音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

【アーカイブ】絶筆!?~モーツァルトのホルン協奏曲第1番

今日は朝早くから休日出勤で業務が予定より大幅に伸びてしまい、新規投稿ができませんでした。今週は読んだ本に関し、別ブログに投稿したしたものに修正を加えた「アーカイブ」投稿記事にお付き合いいただければ幸いです。

 

モーツァルトの35年間の短い生涯で、未完成で絶筆となった作品は言うまでもなく「レクイエム」となっていますが、近年の研究ではホルン協奏曲第1番ニ長調K.412+K.514もそういったものではなかったのか?といわれています。

彼のホルン協奏曲は番号付きで4曲残しており、形式的に完成され作曲年代は第3番を除き、分っています。しかし、第1番だけは第1楽章アレグロと第2楽章ロンド、アレグロしか書かれておらず、緩徐楽章がありません。

その経緯については石井宏さんの著書「帝王から音楽マフィアまで」(学研M文庫・2000年)内の「モーツァルト、その知られざる遺言」に書かれています。

 その説によると、モーツァルトザルツブルク以来の交友のあったホルン奏者、ヨゼフ・イグナツ・ロイトゲープのためにホルン協奏曲を書いたのですが、第1番は多忙その他の理由から、第1楽章を書き上げたまま放置されていたものを1791年、まるで自分の死期を悟ったかのように、他の未完成の作品と共に作曲にとりかかったそうです。しかし結局、完成させることは出来ず、ロンド楽章がスケッチで残されました。
それを未亡人となったコンスタンツェが完成品として出版し、いくばかりかのお金を手に入れるため、弟子のジュスマイヤーに依頼したということです。なぜ、ジュスマイヤーに依頼されたのか、その彼がどういった意図で書き上げたのか?ということにも触れており、この作品の謎についての核心に迫っていきます。


私もはじめてこの曲をきいた時に、第1楽章の流れるような美しい旋律に魅かれましたが、続く第2楽章ロンドが始まると導入の後、ホルンがいななくように入ってきたかと思うと、それに応えるオーケストラはザッザッザッザッ・・・♪とリズムを刻むばかり。。。モーツァルトとしては芸がないのでは?と感じていました。それに中間の緩徐楽章も無く、2楽章の協奏曲なんて中途半端な作品だなぁ。と思っていました。

当時の解説では1782年に一応完成したホルン協奏曲の第1楽章と、スケッチとして残されていたロンドをくっつけて、半ば強制的に完成品に仕立てたもので、作品としての魅力は低いとされていました。しかし後年、石井さんの文章読んで、なぜそのようなかたちとなったかに納得しました。

そんなことを思い出したのはブリリアント・クラシックの廉価盤、ヘルマン・ユーリッセンというオランダのホルン奏者による、モーツァルトのホルン協奏曲をきいたためです。伴奏はロイ・グットマン指揮オランダ室内管弦楽団

ユーリッセンは特別個性的な音を出すという奏者ではありませんが、柔かい音に好感が持てます。共演のグットマンが丁寧なサポートをしていて、テンポなども極端ではなくて、ホルンのちょっとのどかなイメージを出すのに役立っていると思います。
 

第2番変ホ長調K417の第3楽章ロンド・アレグロではホルンに対してオーケストラが嘲笑するかように応える箇所がありますが、その両者の掛け合いが面白いです。
 
第4番変ホ長調K.495の第2楽章は小編成のオーケストラ(チェンバロを含む)がしっとりとした音楽を奏します。音楽をきいていて美しい、充実した気分にしてくれる瞬間があります。
 
そして、問題の第1番ロンド、アレグロ楽章ですが、ここではユーリッセン自身が手を加えて平面な感じのするこの音楽に変化を与え、ユーモアにも溢れています。後半になると6つのドイツ舞曲K.600が頭に浮かぶような楽想も印象的です。
 
他にもこのディスクにはユーリッセンが補筆、中には作曲と言っていいほどに手を加えた断片も収録されています。

陰影感のある「断章ホ長調K.494a」

ホルンの持つたくましさとしなやかさの両面を持つ「変ホ長調K.370b」

ロンドといっても舞曲というよりは、牧歌みたいな節回しが出てくる「変ホ長調K.371」の3曲です。


また、もうひとつの注目が、絶筆未完成に終わった第1番の第1楽章の楽譜に書き込まれた、モーツァルトのいたずら書きが残されているのですが、それを音楽に合わせて朗読しています。ただその朗読が演劇っぽくて、奏者を叱咤激励しながら時にはからかい―そこから彼の友人愛が見えてきて、ユーモアを交えながら作曲家は何を考え、何を思いながらペンをとっていたのだろうか?感じました。