音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

テレマン:オラトリオ「雷神を称える」

個人的には3月になると思い出すこの作品、恐らくテレマンの作品の中では知られてはいないと思います。

ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681年~1767)は生涯に約4,000曲もの作品を残したといわれ、数多くの作品を残した作曲家としてギネスにも認定されているそうです。

テレマンの作品はこちらから積極的にきくこともなく、持っているディスクも数少ないです。このカンタータ「雷神を称える(雷のオード)」を知ったのも偶然でした。

初めてきいたのは長男の誕生する日の朝でした。前夜、破水して入院となり、私は一旦帰宅しました。ウトウトと眠れない夜を過ごし、NHK‐FMをきいていました。

ちょうど「古楽の楽しみ」(前身の「朝のバロック」から時々きいていた好きな番組のひとつでした)の中でこの曲が放送され、その明るく、華やかな音楽が、落ち着かない心を休めてくれました。

当日の午後に無事に長男が産まれその後もずっと、その長男誕生の思い出と共に、テレマンの作品が気になっていました。

後日、当日きいた演奏のディスクを入手することができましたが、作曲背景を知りたくてもインターネット上にはほとんど記載も無く、ディスクは輸入盤なので限られた語学知識で調べてみました。

作曲の直接の要因となったのは、1755年にポルトガル王国の首都リスボン周辺で発生した大地震(歴史上では「リスボン地震」と呼ばれる)でした。

11月1日09:40頃に発生し想定されるマグニチュードはM9とされ、死者は6万人を超えたといわれています。

この大地震ポルトガルはもちろん、ヨーロッパ諸国に与えた影響も大きく、政治経済から宗教・哲学や思想にも及ぼしました。

今のように高速情報網や映像配信など無い時代ですので、新聞や見聞などを通じて人々に広がっていったと思われます。そして科学分野も未発達で宗教が生活に根差していたので「神罰」に感じた人もいたでしょう。

芸術家も「死者への鎮魂」や「神への慰撫」として作品を手掛けたそうで、当時、名声を成していた人気作曲家テレマンも依頼をうけたのか?それかこの災害をネタにしてもう一儲けを考えたのか、震災の翌年1756年、テレマン75歳!(モーツァルトザルツブルクに生を受けた年でもあります)に第1部が初演されています。

それが好評だったのでしょう、1760年、テレマン79歳!!に第2部が作曲さています。その創作意欲、進取の気概に驚きます!音楽史上では「前古典派」、大バッハの息子達、ハイドンが作曲家の初期段階にありました。

音楽は後期高齢者の創作とは思えないくらいに、合奏・合唱・アリア全てが、華麗・壮麗な音楽で、生き生きとして明朗・リズムも躍動し、影が感じられません。テキストも神を称え賛美するものばかりです。バスのアリアは筋肉質で、ジュピターの姿を感じます。

J.S.バッハのマニフィカトや、ヘンデルのオラトリオ、パーセルのアンセムにも通じる華麗・流麗な楽曲が続きます。

そして、フト考えますー「雷神(雷=ドンナ―)」?この作品って地震に関連した音楽ではなかったっけ?

ヨーロッパにも「地震・雷・火事・親父」と云う諺とかがあり、恐ろしいものの代表格の括りにでもなっているのでしょうか?どなたかその辺の詳しい方、ご教示下さい。

 

【DISK】

イギリスの合唱音楽作品の指揮で活躍したリチャード・ヒコックス(1948年~2008年)と彼が主導して結成した古楽器演奏集団「コレギウム・ムジクム90」他。

*非常に録音が少ない作品ですので、放送できいたほぼ唯一のディスクですが、現在入手可能か不明です。

 

PS.長男には音楽的教養を身に付けさせようと(命名も含め)クラシック音楽をきかせ、夜泣きにはワーグナー!、演奏会にも何回か連れて行きました。が、ほとんど興味を示しませんでした。

本人は小学校4年生から学童野球を始め、選抜チームにも所属、中学校ではシニアチームに、高校も私立高校に自己推薦で入学し、硬式野球を選択。

そのお蔭で、学童野球では保護者会長、シニアでは父母会長、野球素人が経験できない事をさせていただき、全国大会にも2回出場ができたことに感謝です。

こちらは今まで特別進路について、色々と言ったり、強制することもせず、個人の判断に任せています。本人が望み、頑張るのであれば、バックアップだけしていました。

これからは資金的なバックアップの占める割合が多くなりそうです・・・。