音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

春は名のみの~シューベルト「冬の旅」

私の住む地方都市では桜が葉桜になり、暑い日が続いたかと思うと、朝晩は再び肌寒い気候になっています。

こう肌寒いときにはシューベルトのリートが思い浮かびます。

「冬の旅」の第1曲「おやすみ」冒頭のピアノ前奏のフレーズが頭をよぎったので、練習試合で朝早い出発の息子を高校に送り、午後は休日出勤があったので、時間のある午前中に全曲をききました。

バリトン:ディートリヒ・フィシャー=ディースカウピアノ:クラウス・ビリング 1948年録音モノラル)

この作品は全体に重く立ち込めた冬の厚い雲空を感じさせる空気感、そして失恋からの苦しみ、絶望―果ては孤独までが延々24曲きくのは精神的にも辛く、とても度々きくのは避けて通ることが多いです。シューベルトの最高傑作であり、この分野における古今の最高峰に立つ作品であることは十分理解しているのですが。。。

そういった気分にあまり浸りたくないときは、ヘルマン・プライがカール・エンゲルの伴奏で収録したディスクでききます。どんな深刻な音楽でも救済があり、特に速いテンポで進む楽曲は生命力に溢れています。そういった彼の歌唱は「美しき水車小屋の娘」でこそ本領発揮するもので(1993年の来日公演を会場できいた時の感動は、今も忘れられない体験です)リートの持っている多面性を実感します。

『冬の旅』 フィッシャー=ディースカウ、ビリング(1948)今日きいたフィッシャー=ディースカウのディスクは数えきれないほど録音した同曲の最初期にあたるのではないでしょうか?録音時22歳。録音場所がベルリンとなっていて、未だ廃墟が多く、戦禍の傷癒えない風景だったことは想像できますが、そこで「冬の旅」の収録を任されていたのだから、将来を期待されていたのでしょう。当然その期待には十分応えていったことに間違いはありません。

その歌唱に驚いたのは、後年の録音よりもロマンティックであるとことです。若い彼の声ということもあるのでしょうがー私の知っている声はもっぱら後年~晩年の完成されつくした声の印象ばかりなので。そういった特徴に加え、第6曲「雪解けの水流」でのきき手の胸へ突き刺さるような嘆き節や、第18曲「嵐の朝」の後の歌唱からはきかれることが少ない、多少荒々しい表現をきかせてくれます。

第20曲「道しるべ」 これこそ「冬の旅」らしい凍てつき、とっつきにくい風格を持つ曲で、後半4節で示される先は「死」であることが暗示されます。続く第21曲「旅籠屋」では諦めにも似たものが漂います。しかし、次の第22曲「勇気」で再び希望を奮い立ててきき手にも励ましを与えているような感じがしてきます(それが空元気であったとしも)

延々と曲順に説明が続き申し訳ありませんが、とても曲中で重要な場面ですので・・・第23曲「幻の太陽」は、冬の朝もやの中で雪の向こうに赤というか、オレンジ色の太陽が昇ってくる風景が浮かんできます。

そして最後の第23曲「つじ音楽師」の静けさ、間があるので、どことなく居心地が悪いと感じる方もいるかと思いますが、これこそ晩年のシューベルトが、わずか30代前半で到達していた「生」と「死」を理解していた境地であると思います。ピアノ・ソナタ第21番でも同じ空気を感じる瞬間がありますが、そのピーンと張りつめた空間から「音」がきこえてくる時が最高です。

こういった音楽は冒頭にも書きました通り、全曲となると特に、気楽に付き合うことのできない芸術作品であることに間違いはないと思います。

 

PS.ヘルマン・プライ来日公演のパンフレットを取り出してみました。

      

このパンフレットには「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」の対訳が掲載されているので、輸入盤などをきくときに重宝しています。

 

      

日本公演のスタート初日にが私の在住する地方都市からだっとは!

 

      

  終演後にサインをいただきました。