音楽枕草子

クラシック音楽や読書関係の感想記として投稿しているblogです。Xでは身辺雑記のポスト、blog投稿の追加情報のリポストなどしています。

フルトヴェングラー生誕140年~正規録音集大成 完聴記 第1章④SP録音期(Vol. 4)

今週はフルトヴェングラーの正規録音集大成(CD55枚組)の視聴記。1929年から1937年にかけて録音されたポリドール(ドイツ・グラモフォン)SP録音期が完結します。

オーケストラは全てベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。

【CD4】

〇ワーグナー:楽劇「神々のたそがれ」~ジークフリートの葬送行進曲(録音:1933年)

深々とした弦楽器、管楽器・金管楽器の朗々とした響きが戦前のベルリン・フィルの音色を伝えてくれます。SP録音でこれだけ豊かにきこえてくるのなら実演だったら!と虚しい想像のみ膨らみます。

終結部は演奏会用のものを用いています。

この曲は後年もウィーン・フィルやスタジオ録音、ライヴ録音と残しておりますが(全てきいてはおりません)オーケストラの充実した響きからそれらに引けをとらないと思います。

〇ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」序曲 Op.84(録音:1933年)

冒頭の悲劇的ストーリーに基づく迫力を伴う表現、木管楽器の寂しげな音、重厚で厚みのある響きはやっぱりフルトヴェングラー印の演奏。

主部に入るとより力強さとスピードが増してフィナーレの歓喜のような表現は壮年期の録音であることを窺わせます(テンポについてはSP録音制約を感じる)

後年の悲劇的・深刻な面を前面に出した録音とは異なるスタイル。

〇モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492~序曲(録音:1933年)

SP収録時間の制約のためか速いテンポで駆け抜けていく―フルトヴェングラーのモーツァルトといえば交響曲第40番にしろ、何かに追い立てられるような演奏解釈が多い。でも歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(戦後のザルツブルク・フェスティバルで上演した記録が映像も含めて残っています)では迫真的な演奏。この作曲家をどのように捉えていたのか不思議なくらい。

〇モーツァルト:歌劇「後宮からの誘拐」K.382~序曲(録音:1933年)

唯一の録音。これもやたらと速いことが特徴(SP収録時間5分以内の4分51秒!)現代のピリオド楽器、それに準じる演奏になれた耳には違和感はありません。

一般的にコンスタンツェのアリアからの引用部分は思い入れを込めるように弾かれますがここではあまり見向きされません。

このオペラは作曲当時のトルコ音楽趣味を取り入れたことからシンバルやトライアングルといった楽器を取り入れて賑やかにしていますが、この録音からは全くきこえてきません。スコア上の打楽器指定個所でもききとれませんでした。

別の出版譜?録音技術の制約で打楽器の音が正確に収録できないので除いた可能性もありあす。

〇ロッシーニ:歌劇「セヴィリアの理髪師」(録音:1935年)

1930年に録音された歌劇「どろぼうかささぎ」序曲と共に唯一の録音。

冒頭和音を力強く鳴らすところにインパクトがあります。主部では弾むリズムと推進力があります。しかしモーツァルトとは逆にゆったりと歌わせるところはテンポを減速しているのが印象的。

もちろんコーダではアンサンブルを気にせず高揚感を前面に進んでいきます!ロッシーニの序曲でこれだけ多彩な変化をきかせてくれるとは!これをきくと1930年代はフルトヴェングラーの指揮者人生において―そしてもちろんベルリン・フィルとの信頼・関係も重要であったはず―ひとつの円熟・頂点を迎えていたように思います。それにしてもあの戦争!!あれが無ければ彼の生涯は全く異なったものになり、長命したでしょう。やはり戦争とは愚かしい、無駄なものであります。

〇ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲(録音:1935年)

1926年最初の録音から10年を経過しての再録音。録音技術の進化もあるでしょうが、深々と広々とした響きの表現になっています。この後も幾つか録音を残していますがこの序曲、フルトヴェングラー向きではないでしょうか?弦楽器、木管楽器、金管楽器それぞれにきかせどころのフレーズや陰影があり、クレッシェンドにも事欠かず―年代ごとでのきき比べも面白のでは。

1926年録音のスマートな魅力に対し、この録音は戦前のベルリン・フィルが持っていた豊かで、やや軽快で明るいサウンド。特に弦楽器にその特徴があるように思います。

〇ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」第3幕への前奏曲(1935年)

先の序曲SP盤の片面収録楽曲―序曲がSP1枚の両面と2枚目の表面に収録されたので、その2枚目の裏面に収められた穴埋め用として録音されたもの。もちろん単独の録音としては唯一です。

よく知られた「狩人の合唱」がメインテーマとなるので、ベルリン・フィルのホルン・アンサンブルをきくための録音といったものでしょう。上演で耳にするのとは異なりリピートがあるのは演奏会用ヴァージョン?

〇モーツァルト:セレナード第13番 ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(録音:1936年・1937年)

1990年代初めにドイツ・グラモフォンがCD3枚組の復刻をした時、ワルター盤(コロンビア交響楽団)の次にきいた演奏です。

第1楽章から重心が下にあるアンサンブルなのでセレナードにある愉悦感はなく録音状態もあって「ドライ」という印象を受ける方が多いのでしょうが、熱っぽさ(第1楽章と第4楽章)と憂愁―特に第2楽章のロマンツェ!60小節からの後ろ髪を引かれるような寂しさの表現に惹かれます。交響曲第40番ではあんなにセカセカしたを演奏しているフルトヴェングラーとは思えません。またフォルテ・ピアノのアクセント、クレッシェンドが意図したように表情付けをしていることろも個性的。

「こんなのモーツァルトではない!」と過去の評論家何某=「○野○芳」氏は繰り返し仰っていましたが・・・。

収録時間の関係や演奏慣習であちこちのリピートが省略は残念。

〇J.シュトラウスⅡ世:喜歌劇「こうもり」序曲(録音:1937年)

唯一の録音。曲の内容をフルトヴェングラーの表現力が上回っている録音のひとつではないでしょうか?

