今週は勤め先が6月が期末となり、本日は本社にて来期の方針会議参加のため新規ブログの投稿ができません。以前投稿していた別ブログからの引越しさせている記事をアーカイヴとしてお付き合いいただければ幸いです。
(2014年2月に書いた記事です)
現在「巨匠」といえる指揮者が払拭している状況で、ほぼ唯一その称号に値するであろうと私の思い浮かべる名前「ニコラウス・アーノンクール」
その彼が手兵のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと2012年に再録音したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン・セレナード」と交響曲第35番「ハフナー」をききました。
まずセレナードに先駆けて前座のように演奏されたといわれている行進曲ニ長調K.335(320A)が始まります。そのスピード感と鋭い響きに驚きます。オーボエやホルンのソロでのフレージングもドレスデン・シュターツカペレとの1984年の旧録音がのどかに感じるほどです。それは当然楽器の違い、30年近い歳月が経過したことも影響しているかもしれませんがアーノンクールが年齢を重ねもう半世紀以上の付き合いになっている仲間達と本当に表現したかったことをやっているようにも映ります。
セレナードも行進曲の勢いそのままに始まり、彼が音楽で標榜し、著作でも述べている「言語としての音楽」を実践しているものです。それぞれのフレージングが徹底的に洗い流されていて各楽器が掛け合い、語り合います。それは第2楽章や第6楽章のトリオ部ではっきり示されているように思います。
第5楽章アンダンティーノは歌劇「フィガロの結婚」の最終幕でバルバリーナがピンを落としたといって暗闇を探す場面か、ピアノ協奏曲第18番K456の第2楽章を思い浮かべますが、その情緒ある音楽は音楽に身を浸すというより、ひんやりしていて悲壮感も漂わせています。