音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

【アーカイブ】ケント・ナガノのブルックナー

本日は午前中がお客様との打ち合わせで休日出勤、午後~夕方が息子の高校野球の大会応援と練習の送迎で、音楽をきいたり、ブログを書く時間が無かったので、過去に別ブログへ投稿した記事の校閲版にお付き合いいただければ幸いです。

 

先日、車で移動中にFMラジオからベートーヴェンの「エロイカ・シンフォニー」の第2楽章が流れてきました。とても洗練されたクリアな音に耳が惹きつけられました。細かくは調べてないのですが、ケント・ナガノが指揮した演奏会を収録したものだったらしいです。

ベートーヴェンをこんなにきれいに演奏するのは、一般の解釈からすると問題外にされてしまうかもしれませんが、その磨き上げられた響きにそういったことを超えて驚くとともに、ケント・ナガノという指揮者を私に強く印象付けました。

そのナガノが、ブルックナーのシンフォニーの第4番・第7番・第8番を録音したディスクをききました。(オーケストラはバイエルン国立管弦楽団、第4番が2007年、第7番が2010年、第8番が2009年のレコーディング)例のベートーヴェンからこの指揮者に関心があったのと同時に、第4番と第8番が初稿を録音している事にも興味がありました。

       

その3曲中一番面白かったのは、初めてきちんときいた第8番「初稿」でした。ブルックナーは「改訂魔」というのにふさわしい作曲家ではないでしょうか?多かれ少なかれ他の作曲家も、初演の失敗や芸術上の完成度を目指して作品に手を加えることはしていますが、その過程は見せないのが普通(完成品以外は破棄や出版停止など)で、私たちはその最終稿をきく事が多いのですが、ブルックナーに関しては1曲の交響曲に2つも、3つも異稿が存在し、なおかつその版から演奏者が取捨択一したり、パズルのようになっていて、細かい違いはその専門家でないと「どこがどう違う」のか、その判別はつかない思います(でも、この第8番と第4番の「初稿」は普通にきいてもすぐ違いが分かります。第4番の第3楽章に至ってはほとんど別の曲と感じるでしょう)

やっぱり第8番をきいて感じるのは、第2稿のほうがよく練れていてききやすく、スマートになっていることを実感しました。そんななかにも捨てがたい楽想やフレーズもあります。

例えば第1楽章の終止部、第2稿はブルックナーが「死の時」と名付け、静かに終始しますが、初稿ではそこで突如、長調に転調して輝かしく終わります。また、第3楽章の主部はブルックナーの頭の中はかなり混乱していたのでは?と思うくらいメロディーやフレーズ、パッセージが重ねられていくのに対し、トリオは瞑想的なフレーズが印象的です。

ナガノの指揮は、第4番・第7番ではテンポ設定がそんなに極端でなかったものが、第8番ではチェリビダッケを模倣しているの?と思うくらいのスローテンポになっています。しかし、それが模倣でもなければ、カリカチュアでもないことがわかります。特に第3楽章、アダージョ。33分もかけてゆったりと時と空間を超越して、そこにはワーグナーの楽劇をきいているときにも感じる「意識」と「無意識」を行ったり来たりする感覚になります。終止部でしだいにテンポが下降していくところは、人間の呼吸がだんだんゆっくりになり、停止していくようで、とても緊張感があり息を飲みます。この箇所をきいてナガノはこういった表現をしたいために、こんなテンポ設定にしたのではないだろうか?と考えてしまいました。録音技術や会場の関係もあるかも知れませんが、まるで研磨されたような音や、ハープや弦楽器が撥弦するときの響きも大注目です。

この演奏をきいて感じたのは、昔の巨匠たちが解釈やオーケストラの能力もあって「よいしょ、よいしょ」と大型トラックをマニュアルで運転するような、指揮者の感覚と職人技できかせるブルックナーから、今はそのスマートさ、まるでV8・4,000ccクラスの大型エンジンをもった高級欧州(メルセデスとかBMWなどの)セダンを運転するような違いがあると思います(大型トラックにもV8クラスの高級セダンにも乗ったことがないので、あくまで想像ですが)