音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

【アーカイブ】ホンモノの音楽をきく~

今週は読んだ本に関し、別ブログに投稿したしたものに修正を加えた「アーカイブ」投稿にお付き合い下さい。

 

剣豪小説家として有名な故・五味康祐はクラッシク音楽愛好家からすると、本業の剣豪小説かというよりも、著作「いい音、いい音楽」(中公文庫)を読み、音楽をきく事について再確認した思いです。

オーディオからFMのエアチェックに関することを中心に演奏家評、ニューミュージックについて「一刀斎オーディオを語る」という、誌上連載をまとめたエッセイ集です。今は下火になってしまいましたが、そのマニアっぷりが微笑ましいくらい事細かに書かれている章が面白いです。

残念ながら氏の本業!?であり代表作である、江戸時代の剣豪・柳生一族を扱った小説などを読んだことがありませんが、とても豪儀な方であったことはこの本を読んだ限りでも想像できます。



「”ヒゲ”のはえたレコードなんて」(81ページ)
今ではLPレコードなどは見たことも使ったこともない世代が多くなっていますが―レコード盤に”ヒゲ”をはえさせて平気なのはオーディオマニア、音楽愛好家としては失格だ!と怒っています―”ヒゲ”とはターンテーブルの上にレコードを載せた際に中央の穴の開いた部分を軸に擦っているとできる、細かい糸状のゴミのようなものでレコードをそんなテキトーな扱いをしているのはケシカラン!と言っているのです。

その言葉LPがCD・DVD・BDになっただけで、音楽を愛する者はパッケージソフトに対対しても、そう心掛けたいと思います(現在の若い方にLPといってもピンとこないと思うので、時代を感じさせるかもしれませんが・・・)

 

「ホンモノの演奏を聴くことが大切」(160ページ)
TV、ラジオ(今ではそこにPC・スマートフォンなども加えられます)の普及により、音楽が氾濫している生活があたりまえで、ホンモノ(一流の顔をしたニセモノもいます)とニセモノの区別のつかない耳を持った人種になる。と警鐘を鳴らしています。

音楽を「きく(聴く・聞く)」ということに関して改めて考えさせれる内容で、改めてこの音楽だらけの社会に対し「喝!」と言われているようです。

五味氏の怒りは一流と言われている演奏家まで及びます。
「他人の褒め言葉をうのみにするな」(178ページ)
ポリーニの弾いたベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタのディスクを「深みが無い」と一刀両断にした返す刀で、その次のカラヤン帰れ」それに続く「むかしのカラヤンは素晴らしかった」と、2回にわたり、来日公演中のカラヤンが振ったベートーヴェン交響曲第9番もまたダメだ!と斬り捨てマス!!ここなんか書きぶりが痛快です。

「日本では一流ピアニストは育たない」(207ページ)
子供にピアノなどの習い事をさせている親に対して、自身も娘にピアノを習わせていることをふまえつつ、人種、楽器の問題―ただの「情操教育」のようなものの延長線上であり、やっていても演奏家は育っていかないと述べています―私はそれに加えて「情操教育」という言葉で表現される、子供への音楽をきかせることも教育といわれますが、それをさせる大人が、精神的に人間でない者が多い今日、そんなことをいくらやっても意味ない事と思います(大人も音楽をきき分ける耳を持たないといけない)

時代背景などもあり、さすがに今の感覚からすると古い面もありますが、書かれている本質は音楽をとことん突き詰める=極意が伝わってきます。
本人も短気で癇癪持ちと書いているように、そんな性格が良・悪をオブラートに包むことなくストレートに読み手に提示します。
評論家といわれる職業(これはすべてのジャンルに共通していることです)が、コメンテーター、ライターと線引きができなくなっている現在において、考えさせられることではないでしょうか?

あと嬉しかったのは「いいヘッドフォンを選ぼう」(59ページ)において氏が合格としているのが、ドイツの「SENNHEISER」とオーストリアの「AKG」なのですが、私の使用しているヘッドフォンも購入時に、どちらのメーカーにするかさんざん迷いSENNHEISER選んだので、オーディオに疎い自分も一刀斎先生をRespectできたことです。

気になるのはここで何度も登場する、「重要文化財級」のオーディオが氏の没後どうなってしまったのでしょうか?どこかにバラバラに切り売りや廃棄されてしまったかと思うと・・・もったいない。