フォルテなど音楽が盛り上がっていくところでは力が入りすぎてフルトヴェングラーが足でリズムを刻む「足音入り」!?そのリズム強調が出すぎて硬質なシュトラウスの仕上がり―糊の効き過ぎたワイシャツを着て慣れない華やかな場所に出掛けたような―。

今までフルトヴェングラーの熱心なききてではなかった私ではありますが、1926年最初の録音から第二次世界大戦開戦の直前1938年までポリドールSP録音をきいてきましたが、フルトヴェングラーが精神的・気力も十分だったのがこの時期であったのでは?と感じました。

1930年代の録音からは音質を超えて大戦後の演奏からはあまりきかれなくなってしまった「輝き」があります。

当時の記録では聴衆がフルトヴェングラーに「熱狂した」といわれています。なぜそこまで彼の演奏を渇望したのか?それがこの録音をきいて若干なりとも理解できたように思います。

rochade.hatenablog.com

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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 正規レコード用録音集大成 ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、フィルハーモニア管弦楽団、他(55CD) | HMV&BOOKS online - 9029523240

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【映画鑑賞】「ベートーヴェン捏造」(監督:関和亮さん、主演:山田裕貴さん)

過日、かげはら史帆さんの著作「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」(河出文庫 2020年刊)の感想を投稿した際に映画を見るといったままタイミングを逸していました。

rochade.hatenablog.com

私が小中学校で初期音楽教育を受けた頃はクラシック音楽界においてベートーヴェンこそが「楽聖」「天才」として一番「エライ」作曲家として教えられました。耳がきこえなくても不断の努力で「運命」「田園」「第九」などの交響曲を書いた―ストイックで色恋・色欲・名誉欲などとは無縁の「孤高の天才」として・・・その偶像は秘書(自称)アントン・シンドラーの手によって脚色・創作されたものだったー

これが件の「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」で克明に描かれた内容でした。その著作を原作にして映画化もされました(監督関和亮/脚本:バカリズム/制作:2025年)


www.youtube.com

Amazon.co.jp: ベートーヴェン捏造を観る | Prime Video

音楽史を揺るがしたシンドラーによるベートーヴェンの会話帳改竄事件をベースとして史実と捏造を描いています。

ベートーヴェンは難聴のため「会話帳」(筆談用ノート)を使っていました。約400冊が死後に残されていたとされますが、現存するのは約139冊!それはシンドラーは不都合な会話帳破棄、改ざん、そして自身の伝記に都合のよい記述を加筆をしました(つまりウソを書き込んだ)それが1977年(ベートーヴェン没後150年)に国際ベートーヴェン学会で改ざん発覚の事実が報告されたことによりシンドラーは詐術師としての烙印が押されました。

映画でもエピソードとしても語られますが、一番有名な交響曲第5番「運命」第一楽章冒頭の「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」=シンドラーが「運命はこのように扉を叩くのだ」と言われた―コーヒーを豆60粒で淹れる几帳面なエピソード(蛇足ですが、当時このエピソードを知った中学生の私は実際にやってみましたよ)からピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」はシェイクスピアからの影響云々。

しかし実際のベートーヴェンは、癇癪持ちで金銭にがめつく、時に野卑な言動を取る「小汚いおじさん」(シンドラー曰く)

しかしシンドラーはこれをベートーヴェン没後に「聖なる天才」に仕立て上げ、自身の存在感を誇張し、互いにベートーヴェン伝を発表するライバル(ベートーヴェンと親交のあったとされるホルツら)を貶めた。

映画ではこのギャップが巧みに演出されています。シンドラー(山田裕貴さん)の過剰な崇拝と鈍感(滑稽にも思えるくらい)と粗野でガサツなベートーヴェン(古田新太さん)全く噛み合わない!また会話帳の加筆シーンや伝記をめぐる情報戦は虚実が交錯する緊張感があります、特にシンドラーが会話帳の存在に気づき盗み出し、暖炉で破却する場面は信仰心が殺人や詐欺を当たり前に起こす「狂信者」が背後に宿る山田さんの演技が印象的でした。

またベートーヴェンに可愛がられたリース(井ノ原快彦さん)をシンドラーが訪ねベートーヴェンとの想い出を語るリースに対し、シンドラーには薄っぺらい情報しかないその格差を実感するところ、これがより自分の方がベートーヴェンと仲良かったんだよアピールをする必要性を加速させることになります。その会話のスピードが面白い、これは演出、脚本が活きていると思いました。

原作と映画の相違は現代の音楽室の会話劇シーン(教師が生徒と語らう形式)により音楽史=難しいというイメージを軽やかな演出としています。蛇足ですが―私も中学時代の恩師は音楽教師でもあったので音楽室で様々な書籍やスコアを見せていただいたり、音楽をきかせていただいたことを思い出しました。

ヴェーゲラー(遠藤憲一さん)やホルツ(神尾楓珠さん)、リースといった厄介者・ライバルが次々と死去するなかで後半にかけてのキーマンとして登場するセイヤー(染谷将太さん)も真実追求者としてシンドラーを追い詰めていく若干のシリアスなところが映画をクライマックスに向けて盛り上げていきます、でも全体的にはコミカルな早いストーリー展開に哀愁が共生しています。それをシンドラーをアイロニーに満ちた目で見る我々。

音楽史に限らず歴史にはつきものの「過大」な情報拡散行為はIT・SNSが日常生活で切っても切り離せない現代社会に通じると思いました。もちろんクラシック音楽の知識がなくても「ベートーヴェン知っている」「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」だけ知ってる程度の知識で十分に楽しめる作品であります。

