音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

カレル・アンチェル没後50年

チェコ出身の指揮者といえばもっぱらラファエル・クーベリックが名実ともにその代表格ではありますが、カレル・アンチェルは今年7月で没後50年になります。他にもヴァーツラフ・ターリヒ、ヴァーツラフ・ノイマン、それにラドミル・エリシュカ、イルジー・コウトなどは日本でも活動しているので馴染みがあると思います・・・個人的にはヴァーツラフ・スメターチェクも忘れられない指揮者です。スメタナ交響詩「わが祖国」はクラシック音楽をきき始めた頃の数少なかったディスクのひとつでした。

現在のように欧米・南米・東洋をはじめ、世界各国の指揮者が国際的な活躍をするようになり、国籍で指揮者を区別するのはあまり意味の無いことだとは思いますが、昔は出身地により特徴のある指揮者達がいました。東欧ハンガリー出身のフリッツ・ライナー、ジョージ・セル、ゲオルク・ショルティは早くから国外で活躍する国際的な指揮者となりましたが、お隣のチェコの指揮者はいわゆるスメタナドヴォルザークといった「お国もの」専門家として存在感がありました。

今回、カレル・アンチェルをご紹介するのは先日、ヤナーチェクシンフォニエッタと狂詩曲「タラス・ブーリバ」のディスクをきいて、オーケストラ音楽の面白さを感じさせてくれたからであります。

シンフォニエッタといえば、9本のトランペットのファンファーレ班も必要な大管弦楽による賑やかな音響ばかりが注目されますが―私もそういった音楽という受け取りかたをしていたので、積極的にきく作品ではありませんでした。

例えば、第2楽章アンダンテは現代的な顔つきをしながらも表現豊かで、楽想も目まぐるしく変化しますが、それをきめ細やにきかせてくれます。また、第5楽章で混沌の中からファンファーレのテーマが出現して音楽が整いだすときの品格の高さ!

この作品を表面的効果を狙った機会音楽で、村上春樹氏の「1Q84」で脚光を浴びた時も、彼のような耳の確かな作家がこんな音楽を小説のモチーフにするとは?と思っていましたが、この演奏をきいてととんだ誤解をしていたことが解りました。ゴメンナサイ。

都会的な洗練とチェコの民謡歌謡にルーツにし、各楽想を見事に融合した晩年の傑作(ヤナーチェク72歳、1926年の作品)であったことを知る演奏でした。

それに劣らないのが、狂詩曲「タラス・ブーリバ」です。

1915年~18年にかけて書かれたこの作品は、ゴーゴリーの小説に基づき17世紀の初頭にポーランドと戦ったコサック部隊の連隊長ブーリバと2人の息子の死を描いたものです。

狂詩曲といっても、実質は先人のスメタナドヴォルザークの手掛けた交響詩のような作品で、全体は第1曲「アンドレイの死」第2曲「オスタップの死」第3曲「タラス・ブーリバの予言と死」の3曲から成ります。

作品自体は死をもって民族自決の理想を求める題材なので、極端に深刻になる音楽というよりは、当時のチェコのおかれていた時代背景もあり、国民賛歌的な音楽になっています。

第2曲の処刑の場面でのクラリネット・ソロはR.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」からの借用かしら?と思ったり、第3曲の5分~6分で終盤に向けて荘厳な雰囲気を増してくるなか、きこえてくるメロディーがシンフォニエッタのファンファーレのテーマを連想させたりします。

シンフォニエッタでも感じたことですが、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の音色は上質で温もりがあり、現代の機能的で整った演奏とは異なります。金属的に響かない弦楽器、柔らかい管楽器の音―これは1961年のアナログ録音ということも当然影響はしているとおもいますが、良い意味で手の内に入った安定的で、実のある音楽のきかせ方を心得ています。

ここで、アンチェルの経歴を―

生年は1908年なのでカラヤンと同年になります。そのため活動の初期が第2次世界大戦と重なってしまいました。

ターリヒの指導を受けた彼は、1933年からプラハ交響楽団の指揮者を務めていましたが、1939年にチェコナチス・ドイツ支配下に入ると、ユダヤ系であったこともあり、職を追われます。それだけではなく、妻や家族と共に強制収容所に送られてしまいました。

そして1944年には悪名の代名詞「アウシュビッツ強制収容所」に移送され、そこで妻と息子は命を落とし、彼のみが生き延びました。

大戦終了後はチェコ楽壇に復帰を果たし、1950年にはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者、クーベリックの亡命後は首席指揮者に就任します。

1959年にはチェコ・フィルと来日もしており、記録映像や録音はNHKあたりに残っているのでしょうか?詳しい方がいればご教示下さい。カラヤンもこの年にウィーン・フィルと来日しており、商品化されているくらいなのであるとは思うのですが。

1968年のアメリカ楽派中に「チェコ事件(プラハの春)」=ワルシャワ条約機構軍(ソ連を中心とした軍事同盟軍)の侵略を受けた事により帰国を断念、亡命するとともにチェコ・フィルの常任指揮者も辞任しました。

その翌年には小澤征爾の後任としてトロント交響楽団の常任指揮者に就任するも、1973年に65歳という指揮者としては働き盛りに亡くなってしまいました。

この若過ぎる死は第二次世界大戦中の過酷な収容所生活と家族を失うという悲劇、再び今度はソ連により祖国が侵略され亡命、異国での生活や仕事も影響していると想像します。それがなかったら彼と共にチェコ・フィルハーモニー管弦楽団カラヤンベルリン・フィル、セル=クリーヴランド管弦楽団ムラヴィンスキーレニングラード・フィルなどの音楽界の歴史を刻んでくれたことでしょう。

と、書いてきておりますが、アンチェルの録音はこのヤナーチェクドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」くらいしかきいておりません。こちらもお詳しい方がいればご教示下さい。