今週はアーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による未発表放送録音集の完聴記シリーズVol.8(CD13)の投稿となります。
曲目・演奏家・録音データは以下の通りです。
CD13
・同曲リハーサル断片
録音:1998年3月20日 リハーサル 3月16日~17日 アルステルダム・コンセルトヘボウ
リハーサル断片が約27分も収録されたディスクです。
同年12月にも第7・8番の交響曲もライヴ録音しておりディスク化されております。
第1楽章から劇的なストーリー性を感じさせる音楽で、チェコ民族に対する応援歌のようにきこえる交響曲に感じます。冒頭の重苦しい導入部分などは抑圧された苦しみを感じるような演奏です。
民俗性がベースになっており、全曲を通じてチェコ人なら知っている「聖ヴァーツラフ」のテーマや彼の他の作品からのモチーフの引用などをうまく使いながらも、52小節ではワルツ風のメロディーがきこえ、深刻になりすぎないのもいいです。ドヴォルザークの交響曲はやっぱり最初は第9番から入り、第8番をきいてきて近年のお気に入りは第7番になっています。
管がブルックナー風にきこえたり(第1楽章の91小節~)、PPとPPPの扱いが的確なバランスを取っており、さすがスコアを読み込んでいる、と思うことが多い演奏です。
第2楽章は内省的に静かに始まりますが、突如感情のバクハツのようにして金管の強吹がありますが(85小節や95小節)、これがやっぱりブルックナーみたいで、ドヴォルザークとの共演をきいているような。また、25小節から32小節にかけて登場するホルンのメロディーはブラームスが思い浮かんできます。
第3楽章スケルツォのリズムは独特なアクセント付けにより、バランス感覚が「お国もの」といわれるチェコの音楽家による演奏とは異なります。
終楽章や他の楽章でもそうですが、オーケストラがこだまのように木管と弦が、その逆の場合もそうですが、その掛け合いの絶妙な音の対話のニュアンスもききものです。
終止部が解決できない問題を抱えたように終わるのも印象に残る演奏です。
全曲を通じでスラヴ舞曲集を思わせるリズムが独特で、それが展開されていくところなどはベートーヴェンの交響曲第5番にも通じるモチーフ・リズムへの執着していることを気付かせてくれます―終楽章の387小節ホルンのモチーフが似ているのも意図してでしょうか・・・。
リハーサル断片(約27分)も発見があります。
アーノンクールさんのリハーサルは一定の需要があるのか、結構な数の録音(映像つきのものも含め)がリリースされています。これはとても興味深いことです。
一般に演奏家の録音はその指揮した(弾いた・歌った)音楽自体に関心があるのであって、その過程はそれほど目が向きません。あくまで個人的な意見ですが、ティーレマンやペトレンコのリハーサルを観たい(ききたい)かというとあまり食指は動きません。しかし、アーノンクールさんとなれば別です。
あの一度きけば他の演奏とは明らかに違ってきこえる音楽はどのようにして創造されているのか?これは私に限らず、特にヨーロッパの方は彼の死後8年が経過しようとしても気になることなのでしょうか?
細かいドイツ語の聴取能力が無いので全ては理解できないですが、よく語り、よく喋り、フレーズを口ずさみながら深い知識を開陳しています。
バランスや表情記号ひとつひとつを見逃さず、徹底したフレージングやバランスを整えて、時には弦楽器と管楽器を分奏(吹)させます。
スコアのみならず、その音楽の時代背景をも理解・研究してきたこと、また彼が昔ウィーン交響楽団のチェロ奏者として楽団員としての経験がこのリハーサルにも現れていると思いました。
今週はアーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の完聴記にお付き合いいただきました。
ありがとうございました。