ちなみに特殊撮影技術の進歩はすごいもので大掛かりな当時のセットや室内装飾は背景に後から映し込んで編集しているそうです。これなら大掛かりな海外撮影やスペクタクル映画も低予算で作成できてしまいます。ただし昔のハリウッド映画のような迫力や空気感は望めないでしょうが。

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イヴ・ナット没後70年①~シューマン演奏の魅力

フランスのピアニスト、イヴ・ナット(Yves Nat 1890年12月29日-1956年8月31日)の没後70年のアニバーサリー・イヤーにあたります。

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フランスのピアニストですが彼が残した録音はベートーヴェンのソナタ全集とシューマンがメインとなります。

今回はシューマンのレパートリーを中心にご紹介をしたいと思います。

フランスのピアニストといえばアルフレッド・コルトーとサンソン・フランソワとなるでしょう、両者のショパンは名高いです。しかしナットは先に書いた通りベートーヴェンとシューマンの録音がメインで―ショパンの作品も録音を残していますが彼らに比べればごく僅かです。

そして不思議なことにドビュッシー、ラヴェルの録音はありません。演奏会では弾いていたのでしょうか?

上記以外に録音が残っているものはブラームス、シューベルト、リスト、珍しいのはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の「ロシアの踊り」、お国ものではフランクがあるくらいです。

今回きいたディスクは廉価レーベル(Membran)から発売されているボックスセットです。このレーベルは往年の演奏家のセットを多数発売しており大変に重宝しております(クラシックだけでなくJAZZ演奏家Verもあり嬉しい)

自分の購入したナットのセットは現在廃盤になっていますが、装丁変更の再発売版は収録曲は同内容で入手可能です。

旧装丁↓

The French Piano Legend - Recordings 1929-1956/イヴ・ナット (tower.jp)

新装丁↓

イーヴ・ナット~ザ・フレンチ・ピアノ・レジェンド/イヴ・ナット (tower.jp)

そのナットの弾いたシューマンですが、典型的なフランス流の芳醇な音色や色気を出したり、時に感情過多気味と感じるようなものでなく、精緻で計算されたような強弱と豊かな旋律表現、構造をくっきりときかせつつも、内面的な詩情を深堀りしています。指が短かったといわれる通り技巧を要求される箇所での指捌きにオヤッと思うところはありますが、古い録音であっても感じることのできる明晰さとリズムの弾力、ダイナミックな音に惹かれます(主に1950年代のモノラル成熟期の録音ということやCD復刻にあたりリマスタリングもしているのでしょう、ききやすい音であると思います)

「子供の情景」―1930年と1952年のふたつの録音がありますが、後者では純真無垢な子どもの視点を理想化したような慈しむようにして各曲を仕上げています。

多くの方が楽しみにしている?「トロイメライ」では過度な感傷を出さず静寂と共に流れていく感じです。     

「クライスレリアーナ」(録音:1951年)は難しい曲と思います。陰と陽が代わる代わる出てくるのでついていくのが大変。気分屋さんとお付き合いしているみたい。他の作品にもありますが、この対比・転換がシューマンの音楽の魅力ともいえるのかも知れませんが―激しい興奮・高揚と親密で内向的な緩徐部が見事に対照化され、狂気と詩情をきかせてくれます。

第6曲「きわめて遅く」の中にふと出てくるクリスマス音楽の一節、聖夜に響く静かな祈りの旋律を染み渡るようにきかせてくれるところはとても印象的。

表現全開とならない抑制された中にある熱っぽさみたいなものも印象に残りました。

名盤といわれるホロヴィッツとのきき比べが面白いと思います。
「幻想曲」(録音:1952年)をきけばナットを「賢人ピアニスト」と敬したい気持ちになるでしょう。個人的にシューマンのピアノ作品、リートと共に親しみを持って接しますが、リヒテルと並ぶ愛聴盤。

第1楽章冒頭の幻想的高揚から様々な変化と展開、第2楽章の堂々とした凱旋行進曲のリズミカルな弾きぶり、付点リズムがシューマンらしさを倍増している。第3楽章の繊細、思慕のような表現から終止部の線で結ばれてシューマンの内面の転換を収斂していくようなところはまるで人間の内なる陰影まで描いているような・・・今回はやけに評論がぶったような文章になりますが、ナットをきいているとこういった表現をしたくなります。まるで良い文学小説を読んでいるような気持になります。音楽を文学的にきくな。との声も聞こえてきそうですが。。。
他にも「交響的練習曲」「ウィーンの謝肉祭」「幻想小曲集」(1937年録音の3曲抜粋も収録されている)「8つのノヴェレッテ」「フモレスケ」「蝶々」「アラベスク」「3つのロマンス」「トッカータ」と主要なピアノ作品をきくことができます。曲ごとの弾き分け(陰影)やウィットにとんだ方のお話をきくような楽しさもあります。

そしてピアノ協奏曲イ短調(録音:1933年)の録音もありますが、こちらはナットのピアノは別として指揮ウジェーヌ・ビゴと管弦楽がやや非力。
今週は今月末(31日)没後70年を迎えるイヴ・ナットのシューマンの録音についてご紹介をいたしました。もうひとつの録音遺産、ベートーヴェンのピアノ・ソナタについても現在再聴しております。改めてアニバーサリー・イヤーに合わせて投稿記事を書く予定です。その節はお付き合いいただけますようお願いいたします。

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完聴記~ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲⑦(パシフィカ・カルテット)~生誕120年

ショスタコーヴィチの生誕120年記念の弦楽四重奏曲全曲完聴記の第7回目。

晩年の作風を持った1970年に作曲された第13番、1973年に完成された第14番を。演奏は例のごとくパシフィカ・カルテットです。

 

