音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

イシュトヴァン・ケルテス没後50年

今週も先週に続き没後50年になるアニヴァーサリーイヤーの指揮者について書かせていただきます。

ハンガリーは名指揮者の宝庫と言われますが、そのひとりイシュトヴァン・ケルテス(1929~1973)が亡くなって50年です。

1956年にハンガリー動乱に際し亡命し、西側に出て名声を得てキャリアアップが期待されていた1973年4月16日イスラエル・フィルへの客演中、テル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ亡くなってしまいました。

その時の経緯は共演していたバリトン歌手の岡村喬生さんも現場に居合わせ、著作「ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ」に詳細に記されており、岡村さんも間一髪で命を生き永らえる事ができたそうです。

わずか43歳という指揮者としては非常に若くして亡くなってしまったのですが、ロンドン交響楽団ウィーン・フィルを指揮したモーツァルトシューベルトブラームスドヴォルザーク交響曲等の録音も残されています。来日もしており、日本フィルを振った映像も残っていたと思います。

私が初めてケルテスをきいたのはロンドン交響楽団とのブルックナー交響曲第4番「ロマンテック」をBBC放送がライヴレコーディングしたディスクでした。

ブルックナーもレパートリーにしていたんだ。程度の感覚できいた思いますが、当時の私にはこのような大曲をきき取る力が無く(今でもそれほどの力もありません)すっかり忘れていました。その後、モーツァルト交響曲第25番・第29番・第39番やレクイエム、フリーメーソンの為にモーツァルトが作曲した作品集などをききました。

他にもオペラの抜粋のアルバムを目にしたのですが、できれば全曲盤をききたいと思っていたら、中古で「皇帝ティートの慈悲」を見つけたので購入していたディスクをききました(正規録音で「フィガロの結婚」や「魔笛」などの主要オペラの録音は無いようです)

モーツァルトのオペラといえばもっぱら「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」そして「コジ・ファン・トゥッテ」がレパートリーとして定着しており(「後宮からの誘拐」の位置は微妙ですが)オペラ・セリアの「イドメネオ」や「皇帝ティートの慈悲」はめったにお目にかかれない演目です。

この「皇帝ティートの慈悲」は「魔笛」と同時に手掛けた作品なので、本来であればモーツァルト最後の年、1791年に完成された傑作として評価されていてもいいハズなのにそうはなりませんでした。むしろ雲泥の差になっています。

それは、まずオペラの外側の形式である「オペラ・セリア」というものが当時としては時代遅れになりつつあったことです。

「オペラ・セリア」とはバロック時代に全盛を誇った慣習(ルール)に従った進行をしなければならない、いわばシリアスな正しい歌劇といえるようなもので、レチタティーヴォ→アリア→レチタティーヴォ→アリア(時々重唱・合唱)の繰り返しが基本となり、音楽や劇としての躍動性に欠けるものでした。

どうしても、こういった創りは音楽(オペラ)というよりも、古来からのヨーロッパ古典悲劇やギリシア悲劇などの演劇に通じるもので、うまく並び立てるものではなかったという事でしょうか。

きいている(観ている)側からすると登場人物の心理面や葛藤(独白のセリフが多いような・・・)が延々と続くような感じで、舞台劇を観ているような・・・。

この頃のモーツァルトはとても多忙で―興行主シカネーダーからドイツ語の音楽劇の依頼=「魔笛」、そして何処の誰だか分からない依頼主からの「レクイエム」の作曲、そこにプラハ劇場からのレオポルドⅡ世の戴冠式用のオペラ=「皇帝ティートの慈悲」の作曲依頼。どれも急ぎ働きで仕上げなければならないものばかりでしたので、さすがに天才モーツァルトでもキャパオーバーになってしまいました(それに体調も思わしくはなかったでしょう)

その為、このオペラは弟子のジュスマイヤーも手伝って仕上げたという話もあり、きくほうも「どこまでが弟子の手がはいっているのか?」とレクイエムとも繋がる推理・邪推の色眼鏡できいてしまうという事もあります。

