ことし2025年は旧ソビエト連邦の作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチが1975年に亡くなって50年になります。
これまで積極的にきいてきませんでした。第1番のピアノ・コンチェルト、オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、一部のカルテット、ヴィオラ・ソナタ、チェロ・ソナタ・・・シンフォニーも第8番・第10番そしていうまでもなく第5番くらいなものです。何年か前にカルテット全集CDBOXもそのまま未開封です・・・。
アニバーサリーイヤーを機にまず取っ掛かりやすい交響曲完聴記を毎月第4週にアップしていきたいと思います。
ショスタコーヴィチは交響曲を生涯に15曲書いており、どの曲も興味深いものがあり、彼の生きた時代のソビエト連邦の複雑な政治状況とリンクしているところもあって、そういった暗号やメッセージをきき取ろうとするのも面白いですし、たくさんの打楽器やピアノまで動員した大編成のオーケストラ・サウンドをきくのも面白いです。
演奏はベーシックなものとして評価されているルドルフ・バルシャイがケルン放送交響楽団(WDR交響楽団)を指揮したものになります。バルシャイは1924年に旧ソビエトに生まれ、ショスタコーヴィチとも交流があって交響曲第14番の初演を担当したり、弦楽四重奏曲を室内オーケストラ用にも編曲しています。1970年代に亡命後から亡くなる2010年までに多くのオーケストラに度々客演もしていて、何度か来日もしているので生演奏に接した方もいるのではないでしょうか?



これから第1番から順にきいていきたいと思います。
1925年、19歳の時の作品。17歳の頃から書き進められていたそうです。
第1楽章、ミュートしたトランペットとファゴットによる軽快とも不気味ともいえるテーマが印象的で、既にショスタコーヴィチらしいあのせかせかしたリズムの行進曲風の旋律がきこえます。展開部ではマーラーやストラヴィンスキーをミックスしたみたいな音楽がきこえてきます。
第2楽章は動きの速い弦楽器・管楽器がスケルツォのようで、ピアノ・ソロが登場して皮相的な感じです。
第3楽章は緩徐楽章レント。もの悲しい音楽。重みのある音が深く心に残ります。ロマンティックなところと葬送行進曲による暗さが同居しています。
そのままアタッカで突入する終楽章の始まりは前楽章のレントの寒々とした空気が残っています。アレグロ・モルトに移っていくと感情が高まったように爆破、しかし突然静かになってヴァイオリン・ソロ、ピアノ・ソロが登場、と目まぐるしい展開で様々なテーマを使いうねるようにしてクライマックスをつくっていきます。
ショスタコーヴィチはモーツァルト型の天才といわれますが、確かに音楽院卒業作品として20歳書かれた習作シンフォニーと思えない存在感です。
初演後すぐにブルーノ・ワルターにより西側に紹介され、トスカニーニやクレンペラー、アルバン・ベルクといった大物からも評価されたということも納得です。
早くも第2番のシンフォニーにして政治色の感じられるものを書いているのがショスタコーヴィチの生きた時代の旧ソビエト連邦という国を象徴しているようです(国立出版社から「10月革命10周年記念作品を」という依頼で作曲されたそうです)
交響曲第1番の初演(1926年5月)の翌年1927年11月には初演されているので若いながら交響曲というジャンルに臆せずチャレンジしていったことがうかがわれると思います。
第1楽章、冒頭のっけからいきなり暗い闇をさまよっているような前衛的なサウンドに面喰います。どこまで続くのかしら~とウンザリしかけた頃に動きがでてきて、今までとうって変わって活発なものになっていき、パッツパッツパーとトランペットのファンファーレ風に出てきたり、ヴァイオリン・ソロが超絶技巧をきかせたり、複雑なフーガが出てきたり―いったいどこに目標があるのか分からない音楽で激しさを増すごとに頭の中が???となってきます。
そのご静かになったなと思ってしばらくするとサイレンが鳴って男声合唱が入ってきます。そして女声も加わり、厳しくマジメなメロディーが始まります。なんだかマーラーの交響曲第2番「復活」の後半部に似ていなくもないような・・・「屋上屋を架す」ような革命賛歌でクライマックスを形成します。
かなり前衛的な手法ながら初演当時は絶賛され、革命10周年記念の音楽コンクールで1位を獲得したそうですが、政府がしだいに前衛音楽に理解を示すことがなくなると演奏回数も減ってしまい、その影響は今でも引きずっていてショスタコーヴィチの交響曲ではかなりマイナーな方ではないでしょうか?
1929年完成、翌年の30年1月に初演されています。
交響曲といっても前の第2番と同様に単一楽章から出来ていて合唱も入って標題もついているので姉妹作のように思われますが、前衛的でとっつきにくい表情をした全曲比べこちらは5つに分かれた各部分はかなりきき易いです。
冒頭のクラリネットのテーマはとても印象的で、続く動きの出てくる所も躍動感がありメーデー=休日=うれしいな的なもので、ショスタコーヴィチの才気?鬼才?ぶりが発揮されているような音楽になっています。
メーデーで集まった労働者たちが騒いでいるようなにぎやかさ―中間部では疲れたのか静かなメロディーが続きます(アンダンテの部分)ここはなかなかイイです。
しかし、再び独特なリズムと共に騒がしさが戻ってきます。その頂点が築かれた後には銅鑼が鳴り低弦が歌い、ベートーヴェンの交響曲第9番の様に満を持してメーデーの賛歌が歌われます。
合唱の登場までさんざん引っ張った挙句に終わりはあっけない終わり方。第2番はしつこいくらいにクライマックスにクライマックスを重ねていたのに!
この3曲をきけば後の交響曲できかれる「ひょうげた!?」表現やもの悲しい雰囲気や急速なテンポ感などがきかれます。それに先人作曲家へのオマージュ?影響?も感じることでしょう。この年齢で交響曲を書き上げてしまったことを考えるとモーツァルトやシューベルトのような神童・憑依型の天才であったと思います。