弦楽四重奏曲第13番 変ロ短調 Op.138(作曲・初演:1970年)

ショスタコーヴィチの数々の弦楽四重奏曲を初演したベートーヴェン四重奏団のヴィオラ奏者ワジム・ワシリーエヴィチ・ボリソフスキーが病気のため退団するのにあたり捧げられた単一楽章の作品。ヴィオラがやはりフィーチャーされ様々な表情をきかせてくれます。全体的にはやはり暗い。アーチ形式をとりゆっくり→少し速く→ゆっくり、という構成です。

(Adagio)ヴィオラがまずしんみりした旋律を奏でます。澄んだきれいな音色でどこか哀歌みたいで泣いているような高音も印象的です。中間部(Doppio movimento)はテンポが2倍になり、神経質なリズムが執拗に繰り返されます。楽器の胴を弓で叩く奏法もあり乾いたダンスのようでもあります。不協和音もきこえて不気味で希望の光すら見えない漆黒の世界。 最後(Tempo primo)は再びゆっくりしたテンポに戻り、弱音器を付けたヴィオラがモノローグのように惹かれます。高音域はまるで息が途絶えて消えていくような感じです。終盤でヴァイオリンが加わって二重奏のようになり仲間が昔を懐かしみ思い出を語っているのでしょうか?急にそれを断ち切る強音を鳴らして現実を容赦なく突きつけるインパクトのある終わり方です。

 

弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 Op.142(作曲:1972年~1973年・初演:1973年)

こちらは同じベートーヴェン四重奏団のチェロ奏者セルゲイ・ペトローヴィチ・シリンスキーに捧げられた三楽章の作品。もちろんチェロが主役。調性も影響してか晩年の作品からすると明朗な作風ですがやはり暗さを忘れていない?作品です。それは着手中の1972年に第13番をささげたボリソフスキーが亡くなったことも作曲にあたり影響を与えたともいわれています。

第1楽章(Allegretto) ヴィオラが音型を繰り返すところに、チェロが跳ねるようなテーマをを提示します。元気に見えていて憂いがあるという印象です。しだいに熱気と激しい動きをきかせていきますが、いびつな感じがあります。リズムも独特なところがあります。

第2楽章:Adagio  第1ヴァイオリンが長い瞑想的なモノローグを奏でます。静かな祈りのようにもきこえます。その旋律をチェロが引き継いで、両者の対話へと進んでいきます。途中、情熱的なピッツィカートによるカノンの場面がありますが、陽気なイタリア音楽の挿入が面白い。ニ短調の音楽に突如の変化なのでそのギャップにショスタコーヴィチ流のアイロニーがあります。

アタッカで次の楽章へ―

第3楽章:Allegretto Adagio 前楽章からのピッツカートのリズムに乗って各楽器が流れるように変化を加えながら曲を進めていきます。そしてこの楽章は他楽章、自作引用が目立ちます。歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(後の「カテリーナ・イズマイロワ」)からタイトルロールの旋律「セリョージャ(セルゲイの愛称)、私の大切な人」が登場します。これは献呈したセルゲイ(愛称セリョージャ)への愛?を持った引用でしょうか。しかし引用をあえて過去の問題作というのは自虐的要素もあるのでしょうか?それともこのメロディーに暗示めいたものがあるのでしょうか?楽器同士が短い音でキャッチボールを楽しむようなやり取りから徐々に落ち着きをもった雰囲気となり、第1楽章冒頭のモチーフが回想されて安らぎとも諦念ともとれる終止を迎えます。

 

第13番はヴィオラの暗いモノローグ、不気味な中間部がききどころ。第14番はチェロ(奏者)への愛と自作引用に親しみとアイロニーを感じます。そしてショスタコーヴィチらしいのは、極端な深刻へ傾斜せずニヤリとしているのでは?と感じられるところ。秋の空気が訪れつつある(まだ長野県だけかな?)静かな夜にゆっくり楽しみたい弦楽四重奏曲ではないでしょうか。

rochade.hatenablog.com

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Selct Classic(42)~ホーエンフリートベルク行進曲~フリードリヒ大王没後240年に寄せて

2026年8月17日はプロイセン王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王。第3代プロイセン国王)の没後240年です。

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1712年1月24日ベルリンに生まれ、1740年に即位した彼は、軍事・行政・文化の両面でプロイセンを欧州列強に押し上げた啓蒙専制君主です。

クラシック音楽を知る方にはフルートを愛好して自ら演奏するとともに作曲(100曲を超えるフルート協奏曲・ソナタを残しているそうです)また、その宮廷に招聘されたクヴァンツ、グラウン、ベンダ、C...バッハらの作曲家、そして1747年に大バッハがポツダムを訪れた際に「音楽の捧げもの」作曲のきっかけとなったテーマを与えたエピソードで知られていますね。

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そのフリードリヒは父王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(軍人王)の厳格な跡継ぎとしての教育を受け…それはもう大変な、現代であったら事件になりそうなエピソード満載!これを書いていたら話題が逸れてしまうので彼の生涯をとっても以下簡略に―

若い頃は芸術や哲学に傾倒しましたが、即位直後から周辺国に対して行動を起こします。当時プロイセンはまだ隣国フランスやオーストリアに比べれば新興国家というものでしたが、オーストリア継承戦争(シュレージエン戦争)で豊かなシュレージエンを奪取。1745年のホーエンフリートベルクの戦いでオーストリア・ザクセン連合軍を破り、決定的な勝利を収めました。

