音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

【アーカイヴ】ヴォルフガング・サヴァリッシュ生誕100年&没後10年

*今週は息子の野球応援などでブログを投稿する時間がありませんので、以前別ブログに書いたものを再校正にて投稿とさせていただきます。

 

今年はドイツ出身の指揮者ヴォルフガング・サヴァリッシュの生誕100年(1923年8月26日)&没後10年(2013年2月22日)になります。

彼は教師のような風貌で指揮姿もとてもわかりやすく、典型的なドイツのカペルマイスターを思わせました。

演奏家を外面からの思い出から書き始めるのも申し訳ないのですが、私のサヴァリッシュの印象として残っているのはまずそのことであります。

当時、同世代に個性的な演奏家が多い中ですっかり忘却の彼方にいっていますが・・・特に晩年は健康状態もあってでしょうか、指揮活動から退いていたそうですが・・・。

ちょうど自分が音楽をきき始めた10代はベートーヴェンブラームスのドイツ音楽の定番曲をNHK交響楽団の定期公演で指揮していたのをTVやFMで接していたときも、その演奏の内容で覚えているのは自分が未熟なききてだったこともあり「安心して音楽をきかせてくれる指揮者」といったものでした。しかし、そのお蔭で多くの音楽を教えていただいた恩人でもあります。

例えばブラームス交響曲第4番の終楽章ではあの複雑なパッサカリアが整然ときこえてきて、解説書などでバッハのカンタータの引用がある云々、小難しい事が書かれており、とっつき難い音楽と思っていたものを理解させてくれました。

そして、曲が進行し、突然断ち切られるような終止−ブラームスの信仰していたベートーヴェンをはじめ、ロマン派のシューベルトシューマン交響曲の終わりは大団円を創り上げる伝統への拒否−これは前の第3番の交響曲でも示していましたが、これはブラームスの何かへの怒り・困惑!?=どうしてこのような作品を書き上げたのだろう。などまで考えさせてくれる演奏でした。

もうひとつ彼の思い出といえばバイエルンオペラの監督を退任したのち、フィラデルフィア管弦楽団音楽監督になって「オペラなんて指揮しない」=「オペラ卒業宣言」をしたとき、バイエルンはもちろん、ウィーン、そして若い時にはバイロイトにも登場して、どちらかといえばオペラ叩き上げで経験を積んできた「カペルマイスター」指揮者からの発言に驚きつつ、華やかなオペラ劇場の舞台裏に潜む伏魔殿の存在を改めて実感したものでした。その後、新しい舞台における活動もあまり伝わってこないままに引退に至ったのは残念でした。

彼が晩年もう少し健康に恵まれ、うまく音楽マネージメントに乗っかって、日本でブルックナーあたりを指揮していればギュンター・ヴァントや朝比奈隆、もっと古い例ではカール・ベームみたいな「ドイツ音楽の正統的解釈者」としての地位もあったのでは?と思ってしまいました。

上記の点ではとても古い話になってしまいますが、こちらは今年没後50年になる、オットー・クレンペラー(1885年5月14日 ~ 1973年7月6日は長寿に恵まれ(健康と私生活には問題がありましたが)レコードディレクターのウォルター・レッグの目に留まることにより、フィルハーモニア管弦楽団とEMIに当時の存命の演奏家としてはかなりのレコーディングを残してくれたのは幸運でした。

もちろん私もその多くをきいているわけではないですが、シューマン交響曲第3番「ライン」はスコアに独自の改変を施すとともに第4楽章がこれほど宗教的な音楽になっている演奏はないと思います。特にトロンボーンが対位法的に使用されている箇所では、彼のバッハ演奏にも通じる雰囲気が漂います。

特に交響曲ではベートーヴェン(ミサ・ソレムニスも)、シューベルトメンデルスゾーンベルリオーズドヴォルザークチャイコフスキーマーラー、そしてバッハのミサ曲ロ短調マタイ受難曲ヘンデルメサイア―音楽をきいて「心が癒される・力を与えてくれる」などの表面的なものでなく、京都や奈良などの寺院で仏像などを前にしたときのような感覚になります。

今週はサヴァリッシュの話からクレンペラーの話になってしまいました。