音楽枕草子

クラッシク音楽や読書から趣味などの身辺雑記も含め、感想として綴ったblogです。

忘れられていた1枚①~F.ブッシュ指揮ハイドン交響曲「軍隊」他

最近LPの魅力を再発見し、コツコツ買い集めており、このブログでも投稿をさせいただいていますが、そのLP群を整理しようと棚を見ると、購入したままきかずに忘れていた物が出てきました。

その1枚がこちらです↓

≪曲目≫

1.ハイドン交響曲 第100番 ト長調「軍隊」

2.ハイドン:トランペット協奏曲 変ホ長調 Tp:アドルフ・ホラー

3.ハイドン:イタリア序曲

フリッツ・ブッシュは1890年生まれで、世代的にはフリッツ・ライナーの2歳年下、ベームの4歳年長ですが、働き盛りともいえる、1951年に亡くなってしまった為、残された録音も限られています。

代表作は、イギリスの大富豪が歌手でもある夫人のために始めた、グラインドボーン音楽祭の上演で指揮を務めたモーツァルトの「フィガロの結婚」、「コジ・ファン・トゥッテ」や「ドン・ジョヴァンニ」の1930年代の録音でしょう。

他にもモーツァルト交響曲第36番「リンツ」やブラームス交響曲第2番などをきいたことがありますが、どれも標準的な演奏でした。

なぜ購入したか、はっきりと覚えていませんが、恐らく、録音の少ない指揮者、何よりも廉価盤の中古LPなので、価格も安かったのでしょう。

演奏ももちろんですが、音質も気になったので、針を下してみました。

録音データは書いてはいないのですが、ブッシュはナチス政権を嫌って第2次世界大戦中はドイツ国外で活動しているので、この録音は戦後の1940年代後半から50年、もしくは51年であると思います。当然ながらモノラルです。

しかし、廉価盤のモノラル録音ながら、交響曲第100番の序奏からしっかり弱音もきこえてきて、音質的には問題はありませんでした。

肝心の演奏は、あるべきところに、あるべき音のピースがしっかりハマっている=これはハイドンの音楽自体にもそれがあるので、演奏と曲の性格がマッチングしているように思います。もとより収録されている作品が、そういった性格の物ばかりではありますが。

健康的で、ネアカ(死後かな)作曲家=ハイドンを具現化しているような演奏で、小さいことに拘らない、ある意味きき手は「あっぱれ」と言いたくなるような、爽快感があります。また、木管が目立ってきこえるのも耳に残りました(もしかすると弦楽器奏者の人数を意図してか?予算の関係か?少ないのかもしれません)

トランペット協奏曲では、ソロが残響豊かに収録されています。

余談ですが、この協奏曲、てっきりエステルハージ家に奉公していた交響曲で言えばー第50番から第60番台と同時期の作品かと思い込んでいたのですが、実際はハイドンが功成り名を成していた、1800年(作曲は1796年。既にロンドン交響曲、オラトリオ「四季」や「天地創造」を作曲した後)に初演された作品だそうです。しかし、晩年の老大家として有名だった彼の作品としては珍しく不評だったそうで、忘れ去られてしまい、出版されたのは1929年!(ハイドン死後、120年後)になってからとのことです。

私がトランペット協奏曲の中で有名な、この作品にそこまで無関心だったのは、トランペットがソロで「パッパー・パッパー」とイナナク音楽が苦手なのと、それに加え、伴奏するオーケストラにも2本のトランペットが入っていて、けたたましく感じる事です。

そういった理由で、トランペット協奏曲はこちらから積極的にきいたことはありません。モーツァルトもトランペットが嫌いだったといいう逸話がありますが、良く理解できます。

ソリストのアドルフ・ホラーという奏者で、ウィーン出身の管楽器奏者と思います(モーツァルトの「ポスト・ホルンセレナード」でポスト・ホルンを吹いている録音が残っています)

3曲目に入っている「イタリア序曲」

こちらは楽曲自体が珍しいです。正確な年代は不明だそうですが、1885年以前に独立したコンサート用序曲として作曲されたそうです。

シンプルなテーマが展開されていく軽快な音楽で、交響曲の終楽章としても通用しそうであります。異稿・スペアとしての使用もあったのかもしれません。

この時代、交響曲が現代のようにコンサートにおける「メインディッシュ」という扱いではなく、コンサートの目玉は、まくまで人気歌手によるアリアや、ピアノ協奏曲や即興演奏となり、交響曲は開始ベルくらいの役割で、まず冒頭に交響曲の第1~3楽章までが演奏がされ、第4楽章はコンサート終了時に演奏されるという、いわば聴衆の退場用音楽だったそうです。

ちなみに現在のように、まず短い序曲→協奏曲→交響曲という演奏会の基本プログラム構成で演奏会をはじめたのは、ロマン派のヴェーバーメンデルスゾーンあたりからだそうです。それに伴い、交響曲というものが、作曲家の精魂を込めた楽曲の地位をしめていったのでしょう。

話があちこちに逸れましたが、今回は「忘れられていた1枚」、棚できかれずに仕舞われていたレコードの視聴メモでした。

もう1枚ありましたが、未聴ですので後日、機会があれば投稿させていただきます。