収録された曲目を見ると無名(銘)?凡作?駄作?もしかすると佳作?作品集の印象を受けそうですが、アーノンクールが手掛ければ当然一筋縄ではいかない演奏である事は確かです。


ベートーヴェンは―それはもう霊感とインスピレーションに溢れ、前人未到の境地に至る作品を書いたかと思えば、頼まれ仕事やヤル気の無いときは明らかに手抜きと判る作品もあります。例えば戦争交響曲「ウェリントンの勝利」あの楽聖が何でこんなクダラナイ作品を書いてしまったのだろう!と思います。
しかし、ドーデモいいような(失礼!)作品に輝きや魅力、新しい発見、そして気づき、驚きなどを与えてくれることが名演奏家の仕事と思っています。
アーノンクールは1990年代にヨーロッパ室内管弦楽団とベートーヴェンの交響曲全集をスタートに序曲集、ミサ・ソレムニス、クレーメルとヴァイオリン協奏曲、そして歌劇「フィデリオ」や今回共演しているエマールとピアノ協奏曲全曲など、2000年代初頭までに主要作品を録音してきた中でこのディスクはその最後に登場しました。
「枯れ木も山の賑わい」みたいな作品集であったのできく機会を逸してきました。
交響曲全曲録音をした頃はモダン楽器オーケストラがピリオド奏法で(トランペットは古楽器、ティンパニは堅い撥を使用)チャレンジするといった印象でしたが、若手主体で楽団員の新陳代謝も活発なオーケストラとの共演、アーノンクールとの関係も深まっていったこともあって徐々に両者の演奏も練られたものに変化していきました。
ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲(トリプル・コンチェルト)はなんとなく名曲に近い位置というか、多くの人に知られているのはカラヤンが1969年に当時は東側と呼ばれた旧ソ連の名手3人、ピアノ=スヴャトスラフ・リヒテル、ヴァイオリン=ダヴィット・オイストラフ、チェロ=ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと録音したディスクの存在が大きいでしょう。
個人的な好みはピアノ=ゲザ・アンダ、ヴァイオリン=ヴォルフガング・シュナイダーハン、チェロ=ヤーノシュ・シュタルケル、フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(1960年ステレオ)のドイツ=オーストリア圏の音楽家がベートーヴェンを奏でるとこういった趣になる典型と感じる録音です。

この作品は3つの独奏楽器、いわゆる三つ巴になるので非常にバランスの取り難いように思います。ベートーヴェンもそういった事やその奏者を想定して音色や技量など勘案しながらの創作であったと思います。初演時のピアノはパトロンでもあるルドルフ大公が務めたので「それなり」のテクニックでも弾けます。
この録音をきいて驚いたのはとても表現がデリケートで豊かなオーケストラの響きです。1990年代後半から2000年代にアーノンクールに加わったその特徴を全曲から感じます。もっぱらこの協奏曲に対しては千両役者達の顔見世公演のような、音楽の質は演奏家の名前とパワーで圧倒しようというイメージしかなかったので意表を衝かれました。
もちろん各声部は明瞭にきかせて自分たちのフォルテでは例のアーノンクール流のアクセントで激しく主張しますが、独奏楽器とのアンサンブルとなるとスッと主役を盛り立てます。そして独奏者、ツェートマイヤーのヴァイオリン、ハーゲンのチェロがベートーヴェンとは思えないようなデリケートなニュアンスで弾かれます。そしてエマールのピアノのタッチが軽い打鍵で弾かれます。これは当時のフォルテ・ピアノを当然意識していると思います。
第1楽章の11分くらいでソリストとオーケストラが合奏するところではパワフルな表現で同時期のシンフォニー第3番の英雄的な響きがきこえてきて両者のアンサンブルと解釈の一致を感じます。
第2楽章ラルゴはインテルメッツォ風の短いものですが、神秘的・天国的な音楽です。独奏チェロのメロディーからはベートーヴェンの瞑目・孤独感が伝わってきます。これの完成形がピアノ・コンチェルト第5番「皇帝」の緩徐楽章になる予感があります。また室内楽的な対話からは後期のカルテットへの芽生えがきこえるような。
アタッカで第3楽章に入りますが、そこで独奏チェロが主導するよう弾かれるメロディーはこのコンチェルトの数少ないきき所ともいえます。ハーゲンの歌うような響きにきき惚れます。その後の主部に入ると音楽が途端に古典的な協奏スタイルになってしまうのはもったいないです。
ポロネーズ風になるところでは奏者がそれと分るようにアクセントをつけるのはやっぱりアーノンクール!
全体的に「トリプル」といってもチェロ奏者への比重が大きく、ピアノが気持ちよさそうに弾いていてもチェロ、オーケストラに持っていかれる様な―数年前にアマチュア・オーケストラの定期演奏会できいたときにも感じたのが、ややピアノ奏者が手持ち無沙汰になる個所が多く「ピアノ・パートの一部なら自分もイケルかも・・・」と思ったことがあります。
珍しい、初めてきいた「ピアノと管弦楽のためのロンド」はピアノ協奏曲第2番の終楽章として書かれたものの、現行の終楽章を書いたので放置され死後に出版された作品。
コロコロ転がるようなところ、中間部のメロディーやリズムからはモーツァルトの影響を感じます。ここでもエマールの軽いタッチが快く、作品の持つ形をストレートにきかせてくれます。
「合唱幻想曲」は交響曲第9番のプロトタイプともいわれますが(きく側にすると第九の『劣化版・廉価ver』に接するような印象もある作品)当時としては特異な作品ではあったことは間違いありません。しかしなんと費用対効果の少ない曲でしょうか!(ベートーヴェンの前衛性と捉えれば良いのカナ?)
ソリスト(ソプラノ×2人、アルト1人、テノール×2人、バリトン×2人)にピアニスト、コーラス、オーケストラ、演奏時間は約20分(現在の演奏会ではプログラムに組み込むのも 難しい)
かつ、ソリストとコーラスが加わるのは曲も半ばを過ぎた15分くらい(登場時間にして5分くらい!)
アーノンクールはこの作品を「第九の劣化版」ではなく第九への実験的・前衛的なある意味「試験作」だったことを教えてくれます。
各所に出てくる第9に重なるフレーズを隠さずにハッキリきかせ、楽器の組み合わせが面白いヴァリエーションも展開は単調なのですが、これが発展したことを皆さんはご存知ですよね?といった感じです。
そして軍楽調の音楽では彼流のスパイスを利かせた響きになっており、これも第九の終楽章に反映されたことをききては知っています。
またテキストを明確にきかせて合唱が解放されるようにクライマックスを迎えるところは「音楽と言葉の一致」を目指す彼の解釈の徹底を感じます(第九のシラーの詩とこのテキストも共通があります)
ベートーヴェンは自身が見つけた動機・アイデアを繰り返し使用して、その質を徹底的に高め後期の作品へと到達させたことを改めて気づかせてくれる演奏でした。