音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

吉田秀和~音楽家の世界

日本を代表する音楽評論家の吉田秀和さんの初期著作の文庫新刊を読み、改めて学びがありました。

彼のドキュメンタリーを観たとき、締め切りが近づく中で、ペンを握る手が汗で滑りながら深夜から朝方までかけて脱稿した旨の回想がされていました。その時に書いていたのがこの著作だったそうです(あとがきにもこの事は書かれていました)

クープランに始まり、当時の前衛であったショスタコーヴィチまで66曲がとりあげられています。

書かれた年代が1950年代初頭という事もあり、ヒンデミットオネゲルも存命、そして後年の彼ならば取り上げないであろう―注文仕事、ビギナー向けの作品紹介という側面もあるでしょうが、リストのハンガリーラプソディ、J.シュトラウスの「美しき青きドナウ」、グリーグの「ペール・ギュント」、グリンカサン=サーンスが並んでいます。

ブルックナーのシンフォニーはありません。確かこの後にヨーロッパに渡り、クナッパーツブッシュの第7番をきいた際、アダージョで居眠りをしてしまい、目覚めた時にまだアダージョが終わっていなかったことに驚いた―云々と書かれており、まだ氏においても日本国内においても、ブルックナーは特殊な作曲家というイメージだったのでしょう。

マーラーは「大地の歌」のみ取り上げられています(1947年にこの曲について書かれた文章があるので、一番身近にきかれていたのでしょう)

取り上げられている作品は通俗名曲と言われる、スメタナの「モルダウ(ヴァルタヴァ)」、デュカスの「魔法使いの弟子」からワーグナーの楽劇「ローエングリーン」、存命中のショスタコーヴィチ交響曲第5番など、規模・長さの様々な作品が登場します。それにも関わらず、書かれている分量がほぼ均等に、作曲家の生涯から作風や特徴、曲の構成・オペラではあらすじまで的確に書かれており、その構成力に驚きます。

曲の規模や長さで分量は変動してしまう傾向にはなりません。かといって、短い曲の説明を延々と書いてあったり、その逆に長い曲をあっさり書いているわけではありません。

でも、シェーンベルクあたりからは書かれる分量も少し多くなり、当時、一般リスナーはもちろん、氏であってもまだ耳にすることの少なかった「現代音楽」への理解を勧め(進め)ようとする努力があると思います。

作品のポイント、きき所が解りやすい簡潔な文量と表現で書かれているので、きいたことのない方はきいてみたくなるだろうし、きき込んだ人には鑑賞の助けとなりますので、現在のリスナーにも十分に通用する著作です。

特に私が印象に残ったのは、吉田秀和さんの著作としては未だ若い、時代背景もあってか、珍しく苦心して書いているように見受けられる、シベリウスあたりから最後のショスタコーヴィチまでです。

既に新作発表は無い引退生活中のシベリウスも存命中(世代から言えば、ドビュッシーの3歳下ながら、亡くなるのは1957年)今はシベリウスのヴァイオリン協奏曲やバルトークヒンデミットの作品も演奏会やディスクで普通にきけますが、時代は第二次世界大戦後、海外からの演奏家の来日や国内の音楽活動も始動したばかり、吉田秀和さんがヨーロッパやアメリカ合衆国に渡るのはこの数年後です。

また、当時の現在進行形の音楽であったハチャトゥリアンの「ガイーヌ」の後半部分(228ページ)では、「クラシック音楽」についての核心を衝き、ショスタコーヴィチ交響曲第5番の231~232ページではフォスターとR.シュトラウスを同じ土俵に乗せて、作曲家の「思想」まで書かれておられます。

限られた聴取体験・音源や楽譜を調べて記述されている事を考えると、改めてではありますが、その把握能力と表現力に驚きと敬意しかありません。

吉田秀和さんには他に「名曲300選」というグレゴリオ聖歌からショスタコーヴィチあたりまでの作品をチョイスしている著作があり、未読の方はそれを併せて読むと、クラシック音楽への理解が深まると思います。

こちらも初出が1970年代だったので、存命中の作曲家や同時代の作品への言及は僅かなので補正は必要ですが、後年はあまり語ることの無くなったルネサンス音楽やバッハ、ヘンデル以外のバロック音楽への深い考察は、当たり前ですが、現在のピリオド演奏で数多くの作品がきける状況でなかったにも関わらず、どのように情報収集をされたのか興味があります。

以上、その1/3でもいいから、その耳と頭脳にあやかりたい評論家、吉田秀和さんの著作を読んだ感想を書かせていただきました。