しかし七年戦争(1756~63年)ではフランス・オーストリア・ロシアなど大国を相手に孤立、ロスバッハやロイテンで大勝する一方、クーネルスドルフで壊滅的敗北を喫するなど存亡の危機に直面、ベルリンも陥落目前となり、フリードリヒ2世自身も死を覚悟します。しかし、敵連合軍の意思統一の不徹底、そこにロシア女帝の急死という奇跡ともいえる情勢変化により講和に至り、シュレージエンを確保することに成功。

1772年の第一次ポーランド分割では西プロイセンを獲得し、領土を大きく拡大。

国内では官僚制整備、農業・工業振興、宗教寛容を進め、「国家第一の下僕」と自ら称して近代国家の礎を築きました。

その晩年はポツダムのサンスーシ宮殿で政務をしつつ、愛犬が唯一の友という静かな余生を送ったそうです(幼少期から心休まる暇もなく、死を覚悟するほどの日々を送っていたらそうなるでしょう、と思います)

そして体調を崩していたフリードリヒ2世は1786年8月17日に崩御しました。

【余談ですが、第2次世界大戦においてドイツが最後まで徹底抗戦をしたひとつにこのフリードリヒ2世の七年戦争における奇跡的な勝利?への期待をしたこともあるといわれます。ヒトラーはフリードリヒ2世を崇拝しており、執務室にその肖像画を飾っていたそうです】

作曲もしたフリードリヒ2世、その中で吹奏楽をされる方ならご存知の「ホーエンフリートベルク行進曲」(Der Hohenfriedberger)をご紹介したいと思います。

1745年の戦勝を記念して作られたとされ、大王自身の作曲と伝わります。勇壮な行進曲。躍動感あふれる旋律はプロイセン軍の誇りを象徴し、後にこちらもドイツ行進曲の定番「ケーニヒグレッツ行進曲」のトリオ部にも引用されています。現在もドイツ軍のパレードなどで演奏されることもあります。

【Disk】

カラヤンがベルリン・フィルの管楽器奏者メンバーと超有名行進曲「双頭の鷲の旗の下に」などドイツ~オーストリアの行進曲二十数曲を録音したディスクから。

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制作意図不明の珍品ディスク。しかしながらこの組み合わせから想像される通り、世間一般に流通しているような吹奏楽団や各種団体のビジネスライク指向の演奏とは異なり、ハイレベルで真面目、低音リズムもしっかりと刻んだ真摯な行進曲演奏になっていると思います。

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フルトヴェングラー生誕140年~正規録音集大成 完聴記 第1章③SP録音期(Vol.3)

今週は先月に続きフルトヴェングラーの1930年代のポリードール録音の視聴記です。

前回同様、管弦楽はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。

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【CD3】

〇メンデスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」Op.26+リハーサル付き(録音:1930年)

この作品にある無常感・寂寥感・孤独感をこれほど伝えてくれる表現はなかなかきけない。

テンポが加速していくアッチェレダントはまさにフルトヴェングラーそのものだ。

全体にテンポが速いのはがSP時代の時間感覚も意識しているのだろうか。後年の再録音(1949 年ウィーン・フィル)とのきき比べも楽しみ。

7分過ぎの繊細で、寂しげな表現はとても印象的、木管楽器のデリケートな音色もこの録音状態でもよく捉えていると思います。

後半のアッチェレダントから終始部の和音に至る所は激しい悶えからまるで鼓動が停止する瞬間のようです。

約3分のリハーサルは終始部のほぼ通しテイクの様子で、フルトヴェングラーが少し指示する声がきこえます。

これはグラモフォンから復刻されたCD3枚組には収録されていなかったので初めて存在を知りました。

〇ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」〜ハンガリー行進曲(録音:1930年)

これは珍しいレパートリー、しかし1950年の全曲ライヴがあるのは意外(未聴ですが)

やや抑え気味の表現では?重厚に構えたマーチではあります。収録時間制限があるでしょう、リピートは省略しています。

〇ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 変イ長調 Op.46-3(録音:1930年)

唯一録音が残っているドヴォルザーク?(新世界交響曲は真っ赤な偽物なので)

当然ですがスラヴ的な雰囲気、空気感はあまり感じられません。リズムも間も独特な解釈。これも何とかSP収録時間に収めようとする意図を感じる演奏。

後半でテンポが加速していくところは気合が入ったのか、指揮台で足を踏み鳴らす「足音入り」の録音(他の楽曲でもきこえてきますが)

これもグラモフォンの初期CD復刻では収録されていませんでしたので初めてききました。なぜ収録されていなかったのでしょうか?当時は発見されていなかった?非フルトヴェングラー盤という扱いだった?その辺の事情が分かりません。ご存知の方はご教示ください。

〇 J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番 ニ長調 BWV.1047(録音:1930年)

音が鳴った瞬間、ピリオド楽器演奏をきき慣れた耳には仰け反りそうになりますが、不思議とリズムに弾みがあります。同時代のメンゲルベルクやクナッパーツブッシュと比べると洗練されていると思います。

第1楽章は肉厚でアレグロ・マエストーソといった展開でテンポの緩急は恣意的な感じはしつつもバランスを極端に崩さないセンスがあります。第2楽章の2つの和音は省略。

第3楽章も含めて全曲バロックよりも、ロマンティックでエレガントな擬似古楽サウンドとしてききました。

〇ロッシーニ:歌劇「どろぼうかささぎ」序曲(録音:1930年)

対比のように語られるトスカニーニとは当然異なる表現、こちらの繊細さとダイナミックな表現を兼ね備えた演奏に魅力を感じる方もいるのでは。

冒頭から堂々たる幕開けでオーケストラの響きも思った以上にフットワークが良く魅力的です。そして何より、ロッシーニ・クレッシェンドとフルトヴェングラーのアッチェレランドのマッチング(親和)を改めて実感しました。後年はほぼレパートリーから消えてしまったロッシーニ。「ウィリアム・テル」序曲があれば・・・。

