音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

ブログ開設の解説&アーカイブ

はじめまして。

以前はGoogleBloggerにてクラッシク音楽の演奏会・ディスク等、身辺雑記を投稿してきましたが、最近「Google Blogger」を検索すると「サービス停止」「廃止」などという言葉が出てきて、巨大企業さんなので大丈夫だとは思いますが、この「はてなブログ」さんも含め、営利企業さんの運営する無料サービスを利用させていただいている身なので、万一のバックアップも考慮してこの「はてなブログ」さんにお引越しをしました。

ブログの内容は音楽をきいたことを主に、私の好きな古典文学、清少納言の「枕草子」にあるように「いとをかし」「うつくしきもの」「うれしきもの」時には「すざもしきもの」を綴っていきたいと思います。

あくまで素人の「音楽鑑賞の感想メモ」程度でお付き合いいただければ幸いです。

過去にBloggerにて投稿した記事は「アーカイブ」としてこちらの投稿に移行したいと思います。

以下、早速アーカイブからはじめますー2013年2月23日、最初にBloggerに投稿した記事「カラヤンモーツァルトをきいて」からの抜粋(加筆修正)です。

今回紹介するのは、カラヤンが1970年の

ザツルブルク音楽祭でベルリン・フィルを指揮した、モーツァルトの協奏交響曲K.297bとR.シュトラウス交響詩ツァラトゥストラはかく語りき」のプログラムの演奏会のライヴ録音をイギリスのレーベル「テスタメント」から発売したものです。

カラヤン死後、20年以上経過しますが未だにライヴ演奏がポツポツと発売され、スタジオ収録とは違った演奏に出会えることは嬉しいことです。

私はモーツァルトに強く魅かれました(既に数回繰り返しきいてしまいました)

第1楽章のアレグロが鳴り響いた瞬間、堂々としたオーケストラのサウンド。現在のモーツァルト演奏からすれば編成はかなり大きいはずですが重苦しさを感じず、カラヤンらしいレガートの音楽。まるで切れ目の無いシルクのような肌触り。

当然、第2楽章のアンダンテ、第3楽章アンダンティーノ・コン・ヴァリツィーニまでその感覚は変わることはありません。

余談ですが、このK.297bの協奏交響曲はパリ旅行の際に書かれ、当時フランスやマンハイムで人気だった複数楽器によるバロック時代には合奏協奏曲と言われていたスタイルを踏襲する作品で、コンセール・スピリチュエルの何とかという興行主の依頼で書かれたものの、その依頼主は故意か過失か、あろうことか写譜するときに自筆譜を紛失してしまったらしく、初演ができませんでした。

しかし、20世紀に協奏交響曲の筆者譜が発見されました。モーツァルトの手紙等か、パリで書いたときはフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットという独奏楽器の編成であったものが、なぜか筆者譜の編成はオーボエクラリネット、ホルン、ファゴットによるものでした。

当然、真作・偽作の議論が巻き起こりましたが、モーツァルトはこの初演ができなかったことの恨みつらみを、しっかり故郷ザルツブルクに居る父レオポルドに手紙を送っており、そこにはザルツブルクに帰ったらもう一度思い出して書き直すと伝えているのです。

そこで学者たちはその手紙の通り、ザルツブルクに帰ったモーツァルトは書き直したのだろう、でも編成は勘違いか何らかの理由で変えたのだろうと。

そのような曰くつきの作品でありながら、昔から巨匠と言われる指揮者も録音を残しています。カラヤンもこの録音に連動してかスタジオ録音をしていますし、ジョージ・セルカール・ベームも残しています。

この録音の傾向として一流オーケストラの首席奏者の顔見世や、名手が集って演奏のふたつのパターンが多いと思います。前者は当然、カラヤンベームカラヤンに先立つ数年前にベルリン・フィルと(オーボエ奏者以外は同じメンバー)、セルは自身が徹底的に鍛え上げたクリーヴランド管弦楽団と―アバドベルリン・フィルの首席指揮者に就任した後、カラヤンに倣ってか?録音しています。

後者はクラリネット奏者ザビーネ・マイヤーなど、他に音楽学者の研究結果として復元・再現した演奏としてネヴィル・マリナーの録音もあります。たしか小澤征爾が水戸室内管弦楽団と録音もこのヴァージョンだったと思いました。

選択肢もたくさんあるのでモーツァルトの真作か?偽作か?も含めてきくことのできる作品です。

話が逸れましたが、カラヤンモーツァルトは巷間あまり評価が高いとは言えませんが、個人的には1960年代にベルリン・フィルと残したセレナードやディヴェルティメントは、グラマラスなサウンドと磨き上げらえた美しい緩徐楽章が素敵です。

 

これがモーツァルトの音楽の本質かと問われれば、違います。と答えざる得ないですが、彼の音楽の持つ別の魅力を引き出した演奏であると思います。

最後にR.シュトラウスですが、同時期のスタジオ録音や後年のデジタル再録音も完成度が高く、ライヴでもそのレベルに達していました。という確認の演奏といったところでしょうか・・・そのなっている〈音〉には圧倒されたり、驚いたりしますが、その〈音楽〉を理解しているかといえば、私の勉強不足でしょうか、十分に伝えることはできません。

CDジャケット