音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

音楽家の虚飾と真実~「だれがクラシックをだめにしたか」(音楽之友社刊)

「だれがクラシックをだめにしたか」(原題:When The Music Stops)ノーマン・レブレヒト 著、喜多尾道冬・田崎研三・斎藤道彦・稲垣孝博 共著(音楽之友社刊・2000年12月初版)を読み終わりました。

ブレヒト氏の著作は以前「巨匠神話」を読み指揮者という職業が登場以来どれほど虚飾に溢れたものだったかを知り、今までの評論家による紋切型の指揮者イメージを覆されたイメージがあります。

今回読んだ著作もその続編ともいえるもので、音楽界を裏で牛耳っているプロモーター・ビジネスの登場からその黄昏まで、スポーツなどからの比喩を用いたりしながら直接的に批判・避難していく内容です。

出版から時間が経過しているので情報ソースとしては古かったり、既に知っている内容や「巨匠神話」と重複してくるところもありますが、読む前と後ではクラシック音楽に触れる上でひとつのフィルタが追加されたようになり、安易に「感動した」「心が動かされた」「涙が出てきた」などと素直に言えなくなり、逆に言っている(書いている)人の言葉には警戒感を持つようになります。

著者は音楽プロモーターの存在をパガニーニ、リストに見出し、演奏家の活動範囲が国際的になると各都市・各国へ先回りして演奏会場の確保からチケット販売の広告宣伝、演奏者のイメージ戦略=プロモーション、貴族など貴賓とのレセプション手配までする必要が生じます。それを仕切れる能力を持った人物が手腕を発揮すると共にそれがビジネス化しました。その象徴的な存在としてアメリカのコロンビア・アーティスツ・マネジメント社(CAMI)とカラヤンにあるとしています。

「巨匠神話」でもそうでしたが、この両者は徹底的に標的にされており、今回はCAMIの顔でもあった(但し顔見せNG・私生活もシャットアウトの人だったそうですが)ロナルド・ウィルフォードがどのように社長の座を強奪し、ビジネスを拡大していったことも書かれています。

同様に他の音楽事務所やレーベルの社内抗争や栄枯盛衰が書かれていて、同じようなことを社会生活でも体験したり、見たりすることもあるので納得したり、役に立つ情報もありました。

カラヤンについては「巨匠神話」と同様に、ナチス入党の経緯や大戦後の行動についても収入・資産を交えて徹底的に掘り下げていきます。彼の著作は直接の取材だけでなく、数字・統計に基づく執拗な追究が特徴なので著者の思い込みだけでない主張を感じます。

例えば第7章は「音楽を金銭に換算すれば」というそのものズバリの章では175ページからカラヤンが富を増やす方法から脱税(節税?)と利益誘導について、第9章「音楽祭顛末」ではナチス政権下から大戦後をいかに生き延び、ザルツブルク音楽祭の芸術監督に就任して私物化したかを書いています。そして1989年7月16日その音楽祭直前に亡くなりますが、その時に居合わせたのがソニーの社長、大賀典雄氏です。

そのソニーについても第14章「ガラスの三角の内側で」において書かれています。著者はソニー本社にも取材をしていることが窺われる章になっています。

そこではソニーの発展から迷走と低迷―大賀社長に振り回されてセールス的に期待できないアバドとの録音から赤字の補填、クラシック事業の縮小・・・これもカラヤンがあと数年でも存命なら映像収録などで稼ぐことができたかもしれない―恐らく大賀社長がカラヤンの亡くなる時に居合わせたということは、これからの儲け話をしていたのだろうと思っていますが―。

各章では皆さんも知っている演奏家たちが次々とレブレヒト氏の標的にされます。それだけ音楽プロモーターが時代と共に必要不可欠な存在として巣食うようになり、暗躍する姿が書かれています。

一時期「三大テノール」として世界を席巻したパヴァロッティドミンゴカレーラスについても音楽ビジネスの成功例?のように第10章「もしスターになりたいのなら」に登場します。膨大なギャラとプロモーション。そのパヴァロッティドミンゴブレヒトの容赦無い批判が淡々と書かれています。

そして「あの演奏家は今?・あのディスクは今?」みたいに思ったのは第10章に登場するチェリストのオーフラ・ハーノイとヴァイオリニストのナージャ・ソレルノ=ソネンバークです。

前者はRCAから、後者はEMIから、当時の女流演奏家のプロモーションの常套手段であった「女性」をセールス・ポイントとしてモデルや女優のようなスタイルで撮影されたCDジャケットが著者曰く「脱音楽的な売り込み」のやり方として登場します。

ハーノイはヴィヴァルディのチェロ協奏曲を、ソネンバークはメンコンをきいた記憶はありますが印象に残っておらず、引っ越しているうちにどちらも手元から消えていました。現在も活動はしているのでしょうか?

あのディスクは今?と思ったグレツキ交響曲第3番(ソプラノ:ドーン・アップショウ、デイヴィット・ジンマン指揮ロンドン・シンフォニエッタ)です。恐らくワーナーのクラシック音楽セールス史上、抜かれることの無い断トツ1位でしょう。

著作によると3年間で約75万枚を売り上げたそうです(2匹目のどじょうを狙った他社から同曲異盤が5枚発売されても)しかし、それ以降グレツキの同曲も含めて他の作品が継続的にきかれるようになったかというと・・・。

それともう1枚「グレゴリアン・チャント」(サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院:EMI)。これも「癒しブーム」に乗って第2弾くらいまで発売され、他のレーベルから類似品も発売されたと思いますが・・・今では中古CDが100円になっています。

そういったことは現在でも形を変え、演奏家の不幸な生い立ちや障碍を前面に出したり、ニュー・イヤーコンサートをイベント化して熱の冷めないうちに1月中の最速リリースをしたり。このパッケージソフトが売れない時代にセールスに必死なのが伝わってきます。まるで「買い手は演奏の中身には興味が無いでしょう」というレーベルの姿勢が伝わってくるのが癪ですが。

後半の章ではクラシック音楽が完全にイベントを含めたビジネスとなり、投資対象とされレーベルのM&Aなどにより、ズタズタにされていく業界を描いています。その著者が光明をみいだしているのが「マールボロ音楽祭」「ナクソス・レーベル」「ハイぺリオン・レーベル」などです。しかし、初版発行から20年以上が経過し、インターネットによる発信、ハイレゾ、ストリーミング再生などCDなどのソフトに依らない音楽再生が可能となり、最後の第15章「クラシック音楽コカ・コーラ化」で書かれている「聞きたいときに聞きたいものの提供」が究極の形で構築され、大きく変貌しました。

スマートフォン、パソコンがあれば世界中のあらゆるジャンル・音源・演奏家にボタン操作だけで接することができます。そこからクラシック音楽の本質をききとることができるかは解りませんが。

本の最後にはフィナーレとして演奏家のギャラ一覧掲載があります。古い情報にはなってしまっていますが、他人の財布を眺めるだけと思って読むと面白いです。

以上、読後のビフォーアフターに大きな変化があった著作の感想の投稿でした。