ベートーヴェンという作曲家は、改めて言うまでもなく一つの細胞単位の小さい素材から曲を創り展開させていく腕にかけてはトップでしょう。そのハングリー精神溢れる音楽に、演奏家はもとより、私たちききては魅了され、愛し続けます。
メロディーメーカーとしての才能は、先輩モーツァルトや後輩シューベルトに譲りますが、一度生み出した音楽の原子をしつこいくらいに前後・左右、斜め・・・あらゆる角度から眺め、はては変形させてみて我々きき手の前に提示して見せます。その姿からきこえてくる音楽は「頑固者」そのものと言えます(彼の生涯について書かれた物を読んでみると納得ですが・・・)その作曲技法は彼以前にはきかれない程に徹底したもので、時代を超越して後世に与えた影響は大きいものがあります。
そのベートーヴェンもウィーンへ武者修行に出て来たときは、一介のピアニストとしてのデビューでした。ウィーンの聴衆から見たら、外国の田舎者という認識でしょう。
だいたいウィーン人というのは日本の京都人と同じで、自分の住んでいる所以外は全て田舎という考えで、そこへ来た外国人(観光客)のあしらい方も心得ていて、違和感を覚えても「これがウィーン風でございます」でかわします。だから苦すぎるコーヒーを甘すぎるザッハ・トルテで流し込むことも「ウィーン風」なのだそうです。
話が逸れてしまいましたが、上記のことはクラッシク音楽をきく上で頭の片隅に置いておく必要があると考えます(何でも音楽の都ウィーンとしての賛美ではなくて!そもそもモーツァルトやショパン、ブルックナー、マーラーを冷遇したのもウィーンです)
さて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタに戻ります。ピアニストだった彼が演奏会で弾くレパートリーとして名声の確立、また生活費を稼ぐ糧として書かれた側面がある初期のソナタ群(番号でいうと第1番ヘ短調Op.2-1から第11番変ロ長調Op.22と後に発表された第19番ト短調Op.49-1と第20番ト長調Op.49-2の二つのやさしいソナタの13曲になります)
その後、彼の心境変化(耳の病気や私生活)からピアノ自体の性能向上、そして彼がピアノを使って創作していたこともあると思いますが、ピアノ・ソナタはそれぞれの作曲時期における、彼の思考がストレートに反映されている分野になると思います。
先日、アルトゥール・シュナーベルが1932年から35年に録音した全32曲をききました。
シュナーベルというピアニストに対する私の持っている知識は、SP時代初期にベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を録音したこともあり、ベートーヴェン演奏のスペシャリストと言われ、あと、とても前衛的な作風で作曲もした。という程度でした。
その代表的録音のベートーヴェンのソナタ全集に書かれた物を読むと「速いテンポ」や「感情表現の足りない演奏」・・・云々という予備知識が先行していましたが、廉価盤として発売されていることを知り参考としてきくことにしました(財力に任せてCDやLPを爆買いできない愛好家にとって、廉価盤のBOXは
「博物館資料」を見るような好奇心感覚できき始めました。
SP録音時代の演奏で、復刻音源やこのレーベルの復刻方法も分らないので、私の耳では音質や解釈の詳細まではつかむことはできませんが、きき始めて「確かにやっぱり速い!それも指が追い付いていない驚く速さで」と感じましたが「感情表現が足りない」ということは一面からきいた意見ではないか?と感じました。
例えば第26番変ホ長調Op.81a「告別」の第1楽章アダージョの序奏部の憂いを帯びた表現、とても気持ちを込めて胸にしみる演奏、第2楽章アンダンテ・エスプレシーヴォでは哀しみや、落胆で重い足を引きずりながら歩いている様子が想像できます。
速いテンポで弾かれているのはシュナーベルの解釈と共に、当然SP録音の片面収録時間(4分30秒位)という制約も影響しているのではないでしょうか?でも、第29番変ロ長調Op.106「ハンマークラヴィーア」の第3楽章の緩徐楽章においては、目立って遅いテンポで弾かれており、古い音質ながらも音楽に浸ることができます。
あと彼の演奏では、第16番ト長調Op.31-1の第1楽章ではキラキラした優美な響きの表現、4分30秒からの一気に駆け抜けていくテンポも印象的です。
第32番ハ短調Op.111の第1楽章では、とてもメロディーとして成立しないような闇の世界から、徐々にフーガになって音楽が立ち上がってくる過程で、録音状態も影響しているかもしれませんが、第1主題がとても不気味にきこえます。それから後半にかけて一気呵成に弾いていますが、特に後半のテンポでは指が追い付かないことも気にしないで。しかし第2楽章では一転、ゆったりとしたテンポで始められます。それがとても情感があります。3分位からワルツ風のメロディーが登場してきますが、とてもロマンテックでありながらもダレたり、甘くならない品格が漂い、シュナーベルというピアニストの美意識が感じられます。
フト思ったのはこの録音の延長上あるのでは?と感じた演奏がフリードリヒ・グルダが1967年に録音したものではないでしょうか?私も全集としての完成度はトップと感じていますが、録音当時は主流とされ、決定的解釈の模範とされていたバックハウスの録音があるので、存在をアピールするには―グルダは既に50年代のモノラル録音時代に全集を録音していましたが、上記理由からか発売はされなかったそうです。このモノラル録音はきいたことがありません。入手できるのでしょうか?
そのような苦杯を舐めた経験もあってか、バックハウスへの対抗、アンチテーゼとして発表するのにあたり、シュナーベルを参考にしたのではないのでしょうか?そしてこの演奏は50年以上経った現在、未だに存在感があると思います。
グルダの全集(レーベル:Amadeo) |
ホルシュト・シュタイン/ウィーン・フィルとの協奏曲全集も収録(レーベル:DECCA) |