今週はアーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による未発表放送録音集の完聴記シリーズVol.9(CD14)の投稿となります。
曲目・演奏家・録音データは以下の通りです。
CD14
・ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 WAB104「ロマンティック」(1874-78/80項稿)
録音:1997年4月3日 アルステルダム・コンセルトヘボウ
・J.シュトラウス:ワルツ「美しき青きドナウ」Op.314
・J.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」~三重唱「ひとりになるのね」
・J.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」~アリア「故郷の調べは」
ソプラノ:マグダ・ナドール/アーリーン・オジェー バリトン:トマス・ハンプソン
録音:1984年6月7日 アムステルダム
ブルックナーの「ロマンティック」のみならず、J.シュトラウスまで収録された80分を超えるディスク。
「ロマンティック」はワーナーからも同年同月のライヴCDがあり、別日収録もしくは商品発売用の編集が少ない録音かも知れません。きき比べてましたが響きが若干違っても解釈上の大きな違いはききとれませんでした。
一時期はアーノンクールさんがブルックナーを指揮するときいて驚きや戸惑いがあったと思います。今でもクナッパーツブッシュやシューリヒトが一番とされている方がきけば拒絶反応を起こすかもしれません。
テンポは概ね速めでクリアな響き、そして奏者たちの技術力が高いのでブルックナー特有の複雑な弦楽器・管楽器のフレーズも難なく表現されています。これだけの大曲になるとうっかりきき逃しそうになるモチーフ、フレーズも埋没させずに弾かせ・吹かせています。
金管楽器が強く吹かれる時も力任せで音で圧倒するものでなくまろやかです。これは迫力に欠けるわけではなくて本来作曲者がイメージしていたといわれるオルガンの音響に近いものでしょう。
また、リズムも―彼はこれを当然意識して演奏していると思いますが、とても粒立ちよく、ヘタッとせず前進していきます。これがライヴという影響もあるかもしれませんが、あっという間に全曲が終わる感じがします。
第2楽章ではそれに加え、美しさ持ち合わせており、教会の厳粛な空気の中で行われる礼拝のような。弦楽器のピチカートひとつとっても瑞々しい音色です。
第3楽章のトリオはレントラーの趣で、さすがオーストリアで研鑽を積んだ彼ならではの絶妙なニュアンスがきけます。
終楽章は3分30秒過ぎくらいの弦楽器群のフレーズが印象的です。それが木管・金管楽器に再現されますが、これらを含めてフィナーレにおいて前3楽章のテーマを結合させた立派な構成力、有機的な統合を図っていたことを実感させられました。
また、この交響曲は最初の稿から別の曲くらいに大きな改訂の筆入り、現在一般的にきかれる形になっているのですが、それでもこの作品には結構いびつな所(ブルックナーの交響曲全般にいえること)があります。そのまだゴツゴツした所や断絶部分をスパイスのように提示しききての関心を引きます。かと思えば滑らかなフレーズはオーケストラの技術を使って思いっきり滑らかに弾かれ、そのギャップがまた魅力です。音楽はゆったりと癒しや安らぎを求めるものだと思っている向きに嘲笑を浴びせる、アーノンクール・スタイルがブルックナーでも成功していると思います。
続くJ.シュトラウスもブルックナーと同様というか、もっと尖がっていた1984年6月の演奏です。
ベルリンに生まれ幼い時にウィーンに移り住んだアーノンクールさんのご先祖はオーストリア貴族であり、後に2001年と2003年にニュー・イヤーコンサートに登場しているように、ウィンナ・ワルツを振ることは異質ではないのです。が、この1980年代のシュトラウスは冒頭の和音から気合の入り方が全く違います。
ちょうどこの頃、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とはシュトラウス・ファミリーのアルバム(1986年録音)と喜歌劇「こうもり」(1987年録音)を録音しています。また、1994年には喜歌劇「ジプシー男爵」を、1998,9年にはベルリン・フィルとJ.シュトラウス・イン・ベルリンというアルバムを収録しており、シュトラウス作品も評価していた証ではないでしょうか?
ワルツを「踊るワルツ」でなく、スメタナの交響詩「モルダウ」のような構成力を持った作品という着眼から演奏していると思います。
喜歌劇「こうもり」からの2曲も同様にオーケストラは深刻な音を出し、歌手たちも統制下に置きながらフレーズもノリで歌い飛ばしたりせず、一音一音に深みを与えます。これはオーケストラの柔軟な対応力と技術力の賜物でもある
今週はアーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の完聴記にお付き合いいただきました。
このシリーズ??もあと残り1枚を残すのみとなりました。
今後もお付き合いいただければ幸いです。