〇ブラームス:ハンガリー舞曲 第 1 番・第 10 番(1930年)

第1番:冒頭から急迫感・白熱感でききてを引きつけます。そしてキレの良さと瑞々しさ。壮年期のフルトヴェングラーの特徴が表れているのではないでしょうか。

第10番:出だしから深々とした響きが印象的で躍動感と緩急の対比が面白い。

〇ウェーバー(ベルリオーズ編曲):「舞踏への勧誘」(録音:1932年)

この通俗的なピースがこれほど陰影と意志を持った作品だったのか!?と発見する演奏。

踊る男女の高揚感をベルリン・フィルの合奏力が盛り上げます。

ワルツで鳴るホルンはやや突出して単調&チープにきこえてしまう。これは録音バランスの問題だとは思いますが。

ここでも収録録音時間の理由で省略(カット)があるのはしょうがないけど感銘度からするともったいない。

SP 時代の技術的制約(片面の収録時間制限によるリピート省略やカット)が随所に見られる一方で、

テンポの自在な揺らぎ、アチェレランドが見事に決まる瞬間や重厚で肉厚な響きでも古い録音ながら温かみを感じます。後年のフルトヴェングラーの個性の萌芽がきけるとともに働き盛りの指揮者の個性が刻印されています。

特に「フィンガルの洞窟」の無常感・寂寥感、「どろぼうかささぎ」でのロッシーニ・クレッシェンドとのマッチング、ハンガリー舞曲第10番の極端な遅速対比が印象に残りました。メンデルスゾーンのリハーサルも貴重です。

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【読書】「バイエルの謎―日本文化になったピアノ教則本」安田寛:著

バイエル=ブルグミュラー、チェルニー、ハノンなど並びピアノを習った方なら誰しも知っている教本であるとともに、あの時の悪夢?ゾッとする辛い思い出が蘇ってくるかもしれません。
しかし近年のピアノ教育の教材としてバイエルは使用されないらしいですね。
それらを含めた
「バイエルは日本で盛んに受容されたのか?」
「バイエルは使用されなくなったのか?」
「バイエルは実在した作曲家なのか?」
を中心に書かれた
安田寛:著「バイエルの謎―日本文化になったピアノ教則本」(音楽之友社、2012年)誰もが知るピアノ教則本の「謎」に真正面から挑んだノンフィクションです。

明治維新の西洋化で輸入されたバイエルが近年のピアノ教育では使われなくなった理由として極端に狭い音域の指の反復練習でしかなく、子どもにとって単調でつまらないという批判が1980年代後半(バッシング 26ページ)から始まり現在の子どものモチベーションを保ち、音楽そのものを楽しむことを優先する傾向が強まった結果、バイエルは敬遠されるようになったと説明されます。
そのバイエルという人物の実在すら疑われー架空の人物として空想伝記まで書かれたとうエピソード(「偽の伝記」31ページ)には笑えます。
生国ドイツの音楽辞典にも極僅かな記述しか残らない状況から著者自らの足とインターネットを使いアメリカからドイツを巡り資料ひとつひとつを探して調査していく過程はミステリー小説の展開を思わせます。それに著者の使命感というか執念も伝わってきます。
そして遂に確認した洗礼記録、死亡証明書などの確認から明らかになったのはフェルディナント・バイエル Ferdinand Beyer1803-1863)がマインツ近郊のクヴェアフルトに生まれた実在の音楽家であり、祖父・母から受け継いだオルガンの伝統を背景に初心者向けの体系的な教則本を作り上げたことです。
原典は単なる指練習ではなく、当時の流行曲や民謡を取り入れた楽しさと基礎を両立させていた曲でもありました。
住んでいた場所も特定(その墓地まで)婚姻や家族構成までも記載されおり第12章(179ページ)からはバイエルの生涯を辿っていく小伝といえます。
集めた資料や現場写真も収めれれているのも実在感があります。
バイエル=ピアノ教則本の商標のイメージを曲を書いた実在の人物としてその顔すら知られなった作曲の肖像画も見ることができます。
バイエルを全否定するのではなく、原典に近い形で再検討していけば導入用の教材としての可能性はあることを示してくれますー未だに難易度の目安として「バイエルの◯◯番程度」の指標として使われている事実もあります。
明治時代から始まった西洋音楽と日本の音楽文化受容の歴史(ピアノ教育の歴史も含めて)からバイエル導入の過程を含めて大変に興味深い著作でした。
 

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完聴記~ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲⑥(パシフィカ・カルテット)~生誕120年