また、「フィガロの結婚」や「魔笛」などではキャラクター一人一人に特徴があり、人間性もある描き方をしていたのに対し(これは台本作家の技量もあったのでしょうが)

ここではまるで人間性を感じない皇帝ティート、あまりにも自分勝手なだけのヴェテリア、善人なだけのセスト・・・キャラ立ちしていないというのでしょうか?きいていて感情移入できるキャラクターが皆無なのです。。。ですので、私もここでこのオペラが傑作だ!なんて声を大にして言うつもりございません。しかし―イイ所もあるオペラですよ。と、このケルテス盤をきいて思いました(ディスクを購入して全曲をきいたのは今回が初めてです)

延々とケルテスの話から逸れてしまい申し訳ございません。

オペラ録音なので主要キャストを―

皇帝ティート:ヴェルナー・クレン、セスト:テレサ・ベルガンサ、ヴィテリア:マリア・カズーラ、セルヴィリア:ルチア・ポップ、アンニオ:ブリギッテ・ファスベンダー、プブリオ:トゥゴミール・フランク

ウィーン国立歌劇場管弦楽団ウィーン国立歌劇場合唱団

(当時の慣習と収録時間の兼ね合いもあり、語りの台詞の省略があります)

まずはメンバーの豪華さ!特に女声陣、ベルガンサ、ポップにファスベンダー!

序曲につづき、レチタティーヴォ―皇妃になれずその恨み辛みをヴィテリアが皇帝ティートの友人にして、ヴェテリアを慕うセストに向かって(そのことを逆手に取り)皇帝ティートの暗殺を唆す―断る彼をついには承諾させる。

そして歌われるのはアリアではなく、その二人のデュエット。暗殺という物騒な事を歌うので、だんだんと高揚をしていき、聴衆にこれからどうなるのか、と前のめりにさせていく効果があります。

単独で取り上げられることもある、第9曲のセストのアリア「私は行く、無事に帰ってきて」はクラリネットオブリガート持つ―というよりもクラリネットがソロイスティックでセストと共演するといった方がふさわしいアリアです。ベルガンサの歌唱がききものです。

第2幕は許す、許さない、どうしようか?こうしようか?のやり取りが、レチタティーヴォ―アリアと交互に歌っては退場、また1人出てきて喋ってはまた歌っては退場する・・・の繰り返しになるので、根気強く付き合っていかなければなりません。しかし、ケルテスの指揮は交響曲等でもきかれた様に丁寧でありながらも、躍動的な表現で、劇の進行が妨げられずに2時間が進行していきます。なかなか時間食い虫のオペラを全曲きくという習慣の無い私ですが(モーツァルトや一部のR.シュトラウスワーグナーヴェルディの演目をきく、観ることはありますが)オーケストラがウィーンのシュターツオーパーでもあるのでしょう、手の内に入った安定した表現です。

録音は1967年。デッカがなぜケルテスを起用して、有名どころのオペラでは無く、このマイナーなオペラのセッションを組んだのか不明ですが―将来的にはケルテスで主要なモーツァルトのオペラを録音しようとしていたのでしょうか?

この当時デッカはウィーンでディレクターのジョン・カルショー主導の基にカラヤンが「オテロ」「アイーダ」や「ボエーム」といった王道のイタリア・オペラを、そしてオペラ録音史に残るといわれる、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」全曲をショルティが録音をしています。なんと贅沢なことでしょう!この頃はどのレコード会社もレパートリーを増やすことが優先されたので=当然作れば売れるので、次々と様々なレーベルから録音が発売されています。

そういった時代の中でケルテスも存命であれば数多くの演奏会と録音を残し、主要歌劇場やオーケストラのポジションに就いたことでしょう。世代的には同年にベルナルト・ハイティンクアンドレ・プレヴィン、クリストフ・フォン・ドホナーニ、ニコラウス・アーノンクールなど、1歳下にはロリン・マゼール、そしてカルロス・クライバーがいます。日本人では岩城宏之氏が1932年生れ、若杉弘氏と小澤征爾氏が1935年生れ―こんなことをつらつらと並べてもしょうがないですが・・・