音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

演奏会~J.S.バッハ「マタイ受難曲」オルケストラ・クラシカ

この作品を完全に分かっているかと問われれば、首を縦に振ることはとてもできないですが、先日実演をきいてた感想記の投稿をしておきます。

演奏メンバー・会場は以下の通りです。

指揮者の中田延亮さんは国内外のオーケストラや歌劇場で活動している方で、今回の演奏者も国内のオーケストラ奏者を中心に招集された団体なのでどんな演奏になるのだろう―往年の重厚・ゆったりスタイルか?古楽器演奏の快速・軽快なリズムで進むスタイルか?と、気になっていましたが古楽器演奏を経て標準的に感じるようになったテンポ設定で、リズムを弛緩させずに進行し、アマチュア合唱団を含む構成で演奏するにはちょうどいいと思いました。また、アリアなどのきかせ所はしっかりと歌わせて音楽をきくという部分も大切にしておられました。

指揮者の自己主張が全面に出てくるものではなく、古楽器演奏を経て標準的になったスタイルで、音楽の持っている魅力をストレートに音楽化したものと感じました。

歌手の皆さんも経験豊かなメンバーです。

エヴァンゲリストの鈴木准さん。バッハ・コレギウム・ジャパンとの共演も多く、テレビかラジオできいたことがあると思います。コンサートホールにおける演奏を意識し、数々の実演をしてきた経験値もあるので、視覚的な動作も付け感情も露わになる表現で、例えば―ペトロが捕えられたイエスを知らないと3度否定するが、イエスの予言通りに鶏が鳴く前にそれが現実となり、ペトロがさめざめと涙を流す様を朗誦する場面―ここは全曲でも注目の箇所ですが、胸が締め付けられるような気持ちになりました。

発声も含め言葉をしっかりと語り、変に音を切ったり延ばしたりしませんでした。鈴木さんのエヴァンゲリストをきいてカール・リヒターの1958年盤のエルンスト・ヘフリガーを思い浮かべるほど素晴らしいものでした。

エスの河野克典さん。この方も放送等できいたことがあり、実力はいうまでもありません。イエスだからといって前面に出てくるわけではないのですが、登場すると風格が漂い、大山鳴動しない「主」の存在を実感させます。

ソプラノは隠岐彩夏さん。典型的なプリマ・スタイルの声=ツンデレ的な雰囲気なのですが、この受難曲の悲劇性だけでなく、もう一つの演劇性という面も描いているように感じました。

アルトは庄司祐美さん。ひたむきな祈りをきくような歌唱で、出しゃばり過ぎないアルト歌手のお手本のような表現でした。往年のヘルタ・テッパーやクリスタ・ルートヴィヒといったカール・リヒター班とでも言いたい名歌手を思い出しました。特に第30番・第39番のアリアが素晴らしかったです。

テノールは望月哲也さん。イエスの受難を前にして右往左往している若者のような存在を思わせる歌唱でした。

バリトンは新見準平さん。各アリアだけでなく、ユダ、ペトロ、祭司長、ピラトも担当。堂に入った演じ分けで、ある時は不安におののき、ある時は清濁併せ持った代議士のような人物のようでした。

個人的に「マタイ受難曲」のキモは①合唱(コラール)②エヴァンゲリスト通奏低音にあると思います。

音楽受難劇なので①と②を中心にメロディーばかりに耳が向いていましたが、今回実演をきいて③への認識を新たにしました。

通奏低音群(オルガン・チェロ・コントラバス)は全体を締める上で重要な役割を果たしていると思いました。進行開始の合図であったり、様々な聖書に書かれた事項・事象のモチーフの表現であったり、受難に関する暗示や表現もこの部隊が担当します。

逆にそれらが弾かれないときは「不安」を感じます。それを効果的にしているのが第27曲aの二重唱です。無いときに存在感を示す現象といえます。

その通奏低音群の奏者の皆さんも、目立たないながらも縁の下の力持ちの役割を十分に果たしておりました。

また、同じ通奏低音楽器のヴィオラ・ダ・ガンバ(奏者は折原麻美さん)も第35番・第57番のアリアでフィーチャーされますが、難しい重音奏法や音階の飛躍を弾きこなされていて拍手です。

他に器楽では第2部の第39曲のアリアでは第1オーケストラのコンサートマスターがソロを、第42曲のアリアでは第2オーケストラのコンサートマスター(ここではミストレスでした)がソロをそれぞれ担当します。

それぞれの相対的な楽曲配置と実演できくと、視覚的な面でも両オーケストラが対になって演奏している事を教えてくれます。

第1オーケストラの三浦彰宏さん(息子さんの文彰さんもヴァイオリニストとして活躍中ですね)の下げ弓の時の深い響きがこの悲しみのアリアとマッチしていました。第2オーケストラの上敷領藍子さんも速いパッセージを見事に弾きこなしていました。

日本のオーケストラの充実はこのような奏者たちがいるからこそであることを実感しました。

主催されている合唱団「信濃楽友会」の歌唱について―中学校の担任の先生に合唱を仕込まれ、選抜の合唱団にも所属していた(その頃は清く澄んだ??テノールを発する少年だったノダ!以前投稿したこともある地元のアマチュア・オーケストラ「松本交響楽団」とも共演したこともあるのです!)として、ここは一家言を語ら(書か)せていただきます。

相当な全体でも個々でも練習されている事は垣間見れます。発音やきれいに揃っているところもありました。後は陰影が付いてくれればもっと心動かされると思いました。

改めてですが、きく毎に新しい発見がある芸術作品である事を実感しました。実演できくのは2回目でしたが、音楽の持っているオーラと題材故にいつでも気軽に接することのできる作品ではないので、人生においてあと何回接することができるのだろう?とも考えてしまいました。

最後にひとことー

「聴衆の少なさ」恐らく信濃楽友会メンバーの学芸会発表みたいな感じで親戚一同を含めて招集したのでしょうが(私の後ろにいたその筋?と思わせる母子は第1部が終わったところで帰ってしまいましたーお父さん頑張って歌っているのに。。。)さすがに地方都市の音楽文化ではこの程度の人の入りでしょうか・・・。

それともうひとつ。終演後に「ブラボー」の掛け声が飛んだのには驚きました。イエスの受難を演奏した後にブラボーとは・・・その声を掛けた人たちは普段どんな音楽のきき方をしているのだろう。と思いました。