音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

冷戦時代に翻弄された音楽家たちの物語

「冷戦とクラシック」音楽家たちの知られざる闘い

中川右介著 NHK出版新書(2017年刊)

「東西冷戦」既に過去の言葉となっていますが、第二次世界大戦後の1945年から旧ソ連の崩壊した1991年を歴史上、ソビエト連邦を中心とした東側、アメリカ合衆国を中心とした西側が直接の軍事衝突は起きないものの、お互いに核兵器を持ち、宇宙科学などの技術を通じて両国が牽制をしていた時代がありました。

その時代を生きた音楽家代表として旧ソ連・東側のエフゲーニ・ムラヴィンスキー、西側、アメリカ出身のレナード・バーンスタイン、そしてその分断された世界の象徴ともいえる「壁」が存在したベルリンで活動をしていたヘルベルト・フォン・カラヤン、3人の指揮者を軸に時代に翻弄された音楽家たちのストーリが綴られています。

著者の中川右介さんはアルファベータという出版社の代表・編集長を務められた方で、「クラシックジャーナル」という雑誌や音楽家の写真集、評伝でお世話になりました。また自身も多数の著作を出版されており、入門書から解説書、そしてなんといっても面白い読み物はカラヤン関連の「カラヤン帝国興亡史」「カラヤンフルトヴェングラー」「カラヤン 帝王の世紀」はカラヤン=「通俗性」・フルトヴェングラー=「精神性」の紋切型でしか語られない両者を人間性と政治を絡めて年表的に読者に提示するものです。

中川さんの著作は個人的な思い入れや主観的な視線を極端に持ち込んでいないのが通読に最適です。例えば「巨匠たちのラストコンサート」(文春新書2008年刊)は名前の通り思い入れや感情たっぷり、感涙の著作かと思えばデータベース的に情報を読み手に提示することを主眼とした著作であります。中川さんの著作は新書での出版が多いことも納得します。

今回読んだ「冷戦とクラシック」も「編集長」出身の書いた著作らしく、あの時代(46年間)に起きた政治・事件と関係した音楽家をうまくリンクさせ、文体も難しい言葉や言い回しや音楽用語を多用していないのでクラシック音楽に詳しくない方、社会・歴史に詳しくない方でも把握できる内容です。

日付や場所、演奏家の旅行先、その時のプログラムなど膨大な資料と知識に基づき第2次世界大戦の終結からベルリンの壁崩壊と共に軸となる3人の指揮者の死へと続く物語性を持たせているので読み進めやすいです。しかし、その情報量の多さに読み進めていくと整理がつかなくなるくらいです。

登場する音楽家も多数でフルトヴェングラーからショスタコーヴィチロストロポーヴィチリヒテル、グールド、クーベリックなどなど―音楽家が政治により活動に影響を与えられ、国家の威信を背負い、演奏旅行となれば国同士が動くなど現在では考えられないエピソードがそれぞれ書かれています。

また、ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクールが東西冷戦の代理戦争のひとつであったことから、各コンクールの難しさ=優勝者・上位入賞者のその後の活躍につながらないことを知らしめます。名前、経歴の知らない方もいます。

象徴的なのが1955年ショパン・コンクールの優勝者ハラシュヴィッチと第2位のアシュケナージの差、1958年チャイコフスキー・コンクールの優勝者クライバーン。

印象に残ったのは第2章「雪どけ」の「あるピアニストの亡命」(P141~)で登場するハンガリー出身のピアニスト、ジョルジュ・シフラ(1921-1994)です。

現在ではやや忘れられてしまった―個人的には「リスト弾き」というくらいの認識でしたが、彼がデビューするまでの戦争や騒乱に巻き込まれた過酷な人生を知ることができたのは収穫です。

また、ショスタコーヴィチの音楽理解における中川さんの意見が書かれています(208ページ)これは現在私のブログで投稿している交響曲完聴記への大いに参考となりました。

もうひとつ興味深かったのは旧東ドイツの指揮者、クルト・マズア(1927-2015)とヘルベルト・ケーゲル(1920-1990)が対比のように登場します。

前者を体制派―うまく時流に乗り時の為政者に取り入った人間として、後者は政治的な駆け引きはできない芸術家として―「自殺した音楽家」(359ページ)にケーゲルが拳銃自殺をしたことを記しています。334ページではマズアへの権力者のからのバックアップがいかに強力なものであったかの裏話を書き、登場人物への好悪を表に出さない中川さんがマズアに関しては結構辛辣に評しているのが印象的でした。権力に媚びへつらう藝術家を批判(342ページ)するところには激しく同意します。

音楽や芸術の表現が主義や信条により制限されることが決してあってはならないことを改めて思いを強くしました。