには非常に困難が伴います。しかし、それによって本当の「評論」「評論家」はどうなるのでしょうか?

それも音楽受容の新しい形だよ。と言われればそれまでですが・・・。

PS.別冊付録に「レコード・イヤーブック2023年1~7月号&補遺」があります。昔はこれを見て1年間に発売されたディスクの買いそびれた物や亡くなった演奏家など振り返り情報を得ていましたが、久し振りに目を通し最初に感じたのが「字が小さくて読めない。。。」です。ちなみに自宅に唯一残っている2012年版と比べてみましたが、体裁・文字サイズに大きな変化はありませんでした。

自身の体の劣化を改めて感じると共に、「レコード芸術」が重ねてきた歴史も、時代の変化の彼方に消えていくかと思うと寂しさもあります。

Selct Classic(14)~シューマン:リーダークライス

「春」といえば気分が晴々して心躍る季節ですが、私の住む地域では朝晩に気温がぐっと下がり、先日は積雪を伴う降雪もあり、まだ冬の面影を残しているなぁ~と感じます。そういったときは「死」や「怯え」などを時として感じるシューベルトやヴォルフのリートではなくて、シューマンのリートをききたい気分になります。

今週はそのドイツ・ロマン派を代表する作曲家のひとりロベルト・シューマン(1810~1856)のリーダークライス作品39です。

同名の作品24という全9曲からなる作品などと共に1840年、彼の生涯では「歌の年」といわれる時期にまとめて作曲されました。その後手は加えられたそうですが。

「リーダークライス」とは「歌の環」というニュアンスの意味で各詩が連携して一貫したストーリーを持つ連作歌曲(シューマンなら「女の愛と生涯」や「詩人の恋」、シューベルトなら「美しき水車小屋の娘」や「冬の旅」)ではない歌曲集に、暗示的な意味で関連をつけるために名付けた作曲者による造語であるといわれています。

歌詞はドイツ・ロマン派の詩人アイヒェンドルフ(1788~1857)の詩による全12曲からなっており、それぞれが特徴のある曲ばかりですので詩を含めて全てを挙げていったらキリが無いのでセレクトしていくと―

第1曲「異国にて」 ハープをイメージしたピアノの伴奏にのって静かに『遥かなるふるさとを想えば~』歌いだされると、遠い場所に連れて行かれ物語が始まる―といったように引き込まれていきます。

第3曲「森の語らい」 舟歌風の横に流れるメロディーが、詩に出てくる騎士を呑み込むローレライを表していると思います。そして曲はここにきて非現実的になって深い森へと入っていきます。

第5曲「月の光」 ドビュッシーを連想するようなピアノのメロディーが、夢か幻を見ているようにして月夜が描かれるところに注目です。

第6曲「美しい国」 前曲の余韻を引きずりながら、それがより現実的で幸福感があります。ピアノ伴奏だけでも小品なような書かれ方です。

第7曲「古城から」 名前の通り「荒城の月」か?と思うほど「西欧のロマン」か「日本の無常」の違いだけで雰囲気が似ている詩です。

第9曲「憂愁」 12小節~13小節の『私は嘆く~』での節回しは心に響きます。

第10曲「たそがれ」 ピアノが下降上昇を繰り返す音型が5回出てくるのですが、これが前衛的で印象に残ります。

第12曲「春の夜」 森や鳥、風など自然の音がきこえてきて、小刻みに鳴るピアノの伴奏からは胸の高鳴りを示しているようで幸福感いっぱいになります。将来の結婚するクララのことを想いながら書いていたのでしょうか?

深い森へ分け入っていくというテーマ(詩)=きき手の心の奥底(闇)を覗き込むような心境になる音楽で、外面的な「旅・冒険」に出かけるというよりは内向的に「心の旅」をするといった感想を持ちます。そしてうまく「夜―闇」と「春―明」を対比し並列されている音楽だと思います。と、書いていますが、初めてきいた時はそういったことを全く感じなくて少しですが、最近になって興味深くきけるようになりました。これからきく方も繰り返し接することをオススメします。

シューマンの歌曲をきく時の手引書-訳詩も古風でかなり年季が入ってます。

古本市の売れ残りをタダで頂いたものです。

《Disc》
ここはやっぱり大御所バリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがクリストフ・エッシェンバッハのピアノに伴われて録音している1975年の演奏で。彼の喜怒哀楽の表現がうますぎてハナにツク時もありますが納得させられてしまいます。そしてエッシェンバッハの弾くフレーズのひとつひとつが「リーダー暗いス」してます(失笑・・・つまらなくてスミマセン。。。)

そして録音媒体ではないのですが、日本人のテノール歌手で注目している方がいます。

ヴォーカリストの高島健一郎さんです。

いまやクラッシク音楽においても(この分野自体が衰退市場ですが。。。)絶滅危惧種となりつつあるリートの分野。そこに留まらずオペレッタなど幅広い活動をされ、素晴らしい歌唱をされている高島さん。

若い方が積極的に高いレベルで活動されている事は頼もしいです!!

ここにYouTubeのリンクを貼っておきます。

(1) Liederkreis op. 39 - Robert Schmann リーダークライス op. 39【日本語訳付き】 - YouTube

このように日本語対訳の連動した動画を作り込み、丁寧な歌唱をきくとドイツ・リートの魅力を感じてくれるリスナーもいらっしゃると思います。

是非機会があればリサイタルをきいてみたいと思っています。