音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

北村朋幹 ピアノ・リサイタル プレ・イベント

先日投稿の北村朋幹 ピアノ・リサイタルのチケット購入者を対象にプレ・イベントが行われたので出掛けてきました(於:2024年1月23日19:00~ 松本音楽文化ホール 小ホール)

ステージに登場した北村さんは最初に弾いたのが、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」からのトランスクリプションでした(いきなりリストのオリジナルを弾かずに、この曲を取り上げた意味は今回のイベントのテーマへと繋がっていました)

弾き終わり開口一番、音楽家が演奏する音楽について云々説明することの「危険性」について語られておりました。

演奏家が「悲しい音楽」として説明して弾く、「楽しい音楽」として説明して弾く、それにより聴衆は絶対にその影響を受けて音楽と接することになり、きく視野が狭まる(固定観念できいてしまう)

確かにおっしゃる通りで、聴衆は大概聞こうとする音楽の説明(解説)・標題だけでイメージを掴もうとしてしまいがちです。

この音楽は長調だから明るい・楽しい気分の作品だ。この作品を書いたとき作曲家は悲しいことがあり、だから悲しい音楽なのだ・・・等々。

こういったききかたは確かに音楽へ入り込む方法としてはいいですが、そういった方向からしかきけなくなるという正に「危険性」と隣り合わせです。

それを意識しての「巡礼の年」を巡るトーク・イベントになっていました。

作曲の背景にあったマリー・ダグー伯爵夫人との愛の逃避行(この時に2人の間に生まれた娘のひとりが、後にワーグナーの妻となったコジマ)と、文学的才能を持った彼女から影響を受け、自分に足りていなかった文学的素養を補完するように音楽と文学の融合した作品を手掛けたこと。

また、当時の流行のひとつであった「さすらいの旅(放浪旅)」の要素も取り入れた作品であること。それをリストの国籍についての考察も交えた内容で。

バイロンの「チャイルド・ハロルドの巡礼」からセナンクールの「オーベルマン」からもインスパイアを受けた楽曲についての説明など、今までほぼスルーしてきた作品だったので、北村さんのお話に納得するばかりでした。

そして私が思ったキーワードのひとつは「音楽と文学の関係性」です。音楽をきくうえで周辺の文学を理解しておくことも必要であると改めて思いました。

北村さんが「巡礼の年」を理解する一助として読んでみて下さいと言っていた、ヘルマン・ヘッセの初期作品「郷愁」ー翌日、中古書店で見つけたので入手しました(ヘッセの著作は中学生の時に「車輪の下」を読んで以来です)

音楽を交えての80分ほどのイベント。多くの学びを得ることができました。

リサイタルまでの1か月、楽譜も届いたのできき込んでおきたいと思います。

個人的な印象で「第1年(スイス)」は自然豊かな湖のほとりをはじめ風景描写のイメージから、リストらしからぬ新鮮で清らかな、あまりピアニステックなところばかりを前面に押し出してこないので、好感が持てる音楽であるのに対し、「第2年(イタリア)」はきちっとした構成と、ききての耳を惹きつける技巧と表現の作品と感じていました。

その点も今回、北村さんの説明で納得しました。「第1年(スイス)」はまだ20代前半のリストが素直にスイスの自然、そして文学からのインスピレーションを受け作曲した作品集なのに対し、「第2年(イタリア)」はパリに帰った後、ライバルとなったタールベールとの有名なピアノ対決などを経て、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしての地位を確立した時期の作品であるので、いわば「自身をピアニストを意識して書いた作品」であると語っておられました。北村さんの好みは「第1年」とも言っていました。

リ「巡礼の年」プレイベントで本編の曲はほとんど弾かず&作品解説にせず、ロマン派時代の文化から作曲者の心境を描き出すトーク・テクニック!音楽性はもちろんですが、教養も十分にお持ちの北村さんがどのように描いてくれるのか興味があります。

最後にひとつ気になったのがピアノの音色。ややざらついた音にきこえました。最初に弾いた曲の響きから背中がゾワゾワとしてしまいました。ホール所有の無銘のピアノのせいか、調律の状態か、小ホールの音響の問題か―。