ショスタコーヴィチの生誕120年記念の弦楽四重奏曲全曲完聴記の第6回目。

1966年に作曲された第11番と1968年に作曲された第12番。演奏はパシフィカ・カルテット。

弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 Op.122(作曲・初演:1966年)
友人でショスタコーヴィチのカルテットを演奏しているベートーヴェン四重奏団の第2ヴァイオリン奏者、シリンスキー追悼に捧げられた作品。全7楽章が切れ目なく流れる短めの組曲みたいなもの。全体に漂うのは喪失感とユーモアをスパイスが効いています。
第1楽章:イントロダクション(Andantino)
静かに控えめな開始。ヴァイオリンが主題をポツリと歌い出しますが暗い、悲歌。ロシアの荒涼とした大地。寒々として生きていく苦しみ、ため息をついているような。短くて簡潔ですが、この動機が後の楽章であちこちで顔を出します。人生始まったばかりの暗示?ロシアの民族音楽からの引用もあるのかしら。
第2楽章:スケルツォ(Allegretto)
スケルツォ=陽気なはずなのにここは暗い影が濃い。フーガのような展開になるのですが、途中で不自然な引き延ばしのモチーフで茶化しているのか嘲笑しているのか。人生なんてこんなものさ、ヘヘヘ。という作曲者の自嘲がきこえてきそうです。
第3楽章:レチタティーヴォ(Adagio)
第1ヴァイオリンの激しい叫びに驚きます。その反復が怒りや悲しみ。慟哭にもきこえます。チェロの低弦の響きがデモーニッシュな雰囲気をつくり出口のないまま次の楽章へと続く。
第4楽章:エチュード(Allegro)
全楽章の激しさに無窮動が加わってききてはその音楽に練習曲風の速いパッセージを感じることができますが、追悼として書かれたカルテットでこの音楽は・・・さすがショスタコーヴィチ。
第5楽章:ユモレスク(Allegro)
ここでは第2ヴァイオリンが主導します。カッコウを模したような同じ2音をずっと繰り返す機械的な動きがユーモラス。第2ヴァイオリン奏者の悲哀が伝わってきます―カルテットではもっぱら第1ヴァイオリンばかりに目(耳)がいき第2ヴァイオリンがなかなか目立ち難い。そのためカルテットにおける第2ヴァイオリン奏者の出入りは激しい・・・優秀な(お人よしで第1ヴァイオリンばっかり目立ってもそれを支えることのできるお人好し?奏者を得ることがカルテット活動の重要項目ではないでしょうか。

話題がそれましたが、せっかく第2ヴァイオリン奏者が主役の楽章ですが、あっという間に終わってしまいます(ここでは1分04秒)その皮肉ぶりがショスタコーヴィチ流。
第6楽章:エレジー(Adagio)
ここはまさに哀悼。ヴァイオリンとチェロを中心に葬送行進曲っぽいリズムが重々しいです。これはユダヤ的な粘っこいメロディーとの関連もあるのでしょうか。前楽章までの少し多方向になった音楽がここにきて集約されたように思います。先人ベートーヴェンの弦楽四重奏曲へのアンサー・ソング?にも感じます。奇しくもベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」と同じ調整というのもその意識があったことでしょう。
第7楽章:フィナーレ(Moderato)
これまでの音楽を振り返りながら穏やかに締めくくられます。第2楽章と第4楽章のモチーフがパンチのように繰り返されます。その雰囲気が消え入るように終止するところは厳冬の空の下、雪上のに残った足跡のように感じます。


弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 Op.133(作曲・初演:1968年)

こちらはベートーヴェン四重奏団の第1ヴァイオリン奏者ツィガノフに捧げられた作品。前曲が組曲のような7楽章形式だったのに対し、こちらは2楽章構成。
第1楽章:Moderato
思想的、思い悩んでいるかと思ったらウキウキした明るい兆しがきこえたり、様々な要素の音楽が交差します。その完成度は高く、純度の高い響きからシンフォニックな響きまでききとることができます。楽章終わりの和音が続くところは死者の彷徨いにもきこえるのではないでしょうか。
第2楽章:Allegretto – Adagio – Allegretto
全楽章より3倍の長さがあり、ここからが本題といった感じです。悲痛な叫びはまるでナイフで何かを切り裂くような鋭く生々しい表現(多少スケルツォ的向きもあります)最初は繰り返しの音型が勢いよく、それも執拗な纏わりつくような―狂すら感じる瞬間があり、ここでショスタコーヴィチの心中が振り切れてしまったのでは?と思います。
第2部ではチェロの長いモノローグをローローと弾かれます。エレジー調でほかの楽器がそれを慰めるように寄り添うのが印象的。晩年の様式にも通じるように感じました。その両者の対話は第1ヴァイオリンのピッツィカートにより第3部に導かれます。ここの響きはとても前衛的で第1部の雰囲気が戻ってた感じになります。

第4部はその第1部が回帰・再現となり、次第に頭上にあった悲劇的、恐れや不安が溶解していくような―そこに突如熱気を帯びた変容した音楽が登場します。これまでの哀しみ、不安もウソだったヨ!と言われたみたいな明るさがあります。これがショスタコーヴィチ流の暗から明への表現となるのでしょうか。やはりショスタコーヴィチの音楽は奥深い。

また、この作品、弦楽合奏で演奏したら面白そう、と思いました。

 

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Selct Classic(41)~ハイドン:交響曲第1番【トーマス・ファイ追悼】

100曲を超える交響曲を残したフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)の第1番 ニ長調 Hob.I:1の番号をもつこの交響曲はボヘミア(現在のチェコ)のドルニー・ルカヴィツェのモルツィン伯爵に仕える宮廷音楽監督を務めていた1759年頃に作曲されたそうです(ハイドンの初期作品の研究は資料が少ないようであまり進んでおらず、第1番とされますが、この曲が本当にハイドンが最初に手掛けた交響曲かも謎らしいです)
編成は弦楽器(5部)にオーボエ、ファゴット、ホルン2本という小編成。3楽章形式という当時のイタリアのオペラ・シンフォニア(イタリア・オペラの序曲スタイル)の影響があります。

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第1楽章:Presto(4/4拍子)
クレッシェンドによる音階が上昇してくところは当時流行のマンハイム学派―カンナビヒ、シュターミッツ父子のシンフォニーを連想する活気あふれる主題が展開します。まるで花火がしゅるしゅると夏の夜空に上ってドカンと大輪の華を咲かせる瞬間みたいな感じです。弦楽器の快速な動きと木管の装飾的な役割もそれらの影響をを受けているように思います。完全なソナタ形式による交響曲の前段階ではありますが、興奮と軽やかさが交互に登場して若々しいエネルギーに満ちています。晩年の大成したイメージが人口に膾炙していますが、1759年作曲としたら27歳の青年ハイドンとなります。
第2楽章:Andante(ト長調、2/4拍子)
弦楽器のみによる穏やかな緩徐楽章。優美な横に流れるようなメロディー、ヴァイオリンの絡み合いがバロック音楽の宮廷舞曲の面影を残しつつつも、古典派の透明感・清潔感があります。穏やかな曲

