音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

フルトヴェングラー「ストックホルムの第9」視聴記

先日投稿した「不定期投稿:最近のお買い物から」(2023年2月23日)にてご紹介した、フルトヴェングラー第二次世界大戦中に、ストックホルム・フィル客演時のベートーヴェン交響曲第9番のレコードをききましたので、こここに視聴した感想を投稿しておきます(1943年12月8日ストックホルム、コンセルトハウス)

中古LP、しかも80年前の録音、復刻方法は不明ですが、テープか、SPからの板起こしと思われますが、以前からこの「ストックホルムの第9」は同じ大戦中の他の演奏に比べ、録音状態が悪いとの評判でしたので、音質には期待できません。

第1楽章―フルトヴェングラーの指揮と共演を重ねている、ウィーン・フィルベルリン・フィルと異なり、出だしからおずおずと、手探り感があります。この第9の開始部自体にそのような感じがありますが、それを差し引いてもです。コンサートマスターはじめ、弦楽器奏者全員の目がフルトヴェングラーの指揮棒に注目しているような―

ライヴ故にアッ!と驚くような、ミスになりそうな瞬間があったり、アイザンツが揃わないところ、オーケストラのタイミングもズレたり―これはフルトヴェングラーの指揮に慣れていない、以心伝心で表現できる手兵オーケストラでないかもしれませんが、それもあってか、却って後半部では不気味な閉塞感や、闇がきこえてきます。

第2楽章―フルトヴェングラーの指揮に、オーケストラ全体が必死になってついていっている感じです。

さて、その頃のドイツといえば、東部戦線(対ソ連戦線)ではクルスク方面の攻勢に失敗し、敗走が始まっています。イタリア半島に上陸した米英を中心とした、連合軍が南から迫っています(三国同盟の一国、イタリアは既に降伏)次はフランス方面への連合軍の上陸が計画されている(ノルマンディー上陸作戦として有名な)状況で、ドイツの敗北が見えている時期であり、ストックホルムといえども第9で「歓喜」「歓喜」と歌っている状況ではなかったと思うのですが。これが生活必需品ではない「音楽」と「時代」との関わりの興味深いところです。

話を戻して、第3楽章―LPなので、7分くらいのところで、盤をひっくり返す必要があります。

やや落ち着きが無く、これも客演のせいかもしれませんが、やや性急な印象を受けます。しかし、オーケストラの影響か?フルトヴェングラーの演奏からすると以外にも、私はあまりきいたことのない、優しさや美しさ、しなやかさと明るさもあります。さらに、寂寥感や寂しさもありながらも、優しく包まれるような温もりがあり、彼の演奏をたくさんきいているわけではないのですが、異色な演奏の発見です。

この劣悪な音質にも関わらず、これだけのことがきこえるのは、フルトヴェングラーの演奏が素晴らしいのか?ベートーヴェンの音楽が素晴らしいのか?クラシック音楽と接していてよかった。と思うときです。

第4楽章―音が籠りがちですが、熱っぽさは伝わってきます。

弦楽器だけで最初に歓喜のテーマを奏しますが、まだもぞもぞとしていて、管楽器も加わり、音楽の輪郭がしっかりしてきて、フォルテになって希望の光が見えてくるとことは感動的な表現です。

歌手で注目は、大戦後のバイロイトワーグナー歌いとして有名な、バリトンジークルト・ビョルリンクで、いかにも「独逸」とした風格のある発声で目立っています。

北欧の合唱団は優秀といわれますが、その歴史はここにもあるのでしょう。情報の限られた音質から、その澄んだ歌声をなんとかききとることはできます。

前3楽章にも感じましたが、リズムが良く、明るくて流れも良いです。それはフルトヴェングラーベートーヴェン演奏からは遠い印象ですが、彼の表現の多様さを知ることのできた、新しい発見となる演奏との出逢いに感謝です。

現在でもフルトヴェングラーの録音のリマスタリング、同曲異演を追い求めているマニアの方がいることに納得します。