音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

名曲案内書の傑作

 世間に「名曲紹介ガイド」なる本は多々あれど、なかなかこれは!というものにあたることはほとんどありません。

若いころは「名曲選」とか「きいておきたい名曲」とかなる本も読みましたが、年齢も重ねてそれなりに演奏会や、録音できける作品や演奏をきいてくると、既読感?があり、読んでいても先が読めるというか「やっぱりそれを薦めますよね」的な感じになり、名曲選的な類の書籍は久しく読んでいませんでした。

そんな中でも、日本を代表する音楽評論家であった、吉田秀和氏の著書「名曲300選」は読み返す事のある本です。

      

 

出版から約50年が経過しているので(ブリテンショスタコーヴィッチの亡くなる前の状況)補正をしながら読む必要もあるところもありますが、各時代の各作曲家と作品への慧眼は見事なもので、特に現在のようにバロック以前のルネサンス期の音楽も盛んに演奏・録音され、研究も進んでいなかった時代にこれだけきき込んでおられたのは驚きです。それにより私はイギリスの作曲家ダンスタンブルを知ることができました。

最近読んだ柴田南雄著「クラッシク名曲案内ベスト151」(1996年発行・中古)は久しぶりに納得する内容の書籍でした。

著者の柴田南雄氏は作曲家で、私の記憶では当時レコード芸術に誌上にバルトークの作品論などを掲載したりして、作曲家ならではの作品分析で楽曲紹介をしていました(最近は全くレコード芸術を購読しなくなりましたが、当時は啓蒙的であったり、マニアの喜びそうな記事がありましたよねぇ)

そのような鋭い眼力を持つ柴田氏の著作だからと思い、読むことにしました。

面白い着眼点で、いままでなんとなく感じていたことに腑が落ちたり、アッ!と気づかされることが多々ありました。

ハイドンの初期シンフォニーを指して「古くさい古典派ハイドン」ではなくて「熟しすぎのバロックハイドン」として表現。そう思って第1番の交響曲とか、第6~8番の「朝・昼・晩」の交響曲3部作をきくと納得してきけます。

しかし、取り上げられる曲がオーケストラ偏重になっており、この曲は紹介されているのにあの曲がまさかのスルーだったり、例えば・・・

J.S.バッハ クリスマス・オラトリオはあるのに、マタイ受難曲とミサ曲ロ短調はなし。

ハイドン 交響曲は第85・94・103番はあるのに第100番「軍隊」と第104番「ロンドン」はなし。「天地創造」「四季」もなし。

モーツァルト 交響曲は第39番、ピアノ協奏曲第20番・第21番はなし。オペラも序曲しかなし。フルート協奏曲はあるのにクラリネット協奏曲なし。

ベートーヴェン 交響曲第7番・第9番なし。

シューベルト 未完成交響曲なし。

ブルックナー 交響曲第8番なし。

マーラーに至っては第1番・第5番だけ。第9番、大地の歌はない。

その代わりワーグナーの歌劇・楽劇の序曲、前奏曲の単位で8曲、R.シュトラウスなどは11曲もある。

ショスタコーヴィチ交響曲第1番・第5番・第9番の3曲だけ。

またレスピーギの「ローマ三部作」とストラヴィンスキーの「三大バレエ」はあります。

という曲目ですが、この本の元がNHK交響楽団の定期・地方公演のプログラム用の読み物として掲載されいたものの書籍化の為、NHK交響楽団の好み?そして当時のプログラム傾向や、その時期に演奏された作品が紹介されています。

このスタイルで室内楽編や器楽曲編、オペラ編とかも出して欲しかったと思います。

ただ、氏の音楽教育を受けた時代や、出版当時から音楽研究も進み、現在からみれば??という箇所もあります。

例えば、モーツァルトの作品紹介の中で、晩年のモーツァルトは収入がなく、矢も折れ尽き果て、貧困と病の中で虚しく死んでいった=その外面影響があるからこの作品は悲しいと示唆する内容で書かれていますが、これも時代かな?と思います(モーツァルトの作品紹介に限らず)

近年の研究結果(それでも今から30年位前、モーツァルト没後200年の1991年頃)では、晩年(1890年)においてもモーツァルトは結構な収入があり、その収支管理ができず浪費してしまい(ギャンブル説もあります)収入に見合った生活をしていなかったといわれていて、決して収入のない貧困状態ではなかったそうです。

だからこそ、収入を得て安定した職を得るため、作曲も前向きにしていたと考察されています。

「レクイエム」=モーツァルトの死と切り離せない作品で、彼は病と貧困の中で、自身の死を意識しながら「この作品は自分のレクイエム=鎮魂曲になる」と言っていたとも伝えられますが、こちらも研究が進み、ヘンデルなど先人の作品の研究成果を盛り込み、未完成の大ミサ曲とも呼ばれるハ短調ミサ曲を手掛けて以来、再びこのジャンルに挑戦しようとした、温故知新の渾身の宗教音楽となる予定だったといわれています。

それを考えていくと彼の死がまだ先となったならば、1792年は宗教作品の傑作が産み出されたのでは?と想像してしまいます。

最近注目されたテオドール・クルレンツィスの演奏をきいてみてください。その説に納得すると思います。

安易な「ヒョーロン家」や音楽学者の言われたことを、自分の考えなしに鵜呑みにすると、音楽をきく耳も育たない(成長)しない。改めてそんな意識をこの本から受けました。

皆様も音楽に限らず、ご自身の感性を大切にして周りの方の感性も尊重していきましょう。