 

調がききての心を優しく包み込みます。
第3楽章:Presto(3/8拍子)
軽快で陽気なフィナーレ。弾みの良いリズムと楽しげなフレージングが魅力。弦のイキイキとした響きと歓喜の爆発、第1楽章の主題要素も回想的に現れるなど、統一感を持たせているのが特徴といえます。わずか81小説しかないのであっという間に終わってしまいます。また全曲も約12分と短く、やはりオペラ・シンフォニア・スタイルの作品であると思います。

恐らくハイドン作といわれなければ、シュターミッツ?カンナビヒの全古典派?バッハJr.かな?と思うハズです。嫌味のない音楽がこの時代における作品の特徴なのでしょっちゅうはきかないですが、嗜好には一致した交響曲です。

【Disc】

こんかいはハイドンの交響曲をご紹介するとともに先月亡くなったドイツの指揮者トーマス・ファイの追悼もしたいと思います。

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1960年生まれのファイはニコラウス・アーノンクールに学び、ハイデルベルク交響楽団を組織し(最初に結成した室内オーケストラの進化してこの名称になったそうです)他にマンハイム・モーツァルト管弦楽団を結成するなど師の影響を受けてか、時代・奏法・編成などにこだわりがあったようです。しかし、ファイのスタイルは純正古楽器(ピリオド楽器)演奏ではなく、モダン楽器とピリオド楽器の融合にあります。

なりの良いモダン楽器に金管楽器や打楽器はピリオド楽器を使い奏法の特徴と魅力を最大限に活かして師にも匹敵するアグレッシブで精緻な響きをきかせてくれました。使用する楽器ではなく、音楽表現の最大化はこれまた師アーノンクールから受け継いだものでしょう。

注目&期待されたハイドンの交響曲全曲録音プロジェクトも半ばを過ぎた2014年に階段からの転落事故により重い脳の損傷を患ってしまい、とん挫して指揮活動も引退状態となってしまいました。そして先月6月27日(24日)に脳損傷の後遺症で亡くなってしまいました。享年65歳。本当に惜しまれる死去であります。

ファイの残してくれたハイドン、モーツァルト、サリエリ、ベートーヴェン、メンデルスゾーンなどをきくとその想いが募ります。

ハイドンの100曲を超える交響曲の出発点となった第1番をきいて青年ハイドンによる進取の意気込みを実感するファイの演奏を改めてお奨めします。


www.youtube.com

こちらは現在ハイドン交響曲全曲録音プロジェクト進行中のジョヴァンニ・アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏映像。こちらもファイのスタイルに近く、オーケストラはピリオド楽器です。

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フルトヴェングラー生誕140年~正規録音集大成 完聴記 第1章②SP録音期(Vol.2)

今週は先月の続きで1930年代のポリドール録音視聴記となります。前回同様管弦楽は全てベルリン・フィルハーモニー管弦楽団です。

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【CD2】

〇ワーグナー:楽劇「ローエングリーン」~第1幕への前奏曲(録音:1930年)

滔々としたメロディーラインを一本の流れとして緊張感途切れずに維持されています。SPなので少なくとも1回は中断が入っているはずですが。その編集痕跡も分かりませんでした。保存されていた原盤自体も良好だったのでしょう、統一された録音された会場の空気感も同時に感じることのできる素晴らしい演奏記録。

終止時の弱音が「静の美しさ」があります。

〇ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第1幕への前奏曲・愛の死(録音:1930年)

この組み合わせは度々演奏会で取り上げていたようでライヴも含めて複数の録音が存在しています。

弱音から音に力が加わっていくときの高揚感がいいです。フォルテッシモでも音が混濁しない、また静かな音(ティンパニのトレモロや低弦楽器の動き)もしっかり捉えられています。

「前奏曲」~「愛の死」まで停滞感が無い―これはテンポ設定が速め、休符、休止などフェルマータのタイミングも切り上げ?(短め)、当然SP録音時間への制約を意識してのことだと思いますが、後年の録音よりも覇気があるとともに、瑞々しい印象を受けます。シンフォニックな傾向と言ったらいいのでしょうか、声がなくともひとつの交響詩のようにききました。

〇シューベルト:劇付随音楽「ロザムンデ」序曲(録音:1930年)

この時期に録音された他の作品と比べると音質が落ちます。ノイズが多く音もピンボケ気味、しかし序奏部のチカラコブの入った深い暗さもある響きはフルトヴェングラーらしさがあり、ベートーヴェンの「コリオラン」や「エグモント」と並んでも遜色ない音楽として表現されています。

主部はトートツなアッチェレダントに驚きますが、脇目も振らず音楽に没入、低弦楽器も目立ってきこえ、交響曲第8番「グレイト」くらいのパワフルさと推進力があります。

〇R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(録音:1930年)

大管弦楽のフォルテ~ピアノ、各楽器のフレーズひとつひとつが100年近く前の録音でもこれほどの音できけることに改めて感謝。

各場面描写の表現が堂に入っており大家の技です。細部の表現が丁寧―こういった演奏をきくと後の演奏家の方が技能も向上しているはずなのに大雑把な演奏がいかに多いことか!

フルトヴェングラーといえば「重苦しい」というイメージですがこの録音を含めて颯爽としており、とかくR.シュトラウスといえばケレン味、外面の響きばかりに耳がいきますが、洒脱でとても好感を持ちました。

*この録音のリハーサルが9分弱おさめられています。フレーズを歌ったり、オーケストラを叱咤したり、とても熱量が高く集中力を要求されるハードなリハーサルであったことを窺わせる貴重な音源。

来月の投稿でも引き続き1930年代のポリドールSP録音をきいていきたいと思います。

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