音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

演奏会~北村朋幹 ピアノ・リサイタル~オール・リスト・プログラム

ピアノ・リサイタルに出掛けるのは何年振りだろう―それも個人的には遠いところにいる作曲家リスト―「巡礼の年」は知られてはいるものの、第1年と第2年の全曲をきけるチャンスは―それもこんな地方都市で―よい経験となりました。

北村朋幹 ピアノ・リサイタル

オール・リスト・プログラム

「巡礼の年」 第1年「スイス」&第2年「イタリア」 全曲リサイタル

2024年2月17日(土曜日) 開演 15:00 松本市音楽文化ホール

北村朋幹 ピアノ・リサイタル - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

北村朋幹 ピアノ・リサイタル 巡礼の年 - 音楽枕草子 (hatenablog.com)

先月開催されたプレ・トークにおいて北村さんが好きな曲集と仰っていた、第1年「スイス」は、リストと当時恋愛関係にあったマリー・ダグー伯爵夫人との逃避行ともいえるスイスへの旅路における心象風景、彼の標題音楽への志向と通じる印象を受けます。

そして、当時女性文学家としても有名だったダグー夫人の影響から貪欲に文学知識を吸収した成果は、曲の題名だけでなく作品自体にも反映されていると感じます。

また、北村さんがプレ・トークの時にヘルマン・ヘッセの「郷愁(ペーター・カーメンチント)」を読むことを薦められていたので読んでおきましたが、確かにその作品中で描かれたスイスの自然描写が音楽と重なる瞬間がありました。特に第6曲「エグローグ(牧歌)」~第7曲「郷愁」~第8曲「ジュネーヴの鐘-夜想曲」(以下、曲名の標題は今回会場で配布されたプログラムに準じた名称で表記します)においてその風景と空気が伝わってきました。

休憩後の第2年「イタリア」はリストが再びパリに戻り、ライヴァルとなっていたタールベルク(1812~1871)と「鍵盤上の決闘」いわれた演奏試合を1837年に行い―この結果は「タールベルクは世界一の、リストは唯一のピアニスト」ということとなり、両者は和解したそうですが・・・を経て、自身を正に唯一のヴィルトゥオーゾ・ピアニストの自我・自覚をした頃にイタリアへ演奏会に出掛けた際に書かれた作品です(既にダグー伯爵夫人との交際は別離へと向かっていました)

そういった背景を知りながらきくと、「ピアニスト・リスト」自身を意識しながら書かれているように思います。

「スイス」よりも超絶技巧のみならず表現力も要求され、第1年「スイス」より変化・成長が当然あり「見(観)られる」こと「魅せられる」ことが先行している作品集ということがうかがわれます。

そのことを事前のプレトークまで開催した北村さんが、ふたつの曲集を一緒に弾く意味があること示してくれたのがこのリサイタルといえます。青年リストの成長の記録として―彼は後年までこの作品集に繰り返し改訂を加えたそうです(もとよりリストは改訂癖がある作曲家のひとりですが・・・)そこにはこの作品集に忘れることのできない思い出やアイデンティティへと遡ることでもあったのでは?とも示唆してくれました。

北村さんは第1年「イタリア」をメリハリがあり、彫の深い弾きぶりできかせてくれました。

第1曲「婚礼」のAndante quietoでは宗教的コラールのような崇高さ。

第3曲「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ」の明るく活発なリズムはリストの時代よりももっと昔、ルネサンス期の音楽のようにきこえてきます。これは北村さんが古楽器演奏への造詣がふかいこととも影響しているのではないでしょうか?他にもスカルラッティソナタのような粒立ちの良いクリアな響き感じる楽曲もありました。

第7曲「ダンテを読んで・ソナタ風幻想曲」は曲集の中で最も長大で、構成もガッチリしており、マラソンの最後で傾斜のきつい坂道を走るような―弾き手にとっては最難関ともいえる曲です。

冒頭の地獄落ちの表現と言われる低音への下降音型から25小節からのゾワゾワした不安感、Presto agitato assai になってからの恐怖や悪魔か魔王の出現を感じるような和音、Allegro moderatoでは「狂」といった空気が漂いました。

そして、そこかしこにベートーヴェンの音楽からインスパイアされたと思わしき楽想がきかれます。

例えば、Presto agitato assaiにおける「♫ ♫」の和音からは「エロイカ・シンフォニー」のフィナーレの冒頭を連想しました。

そして、曲の終わりAllegro vivaceになってからの打鍵の迫力、ここで「超絶技巧のリスト」面目躍如ともいえる弾きぶりでヴォルテージが上りました。そしてAndateとなり、FFFからのトレモロによるコーダ。

ホール備え付けのピアノで弾かれていましたが、ホール全体に艶やかな余韻が響きました!

リストの音楽はもっぱら超絶技巧が音楽の前面に出てきて、同じピアノ作品を多く書いたシューマンショパンよりも「音楽の質」としては落ちると思っていましたが、北村さんの演奏をきいて内相的で静かな美しさも持った音楽であったことを発見できました。また、楽譜を見ただけでは複雑すぎてどうやって弾くのだろう?と思っていた運指も理解できました。

音楽をきいてこういった発見や気づきの体験ができるたことは、素晴らしい演奏家との出会いがあってこそであります。

北村朋樹さんには是非、再び松本でリスト周辺作曲家との関連作も含めた、第3年と第2年の補遺「ヴェネツィアナポリ」のプログラムを弾いていただきたいです。できれば第1年「スイス」のプロトタイプでレアな作品集「旅人のアルバム」もお願いをしたいです。